日本男道記

ある日本男子の生き様

50:土山(春の雨)

2010年10月03日 | 広重東海道五十三次
50:土山(春の雨)
 阪之下から鈴鹿峠、そして峠を下ると土山宿である。阪之下から10里、土山宿の麿を祀った田村神社がある。杉木立の亭々と空にのびる境内の手前に田村川が流れている。
 土山といえば、「坂は照る照る鈴鹿は曇る、あいの土山雨がふる」の里謡で知られた土地である。広重は、この里謡を思い浮かべてか「春の雨」と題して田村川の流れ、田村神社の神域に材をとって雨の絵を描いている。
 この絵は、まさに春の雨、暖かい春雨の気分が描かれている佳作である。庄野・蒲原・亀山の三大役物の次ぐ作品と評価されている。この雨は夏の雨でも、秋の雨でもない。なにもかもしっとりと濡れに濡れる静かな春の細い雨で、雨足がよくそれを表している。その感じが、橋を渡る大名行列の先鋒の仲間達の俯いた姿勢でも示されている。左田村川の流れ、雨で水かさの増した流れの色が、春の水の暖かさを、さらに感じさせている。境内の暗さも、音もなく降りしきる春の雨に煙った情緒を持った薄暗さである。
 この絵の初摺りは、雨足を胡粉摺として、やわらかさを出しているのも、春雨を表現する版画的な技巧の一つである。

絵の出典:食るり愉るり知多半島

※歌川 広重(うたがわ ひろしげ、寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日(1858年10月12日)
浮世絵師。江戸の町火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となったが 現代広く呼ばれる安藤広重(あんどう ひろしげ)なる名前は使用しておらず、浮世絵師としては歌川広重が正しいと言える。
天保3年(1832年)秋、広重は幕府の行列(御馬進献の使)に加わって上洛(京都まで東海道往復の旅)する機会を得たとされる。天保4年(1833年)には傑作といわれる『東海道五十三次絵』が生まれた。この作品は遠近法が用いられ、風や雨を感じさせる立体的な描写など、絵そのものの良さに加えて、当時の人々があこがれた外の世界を垣間見る手段としても、大変好評を博した。
なお、つてを頼って幕府の行列に加えてもらったとの伝承が伝わるが、実際には旅行をしていないのではないかという説もある[2]。 また、司馬江漢の洋画を換骨奪胎して制作したという説もある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』19

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
良い風景を描いています。 (地理佐渡..)
2010-10-03 18:32:15
こんばんは。

なにやら必要な要素だけにすべてを
絞り込み。数少ないポイントだけで
構成されているような気がします。
このような構図の妙も広重ならでは
です。
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Re:良い風景を描いています。 (日本男道記)
2010-10-03 22:21:35
こんばんは!

夕方四国巡礼から帰って来ました。
今日は雨の中の巡礼となりました。

ところで地震がつづいたようですが、大丈夫ですか?
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