日本男道記

ある日本男子の生き様

(2)さて、池めいてくぼまり、……

2024年07月16日 | 土佐日記


【原文】 
①さて、池めいてくぼまり、水つけるところあり。
②ほとりに松もありき。
③五年六年のうちに、千年や過ぎにけむ、かたへはなくなりにけり。
④今生ひたるぞ混じれる。
⑤おほかたの、みな荒れにたれば、「あはれ。」とぞ人々言ふ。
⑥思ひ出でぬことなく、思ひ恋しきがうちに、この家にて生まれし女子の、もろともに帰らねば、いかがは悲しき。
⑦船人もみな、子たかりてののしる。
⑧かかるうちに、なほ悲しきに堪へずして、ひそかに心知れる人と言へりける歌、
⑨生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ
⑩とぞ言へる。なほ飽かずやあらむ、またかくなむ、
⑪見し人の松の千年に見ましかば遠く悲しき別れせましや

【現代語訳
①さて、池のようにくぼんで、水に浸かっているところがある。
②〔池の〕そばには松もあった。
③五、六年のうちに、千年が過ぎてしまったのだろうか、半分はなくなっていた。
④新しく生えたのがまじっている。
⑤〔松だけでなく〕大体のものが、すべて荒れてしまっているので、「なんてひどい。」と人々は言う。
⑥思い出さないことはなく、恋しい思いのなかでも、この家で生まれた女の子が、一緒に帰らないので、どんなに悲しいことか。
⑦船の人(=同じ船で一緒に帰京した人)もみな、子どもがよってたかって大騒ぎをしている。
⑧こうしているなかで、やはり悲しさにたえられずに、ひっそりと気心のしれている人と言いあった歌、
⑨〔ここで〕生まれた子も帰ってこないのに、我が家〔の庭〕に小松があるのを見るのは〔子どもが思い出されて〕悲しいことだ
⑩と言った。やはり満足しないのであろうか、またこのように〔詠んだ〕、
⑪亡くなった子が、千年の齢を保つ松のように〔いつまでも生きながらえて〕見ることができたならば、〔土佐での〕遠く悲しい別れをしただろうか、いや、しなかっただろうに。



◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

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