日本男道記

ある日本男子の生き様

世の中は・・・巻五・七九三 大伴旅人

2011年05月06日 | 万葉集
世の中は・・・巻五・七九三 大伴旅人
世の中は・・・巻五・七九三 大伴旅人
「世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます かなしかりけり」

校訂原点(漢字)
「余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理」

現代語訳と解説
「この世が空(くう)だとはじめて思い知った時こそ、いよいよ、ますます悲しかったことだ」

妻を亡くした大伴旅人。慰問に来た勅使から、都でも親しかった人が亡くなったことを知らされたのでしょう。妻を失った悲しみと、親しかった人が亡くなったと知った悲しみ。旅人はこの二つの悲しみから、世の中はむなしいものだと改めて感じたのです。
人はみな死ぬもの。輪廻転生で生まれ変われると頭では理解しています。しかし、現実に愛する者と、親しくしていた者とを失うことは悲しみではなく、むなしさなのでしょう。
死の悲しみを抱きながら、生きていかなければならないと感じる旅人。「生者のあらん限り、死者は生きん。」という言葉があります。亡くなった人を思い続ける限り、生きている人の胸の中でその人は生き続ける。しかし、その悲しみをもって生き続けなくてはならない。そこに、底知れぬむなしさを感じたのかもしれません。

紫草の・・・巻一・二一 天武天皇

2011年04月29日 | 万葉集
紫草の・・・巻一・二一 天武天皇
紫草の・・・巻一・二一 天武天皇
「紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも」

校訂原点(漢字)
「紫草能 尒保敝類妹乎 尒苦久有者 人嬬故尒 吾戀目八方」

現代語訳と解説
「紫草のように美しいあなたが憎かったら、あなたは人妻だのに、どうして恋いしたうことがあろう」

額田王への想いを歌ったのは、天武天皇です。
巻一の二〇「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」。額田王のこの歌に応えて詠んだのです。
袖を振るのは、愛している証拠。だから、どうしても振りたかった。例え、とがめられたとしても。
人妻であるあなたが憎かったら、私は恋に苦しむことなどない。私があなたを憎んでいると思っているだろうか。それは違う。憎くない、しかしあなたが人妻だからこそ私は恋に苦しんでいるのだ。
人妻を想う歌は数多くあります。しかし、人妻に恋をするのは、万葉時代のタブーでした。越えてはいけない境界線。抑えようとすればするほど、あふれてしまう想いはひそかに、共感されていたのかもしれません。


大君は・・巻十九・四二六〇 大伴御行

2011年04月22日 | 万葉集
大君は・・巻十九・四二六〇 大伴御行
大君は・・巻十九・四二六〇 大伴御行
「大君は 神にし坐せば 赤駒の 匍匐ふ田井を 都となしつ」

校訂原点(漢字)
「皇者 神尒之座者 赤駒之 腹婆布田為乎 京師跡奈之都」

現代語訳と解説
「天皇は神でいらっしゃるので、赤駒が腹ばう田を都としてしまわれた」

672年、壬申の乱。後に天武天皇となる大海人皇子が勝利をおさめます。作者である大伴御行(おおとものみゆき)は、この戦(いくさ)で大きな手柄をたてた一人。
戦に勝ち、新しい都が生まれる。その歓びに満ちあふれたこの歌は、天皇を神、神そのものだとして讃えているのです。
田んぼに過ぎなかったこの地を都にした。こんなことができる天皇は、神だからこそだ。
天皇が神であるという宣言。この歌は、時代が大きく変わり動くことを予告するような歌になりました。

春山は・・・巻九・一六八四 柿本人麻呂

2011年04月15日 | 万葉集
春山は・・・巻九・一六八四 柿本人麻呂
春山は・・・巻六・一六八四 柿本人麻呂
「春山は 散り過ぎぬとも 三輪山は いまだ含めり 君待ちかてに」

校訂原点(漢字)
「春山者 散過去鞆 三和山者 未含 君持勝尒」

現代語訳と解説
「春山のおおかたは散り果てたとしても、この三輪山はまだつぼみです。あなたをいまだにお迎えできずに」

多くの山で桜の花が散ってしまったとしても、三輪山だけは、あなたを待っています。桜は、つぼみのままの姿で、あなたのお越しを待ちかねているのです。
作者の柿本人麻呂は、この歌を舎人皇子(とねりのみこ)に献上しました。
陰暦の3月18日。日本古来の花まつりの日に桜は散ると言われていました。しかし、三輪山が桜を咲かせずに、皇子を待っている。それは、山の中でも尊い神奈備山とされている三輪山だからこそ、とても価値のあること。この歌は、あの三輪山に待ってもらえる存在、舎人皇子の素晴らしさを歌っているのです。

恋ひ恋ひて・・・巻四・六六七 大伴坂上郎女

2011年04月08日 | 万葉集
恋ひ恋ひて・・・巻四・六六七 大伴坂上郎女

恋ひ恋ひて・・・巻四・六六七 大伴坂上郎女
「恋ひ恋ひて 逢ひたるものを 月しあれば 夜は隠るらむ しましはあり待て」

校訂原点(漢字)
「戀々而 相有物乎 月四有者 夜波隠良武 須臾羽蟻待」

現代語訳と解説
「長く恋し続けて、やっとお逢いできたのです。まだ月が残っているので夜の闇は深いでしょう。しばらくはこのままいてください」

恋し続け、苦しんできて、やっと逢えたふたりです。だから、帰るのを待ってください。夜はまだたっぷりあるのだから、もう少しそばにいて、と大伴坂上郎女が安倍虫磨に贈った恋歌です。
実はこの恋、架空の恋なのです。
ふたりは恋人でもなく、ふたりの間に恋心が芽生えたわけでもありません。仲間として楽しく語り合い、お酒を呑んでいるときに詠まれました。
万葉集にあるパターンのひとつ、引き止め歌を真似て知的な遊びを言葉の上でしているのです。
日本語には複数という概念がありません。そこで例えば、木なら木木(きぎ)という風に、同じ言葉を重ねて複数を表現していたようです。「恋ひ恋ひて」は、恋し続けるという意味になります。
恋とは、苦しさやせつなさ、そこにないものを求めること。そんな恋を知る大人同士であり、気心の知れた仲だからこそ、この歌は楽しめるのです。

味酒を・・・巻四・七一二 丹波大女娘子

2011年04月01日 | 万葉集
味酒を・・・巻四・七一二 丹波大女娘子

味酒を・・・巻四・七一二 丹波大女娘子
「味酒を 三輪の祝が いはふ杉 手触れし罪か 君に逢ひがたき」

校訂原点(漢字)
「味酒呼 三輪之祝我 忌杉 手觸之罪歟 君二遇難寸」

現代語訳と解説
「三輪の神官がまつる神聖な杉の木に、手を触れるような罪を犯したとでもいうのだろうか。なかなかあの方に会うことができない」

神主が大切にまつっている三輪山の杉は、手など触れることの出来ない存在でした。
実際、作者はその杉の木に手を触れた訳ではありません。しかし、それくらいの罪を犯したのだろうと思いつめています。
その罪とは、高貴な方に身分違いの恋をしてしまったことであり、その罰ゆえに会えないのでしょうか…と、くるおしい気持ちを歌っています。
三輪山は神が降臨する山。木や草に至るまで、神が宿るものとして、斧を入れることは許されていません。
作者である丹波大女娘子は、おそらく遊女だと考えられます。三輪山の神聖な杉を例えに歌うことで、彼女の身の上との差を、一層せつなく感じさせてしまうのです。
高貴な方が相手なら、なおさら遊女のことなど忘れてしまうかもしれない。
わかりきっているほどの、悲しい運命。この恋は会いたくて、でも、会えなくて、苦しさだけが心を埋めていくのです。

故郷の・・・巻六・九九二 坂上郎女

2011年03月25日 | 万葉集
故郷の・・・巻六・九九二 坂上郎女
故郷の・・・巻六・九九二 坂上郎女
「故郷の 飛鳥はあれど あをによし 平城の明日香を 見らくし好しも」

校訂原点(漢字)
「古郷之 飛鳥者雖有 青丹吉 平城之明日香乎 見楽思好裳」

現代語訳と解説
「故郷であり、かつて都のあった飛鳥も良いけれど、今の都である奈良の明日香を見るのも良いことだ」

飛鳥寺と呼ばれ、親しまれてきた元興寺は、平城京遷都にともない奈良の都に移されました。
この歌の作者は、かつての飛鳥に心では惹かれつつ今の都である奈良の明日香の繁栄ぶり、そして彩り鮮やかな美しい都を見るのは良いと歌っています。
「あをによし」は奈良にかかる枕詞です。「あをに」とは青い土を意味しました。それが豪華絢爛な都になることで、華やかな青と赤を意味する言葉へと変化します。美しさの概念が変わることで、言葉の意味も変化したのです。
懐かしく心に残る故郷の飛鳥と、最新式で美しい今の都、奈良の明日香。
まるでモノトーンの世界から、色彩豊かな世界へと変貌をとげた都。その良さを素直に受け止めることのできた万葉人だからこそ、いい言葉や素晴らしい価値観は、カタチを変えながらも残り続けたのでしょう。

春山の・・・巻八・一四二一 尾張連

2011年03月18日 | 万葉集
春山の・・・巻八・一四二一 尾張連

春山の・・・巻八・一四二一 尾張連
「春山の 咲きのををりに 春菜つむ 妹が白紐 見らくしよしも」

校訂原点(漢字)
「春山之 開乃乎為里尒  春菜採 妹之白紐 見九四与四門」

現代語訳と解説
「春山の桜が咲き満ちた下で、若菜を摘むあの子の白い紐を見るのはうれしいことだ」

春の山で、あふれんばかりに咲き誇る花。それは、枝が花の重みに耐えかねるぐらい満開の桜でした。
「咲きのををりに」の「ををり」とは、「たわむほどに」という意味で、万葉の頃は桜の表現によく用いられています。
野原で若菜を摘む女性が身につけているのは白い紐。
白は聖なるものであり、女性はその神聖な紐を身にまとっています。精神性をおびた白紐が見えるのは、良いことだと歌っているのです。
春のうららかな日和。桜のやさしく淡い色。そして、野原の若菜の中に、くっきりと際立つ白い紐。
大から小へ、必然的に焦点を定めていく。技巧的であり、美しいものを発見する喜びに満ちたこの歌。
天平時代、このような美意識や、精神性の高さが読まれる時代となったのです。

故郷の・・・巻六・九九二 大伴坂上郎女

2011年03月11日 | 万葉集
故郷の・・・巻六・九九二 大伴坂上郎女

故郷の・・・巻六・九九二 大伴坂上郎女
「故郷の 飛鳥はあれど あをによし 平城の明日香を 見らくし好しも」

校訂原点(漢字)
「古郷之 飛鳥者雖有 青丹吉 平城之明日香乎 見楽思好裳 」

現代語訳と解説
「故郷であり、かつて都のあった飛鳥も良いけれど、今の都である奈良の明日香を見るのも良いことだ」

飛鳥寺と呼ばれ、親しまれてきた元興寺は、平城京遷都にともない奈良の都に移されました。
この歌の作者は、かつての飛鳥に心では惹かれつつ今の都である奈良の明日香の繁栄ぶり、そして彩り鮮やかな美しい都を見るのは良いと歌っています。
「あをによし」は奈良にかかる枕詞です。「あをに」とは青い土を意味しました。それが豪華絢爛な都になることで、華やかな青と赤を意味する言葉へと変化します。美しさの概念が変わることで、言葉の意味も変化したのです。
懐かしく心に残る故郷の飛鳥と、最新式で美しい今の都、奈良の明日香。
まるでモノトーンの世界から、色彩豊かな世界へと変貌をとげた都。その良さを素直に受け止めることのできた万葉人だからこそ、いい言葉や素晴らしい価値観は、カタチを変えながらも残り続けたのでしょう。

春山の・・・巻八・一四二一 尾張連

2011年03月04日 | 万葉集
春山の・・・巻八・一四二一 尾張連
春山の・・・巻八・一四二一 尾張連
「春山の 咲きのををりに 春菜つむ 妹が白紐 見らくしよしも」

校訂原点(漢字)
「春山之 開乃乎為里尒  春菜採 妹之白紐 見九四与四門 」

現代語訳と解説
「春山の桜が咲き満ちた下で、若菜を摘むあの子の白い紐を見るのはうれしいことだ」

春の山で、あふれんばかりに咲き誇る花。それは、枝が花の重みに耐えかねるぐらい満開の桜でした。
「咲きのををりに」の「ををり」とは、「たわむほどに」という意味で、万葉の頃は桜の表現によく用いられています。
野原で若菜を摘む女性が身につけているのは白い紐。
白は聖なるものであり、女性はその神聖な紐を身にまとっています。精神性をおびた白紐が見えるのは、良いことだと歌っているのです。
春のうららかな日和。桜のやさしく淡い色。そして、野原の若菜の中に、くっきりと際立つ白い紐。
大から小へ、必然的に焦点を定めていく。技巧的であり、美しいものを発見する喜びに満ちたこの歌。
天平時代、このような美意識や、精神性の高さが読まれる時代となったのです。

故郷の・・・巻六・九九二 大伴坂上郎女

2011年02月25日 | 万葉集
故郷の・・・巻六・九九二 大伴坂上郎女
故郷の・・・巻六・九九二 大伴坂上郎女
「故郷の 飛鳥はあれど あをによし 平城の明日香を 見らくし好しも」

校訂原点(漢字)
「古郷之 飛鳥者雖有 青丹吉 平城之明日香乎 見楽思好裳」

現代語訳
「故郷であり、かつて都のあった飛鳥も良いけれど、今の都である奈良の明日香を見るのも良いことだ」

飛鳥寺と呼ばれ、親しまれてきた元興寺は、平城京遷都にともない奈良の都に移されました。
この歌の作者は、かつての飛鳥に心では惹かれつつ今の都である奈良の明日香の繁栄ぶり、そして彩り鮮やかな美しい都を見るのは良いと歌っています。
「あをによし」は奈良にかかる枕詞です。「あをに」とは青い土を意味しました。それが豪華絢爛な都になることで、華やかな青と赤を意味する言葉へと変化します。美しさの概念が変わることで、言葉の意味も変化したのです。
懐かしく心に残る故郷の飛鳥と、最新式で美しい今の都、奈良の明日香。
まるでモノトーンの世界から、色彩豊かな世界へと変貌をとげた都。その良さを素直に受け止めることのできた万葉人だからこそ、いい言葉や素晴らしい価値観は、カタチを変えながらも残り続けたのでしょう。


味酒を・・・巻四・七一二 丹波大女娘子

2011年02月18日 | 万葉集
味酒を・・・巻四・七一二 丹波大女娘子

味酒を・・・巻四・七一二 丹波大女娘子
「味酒を 三輪の祝が いはふ杉 手触れし罪か 君に逢ひがたき」

校訂原点(漢字)
「味酒呼 三輪之祝我 忌杉 手觸之罪歟 君二遇難寸」

現代語訳と解説
「三輪の神官がまつる神聖な杉の木に、手を触れるような罪を犯したとでもいうのだろうか。なかなかあの方に会うことができない」

神主が大切にまつっている三輪山の杉は、手など触れることの出来ない存在でした。
実際、作者はその杉の木に手を触れた訳ではありません。しかし、それくらいの罪を犯したのだろうと思いつめています。
その罪とは、高貴な方に身分違いの恋をしてしまったことであり、その罰ゆえに会えないのでしょうか…と、くるおしい気持ちを歌っています。
三輪山は神が降臨する山。木や草に至るまで、神が宿るものとして、斧を入れることは許されていません。
作者である丹波大女娘子は、おそらく遊女だと考えられます。三輪山の神聖な杉を例えに歌うことで、彼女の身の上との差を、一層せつなく感じさせてしまうのです。
高貴な方が相手なら、なおさら遊女のことなど忘れてしまうかもしれない。
わかりきっているほどの、悲しい運命。この恋は会いたくて、でも、会えなくて、苦しさだけが心を埋めていくのです。

恋ひ恋ひて・・・巻四・六六七 大伴坂上郎女

2011年02月11日 | 万葉集
恋ひ恋ひて・・・巻四・六六七 大伴坂上郎女

恋ひ恋ひて・・・巻四・六六七 大伴坂上郎女
「恋ひ恋ひて 逢ひたるものを 月しあれば 夜は隠るらむ しましはあり待て」

校訂原点(漢字)
「戀々而 相有物乎 月四有者 夜波隠良武 須臾羽蟻待」

現代語訳と解説
「長く恋し続けて、やっとお逢いできたのです。まだ月が残っているので夜の闇は深いでしょう。しばらくはこのままいてください」

恋し続け、苦しんできて、やっと逢えたふたりです。
だから、帰るのを待ってください。
夜はまだたっぷりあるのだから、もう少しそばにいて、と大伴坂上郎女が安倍虫磨に贈った恋歌です。
実はこの恋、架空の恋なのです。
ふたりは恋人でもなく、ふたりの間に恋心が芽生えたわけでもありません。
仲間として楽しく語り合い、お酒を呑んでいるときに詠まれました。
万葉集にあるパターンのひとつ、引き止め歌を真似て知的な遊びを言葉の上でしているのです。
日本語には複数という概念がありません。
そこで例えば、木なら木木(きぎ)という風に、同じ言葉を重ねて複数を表現していたようです。
「恋ひ恋ひて」は、恋し続けるという意味になります。
恋とは、苦しさやせつなさ、そこにないものを求めること。
そんな恋を知る大人同士であり、気心の知れた仲だからこそ、この歌は楽しめるのです。

あかねさす・・・巻二・一六九 柿本人麻呂

2011年02月04日 | 万葉集
あかねさす・・・巻二・一六九 柿本人麻呂
あかねさす・・・巻二・一六九 柿本人麻呂
「あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 隠らく惜しも」

校訂原点(漢字)
「茜刺 日者雖照者 烏玉之 夜渡月之 隠良久惜毛」

現代語訳と解説
「あかね色をおびて日輪は今日も輝いているのだが、太陽にも似た皇子は、ぬばたまの黒々とした夜空を渡る月のように隠れてしまったことが惜しいよ」

六八九年、草壁皇子がお亡くなりになった時、柿本人麻呂が長歌とあわせて詠んだ反歌2首のうちの1首です。
「隠らく惜しも」の「惜し」とは、惜しいという意味ですが、「愛」と書いても「おし」と読みます。つまり、愛していなければ、惜しいとは思わない。この歌の場合、作者は、月に対して愛情があったことがわかります。月とは、ずばり、亡くなってしまった草壁皇子のことでした。
「日は照らせれど」の「日」とは天皇のこと。太陽が輝いている、それは皇位継承者が立てられ、後のことは心配ないという意味です。それでも、やはり皇子が亡くなられたことは残念で仕方がない。
この歌では、亡くなった皇子と後継者を月と太陽に例えることで、天皇家に対する賛美を歌っているのです。


東の・・・巻一・四八 柿本人麻

2011年01月28日 | 万葉集
東の・・・巻一・四八 柿本人麻
東の・・・巻一・四八 柿本人麻呂
「東の 野に炎の 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ」

校訂原点(漢字)
「東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡」

現代語訳と解説
「東の野に朝日の光がさしはじめる頃。振り返ってみると西の空には月がかたむき、地平に沈もうとしている」

太陽と月をシンメトリーに歌い、天空全体を見渡したスケールの大きさ。
柿本人麻呂が、のちの文武天皇である軽皇子と 阿騎野へ訪れたときの歌です。
本来、太陽と月は別の世界のものとされ、一緒に歌われることがありませんでした。ここではあえてそれを打ち破ることで、雄大さ、新たな美しさが表現されています。
昇る朝日が、新しく王位に就こうとしている若き軽皇子。沈む月とは軽皇子の父であり、若くして亡くなった草壁皇子のことを比喩したという説があります。
さらに冬至の日に歌われたのではないかとも言われています。冬至の日は、王の魂が甦ると信じられていました。なぜなら冬至の日を境に再び昼は長くなり、太陽が復活するからです。
東の空に昇る太陽と、西の地平線に沈みゆく月を 同時に眺めたこのとき、王位の世代交代という 大きな命の循環を感じたのかもしれません。