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癒し系獣医師の動物病院開業日誌

アニマルセラピー団体で活動している癒し系獣医師。農業団体職員から脱サラし、動物病院を開業しています!

酪農実習 夏の思い出

2006年06月06日 | 学生時代
僕らが学生時代は「獣医学科」といえば2年生の時に「酪農実習」がありました。私学では大概ありましたね。今はどうでしょう。多分ないのでは。

僕は夏休みを利用して40日間、道東の中標津町にJRで1日がかりで行きました。
当時僕は90Kgくらい体重があり、はっきりいって太ってました。
実習した農家は「乾草」を自家用に作るだけでなく、販売していましたので、雨でも降らない限り、朝夕は搾乳、日中夜7時くらいまで乾草(1個20kgくらい)をトラックに積んでました。1日に約400個程度積んでいました。

これは大変な重労働でヘトヘトになり搾乳が終わると9時近くなんてザラで飯たべて、風呂に入り10時半には寝ていました。その繰り返しでした。
そこの主人が言うには1週間くらいで帰る人が多いそうで、1ヶ月以上いる人はないと言ってました。事実3日目くらいで帰ろうと思いましたが、4日目に雨が降り、搾乳以外は休めたことが幸いしたのか結局40日間いました。

その間はつらかったです。牧場は市街地から相当離れていたし、夜は静寂の中です。都会?育ちの僕には全く初めての経験でしたが、最後のほうでは馴染んでまいした。牛と牧草畑と空の下で働くことの喜びさえありました。

日中はアブに刺され、朝夕は牛の蹴りに耐え、夜は静寂の下に身をゆだねていると、世の中を見る目が変化してきます。

40日間いて、僕は70Kgに体重が減少していました。
帰ってお袋は「どちら様ですか?」と真顔で言った言葉がいまでも忘れられません。
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解剖学の本

2006年05月16日 | 学生時代
今日と明日は紋別方面に出張です。

昨日は本当に暖か、いや暑かったです。北海道にも初夏の感じが出てきました。
しかし、毎年5月下旬の「ライラック祭り」の頃はまた寒い時期がありますね。
渡辺純一さんの小説「リラ冷えの街」を思い出します。

僕もかつては自分で言うのもなんですが「文学青年」でした。いや、ほんと。ものすごい読書したのです。純文学が好きで、それこそ川端康成から志賀直哉等々や一時期はプロレタリア文学まで読みまくりました。坪内逍遥、樋口一葉なんかもメチャクチャ読みにくいのに苦ではなかったですね。海外ではアンドレ・ジッドやアルベール・カミュが好きでした。それとヘミングウェイ。僕は理系の高校生でしたが、受験に関係なく現代国語はものすごく得意で、古文や漢文も定期試験はほぼ満点でした(自慢?)。無駄だったかな・・・

思い出したのが、大学時代「」の作成をしたことです。
当時解剖学で「組織学」(顕微鏡でみる組織)の、実習用のものが少なく、人間の医学用のそれを代用していたのですが、担当教授から「作ったら?」と言われ、僕が音頭をとり皆で共同制作しました。

組織の写真は教室の材料から収集し、原稿は臓器ごとに分担し、取りまとめと修正等の編集作業は僕が中心に行い完成させました。
写真がそれです。
この本は大学の生協を通じて印刷、発行され、たぶん今でも「教科書」として使われていると思います。今までは人間用のものを流用してきましたし、これだと動物間の違いも記載していてとても重宝した記憶があります。

おかげで、解剖学の「組織学」は今でも頭に入っていると思いますよ。
俺って変なとこにエネルギーを注いできたように思いますね・・・皆様のコメントお待ちしてます。

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組織標本作りの仕事人?

2006年05月07日 | 学生時代
今日も暖かです。
梅の花もようやく開花しそうです。
うちの子とコーギーもどきの記念撮影です。

昨夜、本を整理していたら学生時代に使っていた教科書がでてきて、組織標本の本に目がとまりました。
学生時代は「形態学」をやっていたので「組織標本」を作る機会は多かったのです。組織標本というのは、例えば肝臓であればその一部を標本にして、薄い切片にして顕微鏡で見るために作る「検体」です。

自分でいうのは変ですが、僕はこれを作るのは得意でした。職人と自認していたところもあります。作成には「こつ」や一定の「技術」が必要で下手な人が作ると標本がしわになったり、組織に傷がついたりします。例え、きれいにできても、組織の細かい形態がわかる標本でなくてはならないのですが、これが難しく、言葉では表現できません。

多分僕は卒業までの間に標本を1万枚以上作りました。今でもやろうと思えばできます。身に染みてしまいました。今でも標本をつくる一式のセットがほしいと思います。

今は標本を切る「刃」は使い捨てですが、当時は刃を自分で研いでいましたね。機械研ぎもしましたが、手でも研いでいました。これは、非常に熟練を要します。僕も凝り性ですから・・・

どのように作成するかは知らない人には退屈でしょう。次回にでも簡単に紹介します。
この標本の活用は「教育」「診断」「研究」に生かされています。組織標本を評価して、病態や形態を知ることは医療に大きな貢献をすると今でも信じています。

全然セラピーに関係ないお話で恐縮でした。
今日は連休最後なのでゆっくり・・・いや「しつけ教室」の企画忘れてた!
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コネタで締めて見ます?

2006年03月05日 | 学生時代
たまに、横道にそれたい気になりました。
先日大学同窓生に会う機会があり、おしゃべりしているうち、学生時代の思い出が鮮明に・・・・・

僕らの時代に何の脈絡もないイベントがありました。
それは女装してうどんを何杯食べれるか競うイベントでした。

僕も参加することになり、女装の衣装を収集することとなりました。
収集といっても盗むわけでないのであしからず。
そこで、彼女のいる連中はまあなんとかスルが、あぶれた連中(僕も含む)で調達が始まりました。
とりあえず、思いついて、ある看護学校の寮に行きました。何の伝手もなくいきなり。
以下会話再現

われら:「こんばんわ」 (Kと僕の2名)
寮の親父:「なんですか?」「どちらさん?」(当然の反応でしょう)
われら:「僕らは○○大学獣医学部の学生です。誰でもいいので女子を呼んでくだ    さい」(毅然として)
寮の親父:(ぎくりとして・・・)「いいですよ」 (えっ・・・)
われら:「はあ、そうですか。いいですか?」
寮の親父:「そのかわり、玄関先でお願いします」(当然ですな)

女子:「どなたすか?」「何のご用件?」(合コンかな?)
われら:「○○大の獣医学部の者です。突然ですが、看護服貸してください」
女子:「えっ・・・・・。」(何故か微笑む)
われら:「女装して、うどん喰うイベントが云々・・・」
女子:「いいですよ」
われら:「えっ・・・・」

イヤーのどかな時代でしたね。今なら通報されてますね。
まあ、2名とも悪意のない顔してたかたね。

そんなんで、無事「うどん喰い&女装大会」は決行され盛り上がった。
ちなみに僕は5杯でダウン。鼻からうどんが・・・でて後は不適切表現になるので・・。
しかし、開催の目的が未だに理解できない。
その後このイベントは行われていない。

えっ看護学校の女子の皆さんですか?
きっちり合コン設定させられて、当然おごりましたけど、ついでに帰りのアッシーもしました。酒飲まないです。

済みません。脱線しましたが、次回は少し真面目に!


先輩との電話

2006年02月26日 | 学生時代
先日20年ぶりくらいに大学の1年先輩に電話をして久々に話をした。
その先輩は九州に在住なのですが、子供を道東のとある大学に受験させに、一緒に来道したのですが、僕は都合がつかず会うことはできません、ということを伝えるための電話をした訳です。

それにしても、はるばる九州から北海道の道東に?と思い先輩に「なんで道東なんですか?」(ここひとつしか受験しないそうです)と聞いたら「自分も北海道で大きく育ててもらったので息子にもそうさせてあげたい」とのこと。
イヤー素晴らしい。こういう考えは僕はできないですね。

僕らが学生のころは2年生(獣医は6年生)で好きな研究室に所属することができました。その基礎系の研究室は先輩も厳しそうな人もいなかったし、第一コンパが多くて楽しそうだ というのが選択の動機でしたね。

研究室に入ったら「新入生歓迎コンパ」とういのがありました。このコンパの日に向けて何故か先輩たちは同級の学生たちに「今日はよろしく」と声をかけています。まあ、多少具合の悪くなる生徒もいるだろうから、そのときのヘルプかくらい
に思っていました。

結果はむむ・・・想像を超えるものでした。決して強制されて飲んだ訳でないのですが、宴会場は何せ野外。森があり、小川もある。何か飲めチャウんですよ。
しまいにゃ、小川のおたまじゃくしを踊り飲みしてました。
僕も歩行困難となりましたが、車で先輩の同級の人たちが頃良いころに大挙して迎えに来てくれました。そして収容場所(手術室でしたが)に近づくと「手際よく?」今は懐かしい「リアカー」に数人ずつ乗せて、死体のように手術室のマット(大動物が横たわるのに使ってました)に寝せてくれるのです。これだと吐いても安心みたいな・・・・。僕は程なく覚醒し、教室に退避しました。そばでは先輩達が温かく?横たわった後輩を見守っています。

壮観でしたね。数少ない女子はさすがに理性を持っていたので皆元気。
まあ、今はこんなコンパはありません。第一、大学がこのようなコンパというか、学内の飲酒は絶対禁止ですからね。昔話ですよ。それに今はそんなことする学生はいませんね。

こんなことを先輩と電話で話をしながら思い出しました。ほんの逸話の一例でした。懐かしいですね。
そのとき、教室に退避した僕はどうしたか? 
また歩行困難となり朝まで実験台で寝てました。首が痛えみたいな

また、くっだらない話しでm(。-_-。)m ゴメンなさい。次回は少し真面目に。