
【原文】
当国雲岸寺のおくに、仏頂和尚山居跡有。
竪横の五尺にたらぬ草の庵
むすぶもくやし雨なかりせば
むすぶもくやし雨なかりせば
と、松の炭して岩に書付侍りと、いつぞや聞え給ふ。其跡みんと雲岸寺に杖を曳ば、人々すゝむで共にいざなひ、若き人おほく道のほど打さはぎて、おぼえず彼麓に到る。山はおくあるけしきにて、谷道遙に、松杉黒く苔したゞりて、卯月の天今猶寒し。十景尽る所、橋をわたつて山門に入。
さて、かの跡はいづくのほどにやと、後の山によぢのぼれば、石上せきしょうの小庵岩窟にむすびかけたり。妙禅師の死関、法雲法師の石室をみるがごとし。
木啄も庵はやぶらず夏木立
と、とりあえぬ一句を柱に残侍し。
【現代語訳】
下野国の臨済宗雲巌寺の奥の山に、私の禅の師である仏頂和尚が山ごもりしていた跡がある。
「縦横五尺に満たない草の庵だが、雨が降らなかったらこの庵さえ必要ないのに。住まいなどに縛られないで生きたいと思ってるのに残念なことだ」と、松明の炭で岩に書き付けたと、いつか話してくださった。
その跡を見ようと、雲巌寺に杖をついて向かうと、ここの人々はお互いに誘い合って案内についてきてくれた。若い人が多く、道中楽しく騒いで、気付いたら麓に到着していた。
この山はだいぶ奥が深いようだ。谷ぞいの道がはるかに続き、松や杉が黒く茂って、苔からは水がしたたりおちていた。
さて、仏頂和尚山ごもりの跡はどんなものだろうと裏山に上ると、石の上に小さな庵が、岩屋にもたれかかるように建っていた。
話にきく妙禅師の死関や法雲法師の石室を見るような思いだった。
木啄も庵はやぶらず夏木立
(夏木立の中に静かな庵が建っている。さすがの啄木鳥も、この静けさを破りたくないと考えてか、この庵だけはつつかないようだ)
と、即興の一句を柱に書き残すのだった
◆奥の細道
おくのほそ道(奥の細道)は、芭蕉が崇拝する西行の500回忌にあたる1689年(元禄2年)に、門人の河合曾良を伴って江戸を発って、奥州、北陸道を巡った紀行文である。全行程約600里(2400キロメートル)、日数約150日間で東北・北陸を巡って、元禄4年(1691年)に江戸に帰った。西行500回忌の記念すべき年に、東北各地に点在する歌枕や古跡を訪ねることが、最大の目的の旅であった。
「おくのほそ道」では、このうち武蔵から、下野、陸奥、出羽、越後、越中、加賀、越前、近江を通過して旧暦9月6日美濃大垣を出発するまでが書かれている。曾良の随行日記も、没後数百年を経て曾良本と共に発見されている。

