【原文】
九日のつとめて、大湊より、奈半の泊を追はむとて、漕ぎ出でたり。
これかれ互ひに、国の境のうちはとて、見送りに来る人あまたが中に、藤原のときざね、橘のすゑひら、長谷部のゆきまさ等なむ、御館より出で給びし日より、ここかしこに追ひくる。この人々ぞ、志ある人なりける。この人々の深き志はこの海にもおとらざるべし。
これより、今は漕ぎ離れて行く。これを見送らむとてぞ、この人どもは追ひ来ける。かくて漕ぎ行くまにまに、海のほとりにとまれる人も遠くなりぬ。船の人も見みえずなりぬ。岸にもいふことあるべし。船にも思ふことあれど、かひなし。かかれど、この歌をひとりごとにして、やみぬ。
思ひやる心は海をわたれどもふみしなければ知らずやあるらむ。
【現代語訳】
九日の朝早く、大湊から、「奈半へ向かおう」と、いって、漕ぎ出した。 この人もあの人も、かわるがわる国(=郡)の境まではと見送りに来る数多くの人の中に、藤原のときざね、橘のすゑひら、長谷部のゆきまさたちは前国司が館をご出立なさった日から、ここかしこの港に追ってくる。この人々こそ、本当に情の厚い人なのだ。この人々の深い志は、この海の深さにもおとらないだろう。 この大湊から今度こそ漕いで離れていく。これを見送ろうとしてこの人々が、追いかけてくる。このように船の漕ぎ進むにつれて、海辺にとどまっている人々も遠くなってしまった。船に乗って行く人も海辺からは見えなくなってしまった。岸にいる人々もまだ言いたいことがあり、船に乗っている人々もまだ思うことがあるのだが、今はもうどうしようもない。 こんなふうに思いは尽きませんが、この歌を独り言につぶやいてあきらめた。 思ひやる… (海辺の人々をはるかに思いやる心は海を渡っていくが、心の中で思っているだけで、海を越えることも文をやることもできないので、先方は私たちの気持ちを知らずにいるのだろうか。「文」と海を「踏み」わたるの「踏み」を掛ける) |
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。