日本男道記

ある日本男子の生き様

おさん茂兵衛

2009年10月11日 | 私の好きな落語
【まくら】
江戸落語としては珍しく上尾という舞台設定。

【あらすじ】
深川やぐら下は花柳界でも非常に勢いがあった。そこから縮緬浴衣の揃いを深川仲町呉服屋中島屋惣兵衛に注文があった。当時の産地は桐生だったので、女嫌いで堅物の二十五、六になる手代茂兵衛に30両持たせて使いに出した。
江戸を発って3日目に上尾の宿に入った。中食に一膳飯屋に入ったが、中で働く二十一、二になる女性で、頭は櫛巻き化粧もなかったが実にイイ女であった。茂兵衛さんその女性が気になって発ち去る事が出来なかった。地元の三婦(さぶ)親分の事を小耳に挟み、その親分のところに頼みに行った。
女嫌いの茂兵衛なのだが、生まれて初めて素敵な人だと思った。だから半刻(はんとき=1時間)でいいのでお茶を酌み交わしたいので、こちらで会わせて貰えないかと懇願した。
その女性は品川で芸者をしていて、ここの祭りに来たが三婦親分の子分で金五郎がどうしてもと言って、親分に仲に入ってもらって夫婦になった。金五郎は質(たち)の悪い奴だし、子分の女房を紹介したとなると示しが付かないので、諦めろと言う。
諦めきれず、裏に回って井戸に飛び込もうとして、親分に止められ、祭りでアイツも金が必要だから、この30両は預かるので、ここに泊まっていけという事になった。
金五郎は女房おさんに質屋に2~3日行って金を作ってくれと、言っているところに親分が来て、「半刻話をしてやって、命を助けてやったら30両の金が入る」やってくれるか。金五郎は乗り気だが、おさんは嫌がった。「出来れば2~3日泊まって全財産巻き上げてこい」とまで言われた。女房を売ってまで、金をほしがる亭主に呆れるばかりであったが、親分に言い含められて出かけてきた。
亭主・金五郎は金さえ入れば女房さえ切り刻むのと比べ、茂兵衛は「あのお金はご主人のもので、私は思いが遂げられたら死ぬ覚悟です。」と言われ、心が”雪と炭”程違うのに気付いた。道ならぬ事ではあるが、茂兵衛と一緒にいて、どうか3日でもいいから添い遂げたいと、おさんの心がここでがらりと変わった。手に手を取って逐電するという、おさん茂兵衛の馴れ初めです。

出典:落語の舞台を歩く

【オチ・サゲ】
不明。

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『牛は牛づれ馬は馬づれ』(同類のもの、似たもの同士は自(おのずか)ら集まるということ。また、身分相応の者が集まれば巧くゆくものだということ)

【語句豆辞典】
【上尾(あげお)】埼玉県上尾市。中山道を下ると-板橋-蕨-浦和-大宮(さいたま市)-上尾。中山道第5番目の宿です。東京・日本橋から約40km弱。本陣1、脇本陣3、旅籠41、総人口793、家数182があった。

【30両】10両で首が飛ぶ時代の30両、大金です。1両8万円として、240~250万円。縮緬買い出しの軍資金として持たされた元金であったが、おさんの為スパッと使い切ってしまった。

【半刻(はんとき)】現在の1時間。”一刻”(いっとき)は(春分・秋分以外では)約2時間。その半分”半刻”は1/2ですから1時間。最小単位は”四半刻”(しはんとき)で30分です。江戸時代町方の全員が時計を持たないのでこれで充分。茂兵衛は一目惚れしたおさんと1時間のデートを30両で買った。

【この噺を得意とした落語家】
・六代目 三遊亭円生

 




牛ほめ

2009年10月04日 | 私の好きな落語
【まくら】
原話は、貞享4年(1687年)に出版された笑話本・『はなし大全』の一遍である「火除けの札」。元々は「池田の牛ほめ」という上方落語の演目

【あらすじ】
とにかく頓珍漢な言動ばかりしている与太郎。万事が世間の皆様とズレているので、父親は頭を抱えている。
今度、兄貴の佐兵衛が家を新築したと聞き、これは与太の汚名を返上するチャンスだと考えた父親は、家の褒め方をトンマな倅に覚えさせようと決意した。
「良いか、こう言うんだ…」
【結構な御普請でございます。普請は総体檜造りで、天井は薩摩の鶉木目。左右の壁は砂摺りで、畳は備後の五分縁でございますね。お床も結構、お軸も結構。庭は総体御影造りでございます】
「あぁ、そうだ。台所の柱に節穴が空いているんだが、そいつを見つけたらこう言うんだ。きっとお小遣いをくれるよ?」
【 どうでしょうか、この穴の上に秋葉様のお札をお張りになっては。穴が隠れて火の用心になります 】
「フワー、お金がもらえるの? もっと何かない?」
「現金な奴だなぁ。…そうだ、伯父さんが大切に飼っている牛があるから、ついでにそいつを褒めたらどうだ?」
【この牛は、『天角地眼一黒直頭耳小歯違』でございます】
『天角地眼-』というのは、菅原道真公がご寵愛になっていた牛の特徴。牛に対する最高の褒め言葉だ。
「フーン…。そんな事でお金になるんだ。面白いね」
「練習してみろ」
「フニャ。結構な…ゴ…普請でございますね。普請は総体ヘノキ造りで、天井は薩摩芋に鶉豆。佐兵衛のカカァはおひきずり、畳は貧乏のボロボロで…」
まるでガタガタ。仕方がないので紙に書いて与太郎に渡し、伯父さんの所に送り出した。
伯父さんのところにやってきた与太郎は、父親との練習通りに挨拶をすませ…隠し持った紙を読みながらではあるが、何とか口上を言う事に成功。
水を飲みたいと言って台所へ行き、節穴を見つけて「この穴が気になるか?」。
「大丈夫、この節穴には秋葉様のお札をお張りなさい。穴が隠れて火の用心になる」
感心した伯父さんはお小遣いに一円くれた。
「わーい、予定通りだ。じゃあ、今度は牛に行くね?」
牛小屋で『天角地眼-』とやっていると、牛が目の前でフンをポタポタ…。
「悪いなぁ、与太郎。こいつは畜生だから、褒めた人の前でも遠慮なくフンをしやがる」
その言葉を聞いた与太郎は考えた。
「おじさん、その穴…気になる?」
「如何するんだ?」
「その穴に、秋葉様のお札をお張りなさい。穴が隠れて、屁の用心になるから」

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【オチ・サゲ】
『火』と『屁』を引っ掛けた地口落ち。

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『落語家(はなしか)は世上のあらで飯を食い』

【語句豆辞典】
【秋葉様のお札】秋葉信仰は火伏せ・火防の山岳信仰。中部、関東地方を中心に広まった伝統的なもの。秋葉神社本宮は静岡県周智郡春野町の秋葉山(あきはさん・標高866m)。徳川末期には総数二万七千余社を数え全国的な広がりを持っていたが、明治の神仏分離、修験道廃止措置によって全国各地の秋葉山は神道へと転進、
名を廃するか廃絶した。

【天角地眼一黒直頭耳小歯違(てんかくちがんいっこくろくとうにしょうはちごう】牛のほめ言葉。
天角地眼:角と眼の形、角は天を向き、目は地をにらんでいる
一黒:黒いが極上
頭:頭が傾かずまんなかにある
耳小:小さい耳
歯違ふ:歯がぐいちになってるとおねおねとよく噛める

【この噺を得意とした落語家】
・三代目 三遊亭小圓朝
・四代目 春風亭柳好

 




帯久

2009年09月27日 | 私の好きな落語
【まくら】
落語の「帯久」は江戸時代のお白洲もの(おしらすもの。裁判の噺)。
何度も無利息で金を貸すなど、恩を施した相手にひどく裏切られ、腹を立てて放火しようとした老人が捕まる。今も昔も、現住建造物放火は極刑。ところが、調べてみると、人情としては被害者のほうが悪い。お奉行様はどう裁いたでしょうか?

【あらすじ】
日本橋本町三丁目に呉服屋和泉屋与兵衛が住んでいた。隣町本町二丁目に帯屋久七が住んでいた。和泉屋与兵衛さんは大変繁盛していて篤志家であったが、帯屋さんは陰気で売れなかったので、世間では”売れず屋”と呼んでいた。

 帯屋さんは3月ごろ和泉屋さんの所に無心に来て、20両の金を借りた。与兵衛は証文無しで期限も定めずに貸したが、20日程しないのにきちんと完済した。5月には30両、7月には50両、9月には70両、と借りたがやはり20日ほどで返した。11月には100両貸したがその月には返済がなかった。12月大晦日、多忙な時に返しに来たが、久七と100両を残したまま、与兵衛はすぐ出掛けてしまった。その金100両を盗んで久七は帰ってしまった。

 店中探したが当然無かった。ところが、帯屋はこの金を元手に大繁盛。一方和泉屋は一人娘と妻を相次いで亡くして、享保6年12月10日神田三河町から出た大火事で本町三丁目まで焼け、全てを無くし気力を無くして床につくようになった。
 番頭の武兵衛が分家をして和泉屋と名乗っていたが、こちらも落ちぶれて日雇いになっていた。それでも主人を引き取って介抱し、アッという間に10年が経ってしまった。快復した与兵衛は還暦を迎えていた。

 与兵衛は番頭の武兵衛に店を持たせようと、帯屋久七に金を借りに行ったが、悪態を付かれて店先に放り出されてしまった。帰る意欲もなくして、帯屋の裏に回ると離れを普請していた。そのカンナっくずにキセルを叩いた火玉が燃え移り煙が上がった。放火の罪で町方に捕まってしまった。
 役人が自身番で話を聞くと、篤志家の与兵衛のことは良く知っており、窮状に同情、不問にした上1両の金をみんなで出し合って家に返してやった。

 これを聞いて激怒した久七の方では、今回のことが元で100両の一件が露見しては、と火付けの罪で与兵衛を訴えた。
 大岡越前守はそれぞれの様子から全てを見抜いたが、現行犯でもあり免罪する事は出来なかった。与兵衛に火あぶりの刑を申し渡した。
 そこで、久七に、「100両を返しに来たが主人が出掛けたので、間違いがあってはと持ち帰ったのを忘れたのではないか」と優しく尋ねる。帯久があくまでも白を切るので、人指し指と中指を結び、「これは忘れたものを思い出すおまじないだ。勝手に解いてはならんぞ。解いたら死罪、家財没収。」と言い渡した。帯久は指が使えないのでにぎり飯しか食えず、眠れず、とうとう3日目に確かに持ち帰って、忘れていましたと申し出た。
 100両を返す。奉行は利子として、年に15両、10年で150両を支払うよう命じる。ただし100両は棚上げし50両だけをどの様に返すのか聞くと、帯久はケチって年賦として毎年1両ずつ返却するという許しを得、証文を作った。これで損はないとほくそ笑む帯久。
 火付けの与兵衛には火あぶりの刑の判決であるが、ただし50両の残金を全て受け取ってからの執行とのお裁き。驚いた帯久がそれなら今50両出すと言ったが、越前にどなりつけられ渋々納得する。
「与兵衛、その方何歳になる?」
「六十一でございます」
「還暦か・・・めでたいの~」
「還暦の祝いにこのうえない見事なお裁き、有り難うございます」
「見事と言うほどではないのだ、相手が帯屋だから少々きつめに締め上げておいた」。

出典:落語の舞台を歩く。

【オチ・サゲ】
不明。

【語句豆辞典】
【暖簾(のれん)分け】商家の番頭が妻帯して家を持たせてもらい、通い番頭となり、なお続いて勤め上げると暖簾分けといって資本も与えられ、主家(おもや=本家)と同じ屋号で独立営業を許された。これを別家という。
【本卦】本卦還り、還暦。十干(甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸)を繰り返し並べたものと、十二支(子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥)を繰り返し並べたものの組み合わせが、ちょうど六十で一巡するので、これを還暦、本卦還りという。「本卦」は「ほんけい」が正しいが、還暦の場合にのみ「ほんけ」と発音する。還暦は60年で一巡するので満年齢で六十歳、数え年で六十一歳で生まれ変わったと祝う。

【この噺を得意とした落語家】
・六代目 三遊亭圓生

 




梅若礼三郎

2009年09月20日 | 私の好きな落語
【まくら】
七代目土橋亭里う馬の高座の記憶と円喬の速記を元に、六代目三遊亭圓生が1957年(昭和32年)にまとめ上げた。5、6回を掛ける連続物であったが、2回目以降はほとんどがそれまでの噺の粗筋であることから、無駄を省いて一席完結物としたのは圓生の手柄である。

【あらすじ】
梅若礼三郎は力のある能役者であったが、ある失敗から太く短く生きようと泥棒になってしまった。決して貧乏人をいじめるような事はせず、大名、大店から盗み困った人々に分け与え、これで助かった人が何人も居た。

 神田鍋町家主万蔵店の長屋に小間物屋利兵衛が住んでいた。人物は宜しいのですが、3年越しで腰が抜けて寝たきりであった。生活は苦しかったが女房おかのは貞女で、手内職をし、夜は鎌倉河岸の街頭に立って金銭を恵んで貰っていた。11月の寒い晩、立派な身なりの御武家様にずっしりと手応えのある金子を授かった。帰って、改めると懐紙の中に小粒で9両2分が入っていた。夢のような事であったが、誤解を恐れ亭主には黙っていた。1両だけは生活の為と別にし、残りを仏壇の引出にしまった。

 それを隣に住む博奕打ち魚屋栄吉、32歳になるが魚屋は表向きで真からの博打打ちで遊び人であった。バクチですってんてんになった栄吉は長屋の薄壁からこれを見ていて、寝静まったところを見計らって、仏壇から8両2分を盗み出した。

 翌朝、朝湯に入り、質物を請けだして茅町で雪駄を買い、天王橋から駕籠で大門口に乗り付け祝儀に威勢よく2朱渡し、大門をくぐりひょいと左に曲がり羅生門河岸の馴染みの吉原池田屋に入った。
 若い衆の喜助はまだ玄関先で掃除をしていたが、1分の小遣いを貰ってビックリしている。2朱の女郎を買って1分の祝儀は驚くのも無理はない。おばさんや女郎花岡にも1分の祝儀をきって、おけらの栄吉もまんざらではない。

 翌朝、勘定書1両3分2朱のところ、盗んだ金だから気前よく2両渡し釣りはあげるという。
 主人に、使い方が派手すぎるとご注進に及び、その現金を改めると山形に三の刻印がある盗まれた金であった。
 揚屋町お加役勘兵衛さんに来てもらい相談し、花岡女郎に手はずを決めさせ見世を出た所で御用という寸法にした。
 気持ちよく見世を出た所で、お召し捕りと相成りました。              
                                                   <序>

 田町の番屋に連れて行き、加役の岩倉宗左衛門の取り調べとなった。金の出所を聞き出されると深川で博打で儲けたと言い張ったが、聞き入れられず絞めてやろうかと言うところ、勘兵衛に十手でしごかれると白状し始めた。「盗んだのではなく、隣の利兵衛の家から(阿弥陀様に断って)持ってきた。」と。
 だとすると、利兵衛が持っていた。・・・と言う事は「利兵衛は病人に見せかけて、夜仕事に出ているのであろう。逃げられるとマズイから即刻捕縛をしてこい」。

 女房おかのは病人が寝ている間にお湯屋に出掛けた。その留守にお役人が踏み込んで「利兵衛、神妙にいたせ!」。
 長屋中大騒動。月番が聞きに行ったが、ラチが明かず、家守万蔵が立ち会う事になった。「利兵衛は3年来の寝たきりで、誰が見ても病人です」。おかのさんを呼び戻し聞くと「夫には内緒で鎌倉河岸でわずかながらの銭を恵んで貰っていたが、立派な御武家さんが『ウソで涙は出ない』と言って、これだけの金を恵んでくれた。それを栄吉さんが盗んだなんて」。「その金は盗まれたもので、恵んでくれた武士の風体はいか様か」。言おうとしたが一時でも情けをかけてくれた恩人、自分の口でお縄が掛かったら恩を仇で返す事になるからと心に誓い「夜の事で歳も人相も良く分かりません」。「立派な御武家だと先ほど言ったが・・・」、「分かりませんものは分かりません」、「この者を取り調べねばならぬ。縄を打て」。と役所に連行されてしまった。
 長屋連中も心配して、神仏にすがるより他無いからと、両国垢離場(こりば)に出掛ける事になった。
                                                   <中>

 両国垢離場に着いたが、12月の末であったから、水に入っただけでも寒く、身体の芯まで冷え切ってしまった。居酒屋両国という有名な縄ノレンに入って『サイ鍋』で暖まった。
 そこにクズ屋さんの一行が入ってきた。四方山話をしている話の中に「正直にしていれば『天道人を殺さず』だよ。」と言うのを聞きつけて「そんな事はない。貞女が病人の亭主を看病し、正直で通っている人にお縄を付けて引っ張って行くなんてどうゆう訳だ。」、「その話を聞かせてください」、「聞きたければ、一杯出しな」。
 一通りの話を言って聞かせていた。
 衝立の向こうで二六・七の色白のイイ男がチビチビとやりながら聞いていたが、「飲ませるからこちらに来て、話を聞かせてくださいよ」。女の風体を聞き出して、納得した様な顔で「その金をやったのはこの俺だよ」、「冗談でしょ。相手は御武家さんだと言ってました」、「私は役者だから、何にでも化けられる」、「ほぉ」、「傷のない金をやるから、飲み直そう」。と言う事で次の店に出掛けた。
 利兵衛には20両、この男には5両やって、これからすっかり支度をして、北の町奉行・島田出雲守様に訴え出て、貞女おかのを助け出すという梅若礼三郎です。

出典: 落語の舞台を歩く

【オチ・サゲ】
落ちナシ

【語句豆辞典】
【雪駄(せった)】竹皮草履の裏に牛皮を張りつけたもの。千利休の創意という。
【家守(やもり)】大家。長屋を守る管理人。

【この噺を得意とした落語家】
・六代目 三遊亭圓生

 




今戸の狐

2009年09月13日 | 私の好きな落語
【まくら】
乾坤坊良斎が自分の体験を弟子の良輔(2)に託して創作したもの。初期の落語家の暮らしが描かれた佳作。

【あらすじ】
江戸の中橋に名人初代三笑亭可楽が住んでいた。その門下に若い二つ目の良助がいた。寄席の上がりだけでは生活が出来ない上に、通い弟子なので暮らしに困りはてていた。師匠は厳しく内職を禁じていたので、芸人の見栄もあるために、我慢をしていた。
 良助は橋場に住み、向かいの背負(しょ)い小間物屋善吉の女房おサイさんは、千住の女郎上がりの女だが、出身にも似ず働き者で近所の評判もよく、千住(せんじゅ=コツ)の妻(サイ)と愛称されていた。

 コツのサイさんは今戸焼の狐の彩色(さいしき)の内職をやっていた。教えを請うと親切に教えてくれた。良助も器用だったので直ぐ習得して、雨戸を閉めて人目を避け、引き窓からの明かりを頼りに狐を作った。朝 、師匠の家へ行って用をたして帰り、夕方寄席へ出かけるまでの間、せっせと内職をした。

 当時、可楽は飛ぶ鳥を落とす勢いで人気が出ていた。可楽が出ると周りの寄席の客足が途絶えるほどであった。寄席がはねると弟子が売り上げをもって中橋の可楽の家まで持って帰り、各出演者に小分けするのが仕事の一つであった。それが何軒も掛け持ち出演しているので、小銭の配分に手間が掛かった。誰それさんいくらとの声で、前座が「はい」チャリチャリンと分けていった。この音が夜更けて来ると響いた。

 ある夜、雨宿りで軒先に立ち寄ったやくざが、この銭の音を聞きつけた。この音をサイコロの狐をご開帳とにらんで、翌朝可楽の家に乗り込んだ。可楽に対し、素人が博打を打つとは不届きだが、見逃してやるから口止め料を出せとゆする。可楽は私は博打が大嫌いで、それは何かのお間違いでしょう、弟子にも厳禁している、とんだお門違いだ、帰ってくれと、奥へ入ってしまう。
 怒ったやくざは、狐ができていることはさぐってあるのだと、内弟子にすごむ。
 三つ賽博打の狐のことを、焼き物の狐と勘違いした内弟子は、それなら橋場でこしらえていると、良助の住まいを教える。「だったら少しはこさえてくれるな」、「勿論ですとも」。「夕方まで待つか」、「いえ、朝からやっています」。

 やくざに訪ねてこられた良助は、大慌わてで人形や道具を隠して迎え入れ、その慌てぶりにヤクザは賭場が開かれているのを確信する。狐などできていないと否定するが、内弟子に聞いてきたといわれて、やむなく肯定する。
 「やはり狐(三つ賽博打)ができている(賭場が開かれている)」と安心するやくざ。
 「それだったら、時々寄るから、少しこさえてくれ(金の無心をする)」、「少しでは困るんです。(注文は)多い方がいいので」 と良助、「それは有り難てぇ~」。
 「で、出来はどうだい」、「最近やっと顔が揃うようになりました」、「そうかい、顔が揃う(上客の顔ぶれが揃う)ようになれば後は楽だ」。
 「(博打の規模が)大きいのか」、「え・・・、 (狐の)大きいのも小さいのもあります」。
 「金張り銀張り(の狐)が有ります」、「え~、それは(高額の賭けで)豪儀だ」。
 「今、静かだが(賭場が)出来ているのか」、「出来てます」、「どこで」、「戸棚の中に」 、「??」。
 「ちょっと見せてもらおうか。ぶち壊す(賭場を荒らす)ようなことはしないから」、「壊されたら困ります」。
 「お見せします。こちらが大きいの。こちらが小さいのです。これが金張りでこちらが銀張りです」、「なんだこれは」、「だから狐です」、「馬鹿野郎、狐は分かっていらぁ。泥の狐を探しにこんな所まで来たんじゃねぇや。俺の 言っているのは骨(こつ)の采(さい)だ」。
 「千住(コツ)の妻(サイ)はお向かいのおかみさんでございます」。

出典: 落語の舞台を歩く

【オチ・サゲ】
仕込み落ち(噺のはじめのマクラか噺の中でオチになるものを十分に説明しておくもの)

【語句豆辞典】
【千住】 千住宿は、大千住・千住本宿とも呼ばれる上宿(かみじゅく。北千住)と、小塚原町と中村町の下宿(しもじゅく。南千住)から成る。下宿から山谷までの草原が刑塚のあった小塚原で、「こづかっぱら」「こつかっぱら」と発音し、骨(こつ)とも発音した。鈴が森と並ぶ江戸の公開処刑場であった。
【今戸焼】浅草・今戸辺りの瓦焼きの職人が江戸初期に始めた楽焼。今戸神社に飾られる招き猫があり、ここから生まれたという説もあり、火鉢、狸、七福神、蚊取り線香の豚などもあるが、この噺の狐、次回の「今戸焼」に登場する福助、それに「お多福」と呼ばれる姉様人形の三つが特に名高い。

【この噺を得意とした落語家】
・五代目 古今亭志ん生
・三代目 古今亭志ん朝

 




宿屋の仇討

2009年09月06日 | 私の好きな落語
【まくら】
このはなしには、大阪種と東京種と二通りあり、ここに載せたのは三代目三木助がやっていた大阪種。東京種は「庚甲待ち」「甲子待ち」といい、江戸は日本橋馬喰町の旅籠屋で庚甲待ちで一日店を休んで、大勢が集まってとりとめのない話をしている。そこへのっぴきならない大切な客が来たので番頭が断りきれずに泊めた。以下は大阪種と同じである。上方種では本来侍の名前を万事世話九郎といった。原話は天保ごろ板「無塩諸美味」所載の「百物語」。

【あらすじ】
夕刻ともなると宿場では客引きに余念がない。三十二・三にもなるお武家さんが神奈川宿は武蔵屋さんの前に立った。名前を万事世話九郎といい、前日は相州小田原の宿では回りがうるさかったので眠れず、狭い部屋でも良いから静かな部屋をと言うことで、イタチと勘違いされた伊八(イハチ)に案内されて投宿した。

 その後に来たのが魚河岸の源兵衛、清八、喜六の江戸っ子三人連れ。金沢八景でも見物するのか懐は重く足は軽いという。しじゅう三人連れだからと挨拶して入ると、宿側は残りの四十名様はどうなっているかと言えば、我々は始終この三人連れだ。
 まるで火事場に来ているような派手な大声で、先ほどのお武家さんの隣の部屋に入った。良い酒と生きの良い肴を用意し、芸者を3人ばかり用意してくれとの注文。夜っぴて騒ぎ始めたが、驚いたのは隣の侍。
 手を叩いて「イハチー、イハチ~~」、「何のご用でしょう」、「入る時に言ったであろう。相州小田原の宿では・・・、間狭な部屋でもいいから静かな部屋をと」、「今は満室になっていまして、替わる部屋がないので、隣を静かにしてくるので、ここでご勘弁を」。

 隣の3人組に事情を話し、静かにと頼んだが、啖呵を切られて逆襲された。しかし、侍と聞いて芸者も帰し、布団を引かせ寝物語を始めた。
 江戸に帰れば相撲が始まるな。と言うことで、仕方話になり、立ち上がって相撲を取り始めた。残った相棒がお盆を持って「ハッケヨイ、ノコッタ、ノコッタ」。ドッシンバッタン、バリバリ、メリメリメリ。
 隣の侍、手を叩いて「イハチー、イハチ~~」、「何のご用でしょう」、「入る時に言ったであろう。相州小田原の宿では・・・、間狭な部屋でもいいから静かな部屋をと」、「今は満室になっていまして、替わる部屋がないので、隣を静かにしてくるので・・・」。

 「今度は大丈夫。静かに寝るから」。「力の入らない話なら良いのだ。女の話なら良いが、そんな奴は居ないよな」、「冗談じゃない」、「源ちゃん出来るのかい」。
 「『人を2人殺めて、金を300両取って、この方3年分からない』と言う色事はどうでぇ~。俺が3年前脚気で体を壊し、川越に養生に行っていた。そこが小間物屋だったので手伝っていたが、ある時石坂さんという武家の家に品物を届けた。ご新造さんが出てきて、『上がってくりゃれ』というので上がり込んだ。話をしていて気が合ったのだろう、ふとした事から割れぬ仲になった。と、思いねぇ~」、「思えない。美人のご新造さんとじゃぁ、なお思えない」。
 「その内、石坂さんが居ない留守を見計らって出かけた。お酒をやったり取ったりしていたら、弟石坂大介が『不忠者めがー』と刀を抜いて追いかけてきた。大介は庭に降りた時足を滑らせ倒れ刀を投げ出してしまった。それを拾って『エイ、ヤ~』と叩き殺してしまった。これを見たご新造さんが血相変えて部屋に戻り、300両差し出して『私を連れて逃げて』というが、足手纏になるのでその刀でご新造さんも斬り殺してしまった」。「それはむごいねェ」、「追っ手の付く身だ。その位しないと逃げられない。人を2人殺めて、金を300両取って、この方3年分からない。どうせやるなら、この位の事はしないとな」。
 「源さんはすごいね。色事師だね」、「♪源さんは色事師」、「♪色事師は源さん。テンテンテレスケ、テレスケテン。色事師は源さん!」。

 隣の侍、手を叩いて「イハチー、イハチ~~」、「何のご用でしょう」、「部屋の中に入れ。宿に入る時に言ったであろう。」、「相州小田原の宿では・・・、間狭な部屋でもいいから静かな部屋をと」、「黙れ黙れ。名前を万事世話九郎と言ったがそれは仮の名。川越の藩士・石坂段右衛門と申し、先年妻と弟を殺され、その仇を捜していた。今日ここで見つけることが出来た。源兵衛がここに来て討たれるか、わしがそちらに行って討つのが良いか、源兵衛に申し伝えよ」。

 「えらいことになったぞ」。
 「♪源さんは色事師」、「♪色事師は源さん」とまだ手を打ってはやし立てていた。開けると「もう寝るから勘弁してくれ」、「もう寝なくて結構です。この中に源兵衛さんはいらっしゃいますか。そうですか、貴方が2人殺したのですか」、「お前、廊下で聞いていたな」。「お隣のお侍さんは石坂段右衛門と申し、貴方は仇で切られに行くか、それともお侍さんがここに来るか、どちらになさいますか」。
 「違うんだ。これは江戸両国の小料理屋で聞いた話で、おもしろい話だから何処かでやりたいと思っていたのが、ここで『色事の出来る奴は居ないから』と言われたので、ムキになってしただけ。俺は何にもしていないんだ」。「困った人だ。そのお陰で私ら寝ることが出来ない。分かりました、隣に行って話してきます」。

 「お隣の源兵衛という人は、そんな度胸のある人間ではなく、ブルブル震えています」、「黙れ、いったん口から出した話を引っ込めるなんて、これからそちらに行って血煙を上げてつかわす」、「血煙はいけません。変な噂が立つとこの宿の信用に関わります」、「それはもっとも。それでは明日出会い仇と言うことで宿外れで成敗してくれる。それまではここに預けるが、3人共逃がしたらこの宿の者全員の血煙を覚悟せよ」。

 と言うことで、3人共縄でぐるぐる巻きに縛り上げられ、宿の者に監視されながら、涙を流し朝を迎えた。その点お武家様は豪胆で高いびきでお休みになってしまった。

 朝、お武家様は気持ちよく目覚め、宿の伊八の挨拶を受けていた。隣の唐紙を開け、グルグル巻きの3人を会わせた。「真ん中にいるのが源兵衛です」、「大変戒められているが、どんな悪いことをしたのか」、「いえ、宿では悪いことと言えば、裸で踊っただけですが、あの源兵衛が貴方の奥様と弟様を殺したという仇です」、「何かの間違いではないか。わしは未だ妻を娶ったことはない」、「いえ、思い出してくださいよ。奥様と弟様を2人殺めて、金を300両取った。その仇です」、「あはは、あれは座興じゃ」、「え!私らみんな寝ずに監視してたんですよ。何でそんなくだらない冗談を言ったんですか」。
 「あの位申しておかんとな、拙者の方が夜っぴて寝られない」。 

出典: 落語の舞台を歩く

【オチ・サゲ】
途端落ち(終わりの一言で話全体の結びがつくもの)

【語句豆辞典】
【神奈川宿】 慶長6年(1601)に成立し、江戸日本橋から品川・川崎に次ぐ3番目の宿場。金川宿とも記される。

【この噺を得意とした落語家】
・三代目 桂 三木助
・五代目 柳家小さん

 




夏の医者

2009年08月30日 | 私の好きな落語
【まくら】
原話は、明和2年(1765年)に出版された笑話本・「軽口独狂言」の一遍である『蛇(うわばみ)の毒あたり』。

【あらすじ】
暑い夏…。鹿島村の勘太もダウンしたのか、ご飯を茶碗に七、八杯しか食べることが出来ない。「もう歳だから」と息子が心配していると、見舞いに来たおじさんが「隣の一本松村の玄伯先生に往診してもらえば」と言う。
それを聞いた息子はおじさんに留守を頼み、ばっちょう笠に襦袢一枚、山すそを回って六里の道を呼びに行った。
汗だくになって訪ねてみると、玄白先生は畑で草取りの真っ最中。早速頼み込み、息子が薬籠を背負って二人で村を出発した。
「山越えのほうが近道だべ」 先生がそう言うので、二人で山の中をテクテク。山頂に着いたときには二人とも汗びっしょりになっていた。
そこでしばらく休憩し、さぁでかけよう…とした所で、なぜかあたりが真っ暗になった。周囲はなぜか温かい、はておかしいと考えて…。
「こりゃいかねえ。この山には、年古く住むウワバミがいるてえことは聞いちゃいたが、こりゃ、飲まれたかな?」
「どうするだ、先生」
「どうするだっちって、こうしていると、じわじわ溶けていくべえ」
うっかり脇差を忘れてしまい、腹を裂いて出ることもできない。
どうしようかと考えている先生の頭に、あるひらめきが舞い降りた。
息子に預けた薬籠を渡してもらい、中から大黄の粉末を取り出すと、ウワバミの腹の中へパラパラ…。『初体験』の大黄に、ウワバミは七転八倒…ドターンバターン!
「薬が効いてきたな。向こうに灯が見えるべえ、あれが尻の穴だ」
ようやく二人は下されて、草の中に放り出された。
転がるように山を下り、先生、さっそく診察すると、ただの食あたりとわかった。
「なんぞ、えかく食ったじゃねえけ?」
「あ、そうだ。チシャの胡麻よごし食いました。とっつぁま、えかく好物だで」
「それはいかねえ。夏のチシャは腹へ障(さわ)ることあるだで」
薬を調合しようとすると、薬籠はうわばみの腹の中に忘れてきてない。
困った先生、もう一度飲まれて取ってこようと、再び山の上へ登っていく。
一方…こちらは山頂のウワバミさん。下剤のせいですっかりグロッキーになってしまい、松の大木に首をダランと掛けてあえいでいた。
「あんたに飲まれた医者だがな、腹ん中へ忘れ物をしたで、もういっぺん飲んでもれえてえがな」
ウワバミは首を横に振っていやいや。
「もういやだ。夏の医者は腹へ障る」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【オチ・サゲ】
地口落ち(会話の調子で間抜けなことを言って終わるもの。また奇想天外な結果となるもの)

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『上手にも 下手にも 村の一人医者』
『とは知らず さて留守中は お世話さま』
『語るなと 人に語れば その人は また語るなと 語る世の中』

【この噺を得意とした落語家】
・六代目 三遊亭圓生
・二代目 桂 枝雀
 


rakugo:summer doctor 落語:夏の医者



紙入れ

2009年08月23日 | 私の好きな落語
【まくら】
いわゆる「艶笑落語(バレ噺)」であり、原話は安永三年の「豆談義」に収録されている「かみいれ」。

【あらすじ】
貸本屋の新吉は出入り先のおかみさんに誘惑され、旦那の留守中に上がり込んでいちゃいちゃしていた。そんな時にいきなり旦那がご帰宅、慌てた新吉はおかみさんの計らいで辛うじて脱出に成功する。
だがこともあろうに新吉、旦那からもらった紙入れを、現場に忘れてきてしまう。しかも、紙入れの中にはおかみさん直筆の『遊びにいらっしゃい』という手紙が入っている――絶体絶命である。
焦った新吉は逃亡を決意するが、ともかく先方の様子を探ろうと、翌朝再び旦那のところを訪れる。
出てきた旦那は何故か落ち着き払っている。変に思った新吉は、「他の家の出来事」と称して昨夜の出来事を語ってみるが、旦那はまるで無反応。ますます混乱した新吉が考え込んでいると、そこへ浮気相手のおかみさんが通りかかる。
旦那が新吉の失敗を話すと、おかみさんは「浮気するような抜け目のない女だよ、そんな紙入れが落ちていれば、旦那が気づく前にしまっちゃうよ」と新吉を安堵させる。
旦那が笑いながら続けて「ま、たとえ紙入れに気づいたって、女房を取られるような馬鹿だ。そこまでは気が付くまいて」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【オチ・サゲ】
間抜落ち(会話の調子で間抜けなことを言って終わるもの。また奇想天外な結果となるもの)

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『町内で 知らぬは 亭主ばかりなり』
『とは知らず さて留守中は お世話さま』
『語るなと 人に語れば その人は また語るなと 語る世の中』

【この噺を得意とした落語家】
・五代目 古今亭志ん生
・六代目 三遊亭圓生
・五代目 柳家小さん
 




たらちね

2009年08月16日 | 私の好きな落語
【まくら】
「たらちね(垂乳根)」は「母親」「親」にかかる枕詞。言葉のていねい過ぎることから起こる滑稽噺。江戸時代の終わり頃に、上方落語を江戸に移入したもので関西では延陽伯 (えんようはく) の名前が付けられている。

【あらすじ】
ある長屋に住む八五郎。大家さんに呼ばれ、「店賃の催促かい?」と勘ぐりながら戦々恐々と伺ってみれば、何と縁談話。相手の娘の『歳は二十』で『器量良し』、おまけに『夏冬のもの(季節の衣類・生活道具)いっさい持参』という大盤振る舞い。
独り者には願ってもない縁談、しかし話がうま過ぎる。不審に思った八五郎、大家さんに問いただしてみると、やはりこのお嬢さん『瑕』があった。
父親が漢学者で、厳格な親に育てられたせいで『言葉が改まりすぎて――つまり馬鹿丁寧になってしまい、言うことが何が何だかわからなくなった』。かく言う大家も、先だって彼女に道で出会った途端『今朝は怒風激しゅうして、小砂眼入し歩行為り難し』とあいさつされ、仰天したらしい。
とっさに意味もわからず困った大家、そばの道具屋の店先に箪笥と屏風があったので『いやはや、スタンプビョーでございます』と答えて煙に巻いたという(タンスとビョーブをひっくり返して並べた。無論、意味はない)。
大笑いした八五郎、「そんなもの、言葉のぞんざいな俺の所にいればすぐに直る」と喜んで、嫁にもらうことにした。
気の早い話で、その日のうちに祝言をすることになり、早速床屋と銭湯に行って身奇麗にしてきた八五郎。七輪を取り出し、火を熾しながら夫婦生活に思いをめぐらせた。差し向かいで飯を食う様子を妄想したり、果ては気の早い夫婦喧嘩の一人芝居をする始末、世話を焼いてくれる隣のおかみさんをあきれさせる。その内、表が何だか騒がしくなって来る。
チャラコロチャラコロ……
大家さんが雪駄、お嬢さんが駒下駄でも履いて来たのかと、大喜びで飛び出すとそこにいたのは何と下駄と雪駄を片っ方ずつはいた乞食。大騒ぎをしていると、そこへ今度こそお嬢さんがやってきた。話に偽りなく美人のお嬢さんに、八五郎は大喜び。
さて、大家さんが帰ってしまい、二人きりになった所で八五郎がご挨拶。すると、お嫁さんの返事はとんでもないものだった。
「賤妾浅短にあって是れ学ばざれば勤たらんと欲す」
訳がわからない。動揺しながらも名前を訊くと……
「自らことの姓名は、父は元京都の産にして、姓は安藤、名は慶三、字を五光。母は千代女と申せしが、わが母三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴を夢見て妾を孕めるが故、垂乳根の胎内を出でしときは鶴女、鶴女と申せしが、それは幼名、成長の後これを改め、清女と申し侍るなり」
両親の出自から自らの誕生秘話、幼名と改名に至るまで、全部漢文調で淀みなく並べ立ててのけたから大変である。八五郎にはさっぱりわからない。
あ然としつつも紙に書いてもらい、早速読んでみた八五郎。しかし、途中から読経の節になってしまい、最後には「チーン、親戚の方からどうぞご焼香を」。
そうしてともかくも「カラスカァで夜が明けて」……
お清、さすがに妻としてのたしなみで、夫より早く起き出して朝食を用意し始める。ところが、米がどこにあるか解らないので、寝ている八五郎のところへ尋ねに来た。
『アァラ、わが君!』。
八五郎もびっくり、「そのうち『我が君のハチ公』だなんて変なあだ名がつくから止めてくんねえ」と苦情を言い、何事かと訊くと「シラゲの在り処、いずくんぞや?」。
米の場所一つを教えるのに汗だくになった八五郎はまた寝てしまう。お清さんの方は料理を再開するが、今度は味噌汁の具がなくて困った。悩んでいるとそこへ八百屋が行商にやってくる。
「これこれ、門前に市をなす商人、一文字草を朝げのため買い求めるゆえ、門の敷居に控えておれ」
芝居がかった言葉につい釣られ、八百屋が「はぁはぁー!」と平伏してしまう。
そんなこんなでご飯になった。八五郎を起こす。
「アァラわが君。日も東天に出御ましまさば、うがい手水に身を清め、神前仏前へ燈灯(みあかし)を備え、御飯も冷飯に相なり候へば、早く召し上がって然るべう存じたてまつる、恐惶謹言」
今度は八五郎が釣られて
「飯を食うのが『恐惶謹言』、酒なら『依って(=酔って)件の如し』か?」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【オチ・サゲ】
地口落ち(話の最後の方で登場人物が何か言った言葉にだじゃれ=地口を返して終わるもの)

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『思い立ったが吉日』
『一人(ひとり)口(ぐち)は食えぬが二人口(ふたりぐち)は食える』
(生活するには、独身でいるよりも世帯をもったほうが経済的に得策であるということ。)
『一人で寝るのは寝るのじゃないよ 枕かついで横に立つ』

【語句豆辞典】
【今朝は怒風激しゅうして、小砂眼入し歩行為り難し(こんちょうはどふうはげしゅうして、しょうしゃがんにゅうしほこうなりがたし)】今朝は風が強く、目に砂が入って歩きにくい。
【賤妾浅短にあって是れ学ばざれば勤たらんと欲すし(せんぎょくせんたん~】ふつつかで無学ではありますが、勤勉にお仕え申し上げたく存じます。
【たらちね】和歌で『母』にかかる枕詞。漢字では『垂乳根』と書く。
【一文字草 】長ネギ。
【恐惶謹言(きょうこうきんげん)】かつて、手紙の末期につける挨拶語で、意味は『恐れかしこみ、謹んで申し上げる』。
【依って件の如し】証文などの末尾に書く言葉で、『右(本文)に書いたとおりである』という意味。

【この噺を得意とした落語家】
・三代目 三遊亭金馬
・八代目 春風亭柳枝
・六代目 三遊亭圓生
・五代目 柳家小さん
 




いかけ屋

2009年08月09日 | 私の好きな落語
【まくら】
上方落語の演目。桂春團治のお家芸でもある。東京では二代目桂小南が得意としていた。鋳掛屋とも表記。

【あらすじ】
いかけ屋が道端で火を起こして店を出そうとするところに、近所の悪ガキ連中が「いかけ屋のオッタ~ン。」と奇声をあげてやってくる。「ほおら、きやがった。ここいらのガキはどないしょうもない。」と、いかけ屋は気が気ではない。
案の定、子供たちはいかけ屋を取り囲み、「おったん。えらい御精が出まんな。」「そのプウプウ火起こしてンのはどういう目的じゃ。」「オッタン、あんさん細君ごわすか。」と次々と下らない質問してきては、いかけ屋の反応を楽しんでいる。「どうぞ、たのむからあっち行ってくれ。おっちゃん、仕事でけへん。」と言っても去るどころか、ますます調子に乗ってなぶりにかかる。
そこへ悪ガキの大将と称するのが来て、「こら、おやじ!」流石にいかけ屋も切れて「おやじ!おい、言い方気イつけよ。もっとおっちゃんとか、オッタンとか可愛らしゅう言えんのか。アホンダラ。」とやり込めるが、「何ぬかしやがんねん。このヘタ。」と平気なものである。「ヘタ!?人間に真中やヘタあってたまるかい。何の用やねん。」聞けば石ほじくるさかい金槌貸せという。「アホンダラ。そんなものに貸せるかい。貸すから、家帰って、おのれの鍋や釜に穴開けて来い!」「そんなことしたら、おっ母さんこわいがな。」「何言うか。それくらのことできんで、一人前の悪さになれるかい。おっちゃん、おまえらのころ、よう鍋釜、ボーン、ボーン金槌でいわして穴開けとったわい。」「ははあ、そンで大きゅうなって直しに回ってんのやな。」と完全に一本取られる。
「貸せ。貸せ言うとんのじゃい。貸さんかったら火イ消すぞ。」「おっちゃんが苦労しておこした火どう消すねん。」「…へへへ。小便で消したろか。」「何。やれるもんならやってみ。」「ああ。何でもないこっちゃ。おい、市松ちゃんに、虎ちゃんに、みな来い。みな来い。」ジャジャージャアジャア。
「あああ…ホンマに消しよった!…こらあ~。」
いかけ屋の嘆きをあとに悪ガキたちは次の標的、うなぎ屋をめざして駆けて行くのであった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【オチ・サゲ】


【語句豆辞典】
【いかけ屋】壊れた鍋釜を修理するリサイクル業者。道端で火を起こして頼まれた修理を行っていた。

【この噺を得意とした落語家】
・三代目 桂春團治
・二代目 桂 小南
 


桂春團治 いかけ屋



口入屋

2009年08月02日 | 私の好きな落語
【まくら】
上方落語の演目の一つ。東京でも「引越の夢」という題で演じられる。原話は、寛政元年(1789年)に出版された「御祓川」の一編である「壬生の開帳」。

【あらすじ】
船場にあるとある大店に、口入屋から絶世の美女が女中奉公にやってくる。
この店には若い者が多いため、間違いが起きぬようにと言う店の方針で、今まで来ていたのは変な顔の女中ばかり。とうとう堪え切れなくなった一番番頭が、女中を頼みにいく役を仰せつかっている丁稚の定吉を買収し、美女が来るように仕組んだのだ。
さて、絶世の美女がやってきたおかげで店中が大興奮。特に張り切った一番番頭の手回しでその日は早仕舞になる。
その夜、みんなが寝静まったのをみはからい、二番番頭が起きだして下女部屋に忍び込もうとした。
ところが、そんな事態を想定していたおかみさんの一存で梯子は二階に引き上げられている。
困った彼は、一階と二階を貫いている膳棚を梯子代わりにすることを思いついたが、壊れていたのか手をかけた途端に棚が崩れ落ち、二番番頭は棚を肩で支える羽目になってしまった。
しばらくして、今度は一番番頭が起きだしてくる。やはり梯子が無いため膳棚を足掛かりにしようとし、二番番頭と同様に棚を担ぐ羽目になってしまった。
またしばらくして、今度は手代が起きだしてくる。梯子が無いのを確認した彼は、天窓のひもを伝って二階へ上がっていくことを思いついたが、彼がぶら下がった途端に紐が切れ、手代は井戸の中へ落ちてしまった。
三者三様で困っていると、騒ぎを聞きつけたおかみさんが灯りを持ってやってくる。困った二人の番頭は、棚を担いだままタヌキ寝入りをすることに…。
「あらあら、何をやっているの?」
「引っ越しの夢を見ておりました…」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【オチ・サゲ】


【語句豆辞典】
【口入屋(くちいれや)】現在の職業紹介所。


【この噺を得意とした落語家】
・二代目 桂 枝雀
 



兵庫船

2009年07月26日 | 私の好きな落語
【まくら】
原話は、文化年間に出版された笑話本『写本落噺桂の花』の一遍である「乗り合い船」。
別題は『五目講釈』や『桑名船』など。主な演者として、東京の5代目三遊亭圓楽や上方の6代目笑福亭松鶴などがいる。

【あらすじ】
八と熊、そして与太郎の三人が旅に出た。お江戸日本橋七ツ立ち、京都大阪を見物し、四国へ向かって金比羅参り。
その帰り道、兵庫と神戸の境にある、鍛冶屋町の浜というところに来て…。
「出すぞぉ、出すぞぉ…」
「待ってくれーぇ!!」
船に乗って、渡し場からツー。こうなると船頭も乗客も心が落ち着き、勝手な話をやり始める。
「あんさん、兄さんは江戸っ子でしたな」
「ええ、八五郎と申します。何でしょうか?」
「いやぁ、あまりにも退屈ですからな、ひとつ、謎かけでもやろかと思いましてな」
まずは難波っ子から出題。
「まずは、伊呂波の『イ』からいきまほか」
「『イ』のじ。へぇ、あげましょう」
「これをもろて、茶の湯の釜ととく」
「その心は?」
「炉の上にあり…どうでっしゃろか?」
「面白いですなぁ」
八公はそれを受けて、朝露と解いた。
「ほぅ、その心は?」
「葉の上にあり、どうでしょうか?」
こんな感じで『ニ』・『ホ』とやっているうちに、横で見ていた与太郎が「あたいもやりたい」と言い出した。
「『ニ』を受けて、褌の結び玉の上…」
「おもろ解きまんな、そのこころは?」
「屁の上!」
「くだらない事を言うな!」
わぁわぁ言っているうちに、なぜか船がぴたっと止まった…。
「船頭さん、如何したんだい?」
「いやぁ、あんさんがた、えらい事になりましてな」
なんと、このあたりの船には悪い鮫が大量におり、そいつが船を見込んで止めたというのだ。
「何とかしろ!」
「船の中のどなたかが、海の中に飛び込んでもらうしか…」
その者を見分けるには、乗客のめいめいが持ち物を海へ投げ込み、沈むか浮くかで『生贄』を見分ける…。
「浮けば助かり、沈めば魅入られたと諦めてドボン? トホホホホ、えらい事になっちゃったなぁ」
「八っつぁん、沈んだ!!」
「何!? 与太郎、何を放り込んだんだ?」
「煙管」
「馬鹿!! 鉄を放り込んだら沈むだろ!」
みんなが持ち物を放り込んでいった。そんな中、みよし端に座っていた、40がらみの男が投げた扇子がブクブクと沈んだ…。
「悪いんだが、沈んでくれないかなぁ?」
「これも災難だと諦めて、皆さんのために沈みましょう。しかし…その前に、ひとつお願いがあるんです」
「お願い? 何?」
男は旅回りの講釈師。死ぬ前に、皆さんに一席聞いてもらいたい。
「講釈師、名前は?」
「はい、一龍斎貞山の弟子で…」
「おぅ」
「一龍斎貞船と申します」
「テイセン? 船が止まるわけだ」
船端をシャク台にみたて、貞船先生の講釈が始まった。
「では、『五目講釈』という物をやらせていただきます」
「五目? 何だよ」
「いろいろな講釈を張り混ぜにしたものです」
「面白いな、やってみろ」
「はい、では…」
ころは元禄十五年、極月中の十四日打ち立つ時刻丑三つの軒の棟木に降り積もる…とやりはじめたが、途中からおかしな事になってくる。
突然吉良邸が安宅関になって武蔵坊弁慶が登場し、扉が開いたら赤間源左衛門が出てきたり…。
(パパン・パン!)「初音の鼓たずねんと、はるばる来るは紀伊の国。(パパン・パン!)粋な黒塀見越しの松に(パパン・パン!)あだな姿の洗い髪(パパン・パン!)、やぁやぁ宮さん何処行くの?(パパン・パン!)」
五右衛門が出てきて辞世の句を『石川や 浜の真砂は尽きるとも むべ山風を 嵐というらむ』…。
「凄い講釈だねぇ。本当に張り混ぜになってるよ。あれ? 鮫がいねぇぞ!!」
船はスーッと動き出した。そのまま安治川へ入って、陸に上がってみんなで祝杯…と、人間様のほうはこれで住んだが、済まないのが鮫のほう。
「何で逃げたんだ!? たかだか講釈師の一人で情けない!!」
「あれ、講釈師!?」
あんまり講釈師がバタバタ叩いたので、鮫は蒲鉾屋と間違えたらしい。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【オチ・サゲ】


【この噺を得意とした落語家】
・六代目 笑福亭松鶴
・二代目 桂 枝雀
 



初天神

2009年07月19日 | 私の好きな落語
【まくら】
毎年1月25日に天満宮で行なわれる年の初めの祭りに出かけた、父親と息子の絆を描いている。松富久亭松竹の作と伝わっており、3代目三遊亭圓馬が大正期に上方落語の作品を東京落語に移植した。また、上方落語でもこの演目は演じれら続けている。
正月に好んで披露される作品である。
息子に振り回されて困惑気味の父を、やや冷めた目線でシニカルかつ風刺的に描いている。ダスティン・ホフマン主演の名作映画『クレイマー、クレイマー』(1979年)にも通ずる世界観が秀逸である。
またそれぞれのエピソードごとにオチがあり、どの箇所でもサゲられるようになっていて、時間調整が効く噺という利点もある。このため最後のエピソードまで演じられることはそれほど多くはない。

【あらすじ】
良く晴れた1月25日、男が天満宮に参拝に出掛けようとした。すると女房は息子の金坊も連れていってくれと頼む。男は息子が物を買ってくれとうるさくせがむのが分かっており、乗り気ではなかったのだが折悪しく外から息子が帰ってくる。どうしても付いていきたいと懇願する息子をつっぱねると、ヘソを曲げた息子は隣の親父のうちへ出かけて行く。『面白い話聞きたくな~い?あのね、昨日の夜の、うちのおとっつぁんとおっかさんの、おはなし』そんな事を外で話されては堪らないと、大慌てで息子を連れ戻した男は、渋々息子を初天神に連れていくのだった。

天満宮への道を歩きながら、父は息子に買い物をねだるなと念を押す。しかし息子は「ね、おとっつぁん、今日はおいらあれ買ってくれーこれ買ってくれーっておねだりしないでいい子でしょ」「ああ、金坊はいい子だよ」「ねっ。いい子でしょ。ごほうびに何か買っておくれよ!」これではいつもと同じである。様々な果物を買えと催促するが、父は「体に毒だから」と無理な理屈で拒否する。しかし、息子が余りに煩いので口塞ぎの為に、止むを得ず飴玉を買い与える。飴を与えられて御機嫌の息子は、飴を舐めながら歌を歌う。

二人は天満宮の参拝を終えた。息子は、凧を買ってくれるよう催促する。「あの1番大きいのがいい」「馬鹿だな、ありゃあ店の看板だい」「売り物ですよ。坊ちゃん、買ってくんなきゃあすこの水溜りに飛び込んで着物汚しちまうってお言いなさい」「変な入れ知恵すんねえ!」しぶしぶ凧を出店で買い与え、天満宮の隣に有る空き地に息子を連れて行く。

凧揚げに関しては少年時代腕に覚えがあったと息子に自慢しつつ、父はまず自分がと凧を揚げる。そのうちすっかり夢中になってしまい、凧を揚げさせてくれと脇から催促する息子を「うるせえっ!こんなもなァ、子供がするもんじゃねえんだい!」と一喝して凧を渡そうとしない。無邪気に遊ぶ父の姿を見て呆れた息子は「こんな事なら親父なんか連れてくるんじゃなかった」とぼやくのだった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【オチ・サゲ】
逆さ落ち。(冒頭のときより、物事が反対の結果になってしまったり、立場が逆転してしまう)

【語句豆辞典】
【初天神】「天神さん」として親しまれている菅原道真が生まれたのは6月25日。大宰府への左遷の命令が下されたのは1月25日。この世を去ったのは2月25日。このことから、毎月25日は「天神さんの日」とされている。その中でも1月25日は1年で最初の「天神さんの日」ということで、「初天神」という。

【この噺を得意とした落語家】
・八代目 春風亭柳枝
・六代目 三升家小勝
・十代目 柳家小三治
・三代目 笑福亭仁鶴
 


Nagase - 落語 (初天神)

紫檀楼古木(したんろうふるき)

2009年07月05日 | 私の好きな落語
【あらすじ】
今の東京に四人しか居ないと言う時代になってしまいました。それがラオ屋キセル屋さんです。キセルを使うより紙巻きタバコになってしまいました。紙巻きと違ってキセルは持ち方によって味わいが出てきます。
ラオ屋さんは箱を背負っていて、箱の三面に「ラオ屋キセル」と書かれていた。字の読めない人もいるので箱の上に、鋸や才槌、万力、小刀などを飾り、竹の先に大きな雁首を掲げて看板としていた。「ラオ屋ァ~~、キセルゥ」と声掛けながらやって来た。
ある御宅で声が掛かり、銀のキセルの掃除を頼まれた。降ろした箱から小さな腰掛けを出して、どっかり腰を下ろし、仕事に取りかかります。今戸焼きの小さな火鉢を取り出し、その中にタドンがいけてあります。熱くなっている灰の中に雁首を入れ、ジュージューヤニが溶け出したのを見計らい、取り出してボロ切れでラオを巻いて雁首は樫で出来た万力に挟んで回すと外れる。吸い口も同じように外す。雁首と吸い口を掃除し、サイズの合った新しいラオを暖め雁首にはめ込み、吸い口もはめ込み才槌でキツく一体化する。接合部の漏れを確認するため、火皿を指で押さえ吸い口から2.3回パッパっと吸って「ハイ出来ました」とお女中に渡した。
御新造さんに、「汚たな爺が吸い口を吸ったから、お湯をかけてきます」とご注進におよんだ。
「そんなに汚い爺さんなの」、「汚な国から汚いを広めにきたようなお爺さんです。ウソだとお思いだったら、窓の下にいますからご覧なさい」、「本当にねェ~」。
 それを聞いていたラオ屋さん、スラスラと筆をとって、女中に手渡した。
それを見た御新造さん、いい手だと誉めておいて、読むと、
 「牛若の御子孫なるか御新造が我をむさしと思い給ふは」
「私がね、爺さんのこと『むさい』と言ったので、牛若になぞらえて詠んだもので、見事なもんだわ」。
御新造も墨を擦って返歌を詠んだ。
それを見た古木もいい手だと誉めておいて、読むと、
 「弁慶と見たはひが目か背に負いし鋸もあり才槌もあり」
「わしの道具に引っかけたのは上手いものだ」と、その即詠に感じ、また返したのが、
 「弁慶にあらねど腕の万力は、きせるの首をぬくばかりなり  ふるき」。

それを見た御新造さん、”ふるき”の署名を見てびっくり。ただのラオ屋さんでなく狂歌の大宗匠だとビックリ。このまま返すのは失礼であるからと、陽気が寒くなってきたことだし、亭主のための綿入れの羽織を着て貰おうと女中に持たせた。
追いかけて、古木に渡そうとすると、丁重にお礼を述べ、「御新造によろしく伝えてくれ」と伝言し、
「羽織を着ていなくても、この荷さえ有ればなぁ充分、『(売り声で)はおりやァ~~、きてェ~るゥ』」。

出典: 落語の舞台を歩く

【オチ・サゲ】
地口落ち(話の終わりを地口で締める。話の最後の方で登場人物が何か言った言葉にだじゃれを返して終わるもの。)

【語句豆辞典】
【羅宇屋(ラオヤ)】羅宇とはラオスから渡来した黒斑竹を用いたからいう。煙管の火皿と吸口とを接続する竹管。ラオと言い、ラウとは訛ったもの。ラオ屋は羅宇をかえること。また、それを業とする人。

【万力(まんりき)】機械工作で小さい工作物を口に挟み、ねじで締め付け、簡単にしっかりと固定させる器具。

【才槌(さいづち)】小型の木の槌。胴の部分がふくれた形をしている小槌。

【この噺を得意とした落語家】
・八代目 林家正蔵
・六代目 三遊亭圓生
 



藁人形

2009年06月28日 | 私の好きな落語
【あらすじ】
神田のぬか問屋「遠州屋」の美人で一人娘お熊は今は身を持ち崩して、千住の若松で板頭を張っている。毎日、表を通る千住河原町(志ん生は、千住のいろは長屋への九番)に住む西念と言う乞食坊主を父親の命日だから供養してくれと呼び込み、部屋に上げ親切にしてあげる。父親に生き写しだから、父親代わりに親孝行をしたいとの話で、爪に火を灯す思いで貯めた全財産30両をかたり取ってしまう。
 西念は身体をこわし外に出られなくて持ち金が無くなった。お熊の所に行って小銭を無心したが断られた。30両も知らないと言う上、70の歳を越えた身体にけがまでさせて、追い返してしまう、お熊。
 絶望して長屋に帰った西念は外にも出ずに過ごすのを長屋の住民も心配していると、甥の甚吉が訪ねて来た。中にはいると西念が一人憑かれたようにいた。話の途中で小用に立つ西念が「鍋の中だけは見るな」と言付けた。見るなと言われれば見たいのが人情、中は藁人形を油で煮ていた。そこに戻った西念が蓋が曲がっているから見ただろうと、問い詰め「そうか。これで呪いが効かなくなった」と肩を落として、甚吉に一部始終語った。甚吉は呪いをかけるなら5寸釘に藁人形だろうと言うと、「釘じゃーきかねーんだ。相手はぬか屋の娘だ」。

出典: 落語の舞台を歩く

【オチ・サゲ】
途端落ち。( 噺の脈絡がその一言で結びつく落ち)

【語句豆辞典】
【千住宿】品川、板橋、内藤新宿の江戸四宿のひとつで、人口からすると一番大きかった。奥州街道・日光街道の江戸から最初の宿場。
【ぬか屋】ぬかは当時飼料、漬け物、肥料、石鹸の代用、駄菓子等の原材料になった。用途がかなり有ったので、問屋まであった。今の東京にも2軒ほどのぬか屋が有る。

【この噺を得意とした落語家】
・五代目 古今亭志ん生
・八代目 林家正蔵
・五代目 古今亭今輔
・桂 歌丸