日本男道記

ある日本男子の生き様

大湊3

2024年08月27日 | 土佐日記


【原文】 
七日になりぬ。同じ港にあり。
今日は白馬を思へど、かひなし。ただ、波の白きのみぞ見ゆる。
かかるあひだに、人の家の、池と名あるところより、鯉はなくて、鮒よりはじめて、川のも海のも、こと物ども、長櫃にになひつづけておこせたり。
若菜ぞ今日をば知らせたる。歌あり。その歌、
あさぢふの野辺にしあれば水もなき池に摘みつる若菜なりけり
いとをかしかし。この池といふは、ところの名なり。よき人の、男につきて下りて、住みけるなり。
この長櫃の物は、みな人、童までにくれたれば、飽き満ちて、船子どもは、腹鼓を打ちて、海をさへおどろかして、波立てつべし。

【現代語訳
七日になった。同じ港にいる。
今日、都の白馬(あおうま)の節会のことを考えるが、海のうえにいるので、どうしようもない。ただ、波の白さだけが目につく。
こうしている間に、人の家で池という名のついているところから、池にいる鯉ではなく、鮒を始めとして川の物や海の物や他の食べ物などを長櫃(=長方形の大きな箱)に次から次へとかつぎいれて贈ってくれた。
その中で、若菜が今日は正月七日の七草の日だということを知られてくれた。歌が添えられており、その歌は、
あさぢふの野辺に…
(実はここは「池」といっても茅の生えている野辺ですから、水もない池で摘んだ若菜です(どうぞお召し上がりください))。
とても趣深い歌だ。この池は所の名である。身分の高い夫人がその夫につきしたがって下ってきて住んだところだ。
この長櫃の中の食べ物はみんな人へ配り、また子供にまで分け与えたので、腹いっぱいになって、水夫たちははらつづみを打ち、海神さえも驚かせて波を立ててしまいそうだ。

◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

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