【原文】
かく別れがたくいひて、かの人々の、くち網も諸持(もろも)ちにて、この海辺にてになひ出だせる歌、
惜しと思ふ人やとまると葦鴨(あしがも)のうち群れてこそわれは来にけれ
といひてありければ、いといたくめでて、行く人のよめりける、
棹させど底ひも知らぬわたつみの深きこころを君に見るかな
といふあひだに、楫取もののあはれも知らで、おのれし酒をくらひつれば、早く往なむとて、「潮満ちぬ。風も吹きぬべし」とさわげば、船に乗りなむとす。
この折に、ある人々、折節につけて、漢詩(からうた)ども、時に似つかはしきいふ。また、ある人、西国(にしぐに)なれど甲斐歌などいふ。「かくうたふに、船屋形の塵も散り、空行く雲も漂ひぬ。」とぞいふなる。
今宵、浦戸に泊まる。藤原のときざね、橘のすゑひら、こと人々、追ひ来たり。
二十八日。浦戸より漕ぎ出でて、大湊を追ふ。
このあひだに、はやくの守の子、山口のちみね、酒、よき物ども持て来て、船に入れたり。ゆくゆく飲み食ふ。
【現代語訳】
このように別れを惜しんで、その人々が、まるで漁師が網もみんなで心を合わせて担ぎ出すようにして、この海辺で合作した歌は、 惜(を)しと思ふ… (お立ちになるのが惜しいと思っている人たちが、もしかしてとどまってくださるかと、葦鴨が群れるように大勢して私たちは来たのです) とよめば、その歌を大変褒めて行く人がよんだ。 棹させど… (棹をさしてもわからない海のような深い心をあなたはお持ちなのですね) と言っているうちに、「もののあわれ」も解らない船頭が、自分ばかり酒を飲み終わったものだから、早く出発しようとして「潮が満ちたぞ、風も吹いてくるぞ」と大声を出すので、一行は船に乗り込もうとする。 その時、その場にいる人々が時節に合わせて、漢詩をいくつかその場にふさわしいのを朗詠する。また、ある人がここは西国だけど甲斐の民謡を詠いましょうと民謡を歌う。 「このようにすてきに詠うと船屋形の塵も感動して飛び散り、空行く雲も動きを止めて漂うだろう」と男たちは言っているようである。 今夜は浦戸に泊まる。藤原のときざね、橘(たちばな)のすえひら、そのほかの人々が追いかけてきた。 二十八日。浦戸から漕ぎ出し大湊を目指す。 この折に以前この国の国司であった人の子息、山口のちみねが酒やおいしい食べ物を持って来て船に差し入れた。船旅の途中で飲んだり食べたりする。 |
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。
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