日本男道記

ある日本男子の生き様

徒然草 第百四段

2021年06月15日 | 徒然草を読む


【原文】  
荒れたる宿の、人目めなきに、女の憚る事ある比にて、つれづれと籠り居たるを、或人、とぶらひ給むとて、夕月夜のおぼつかなきほどに、忍びて尋ねおはしたるに、犬のことごとしくとがむれば、下衆女の出いでて、「いづくよりぞ」といふに、やがて案内せさせて、入り給ひぬ。心ぼそげなる有様、いかで過ぐすらんと、いと心ぐるし。あやしき板敷に、暫し立ち給へるを、もてしづめたるけはひの若やかなるして、「こなた」と言ふ人あれば、たてあけ所狭せげなる遣戸よりぞ入り給ひぬる。
内のさまは、いたくすさまじからず。心にくゝ、火はあなたにほのかなれど、もののきらなど見えて、俄かにしもあらぬ匂いとなつかしう住みなしたり。「門よくさしてよ。雨もぞ降る、御車は門の下に、御供の人はそこそこに」と言へば、「今宵ぞ安き寝いは寝ぬべかンめる」とうちさゝめくも、忍びたれど、程なければ、ほの聞ゆ。
さて、このほどの事ども細やかに聞きこえ給ふに、夜深き鳥も鳴きぬ。来し方かた・行末かけてまめやかなる御物語に、この度は鳥も花やかなる声にうちしきれば、明けはなるゝにやと聞き給へど、夜深く急ぐべき所のさまにもあらねば、少したゆみ給へるに、隙白くなれば、忘れ難き事など言ひて立ち出いで給ふに、梢も庭もめづらしく青み渡りたる卯月ばかりの曙、艶にをかしかりしを思し出でて、桂の木の大きなるが隠るゝまで、今も見送り給ふとぞ。

【現代語訳】
人里離れた僻地の荒廃した家に、世間から離れて暮らさなければならない境遇の女がいて、退屈に身を任せたまま引き籠もっていた。ある男が、お見舞いをしようと思って、頼りなさそうに月が浮かぶ夜、こっそりと訪問した。犬が世界の終わりを告げるよう吠えるものだから、召使いの女が出てきて「どちら様でしょうか?」と聞く。男は、そのまま案内を受けて中に入った。淋しい様子で、男が「どんな生活をしているのだろう」と思えば胸が苦しくなる。放心したまま崩壊しそうな廊下にしばらく立っていると、若々しさの中に落ち着きのある声がして「こちらにどうぞ」と言うので、小さな引き戸を開けて中に入った。
しかし、家の中までは荒れ果ててはいなかった。遠慮がちにオレンジ色の炎が奥の方でゆらゆらと揺れている。家具も女性らしく、焚いたばかりではない香が、わざとらしくなく空気と溶け合いノスタルジーを誘った。召使いの女が「門はきちんと閉めて下さい。雨が降るかもしれないから車は門の下に停めて、お供の方々はあちらでお休み下さい」と言う。男の家来が「今日は雨風を凌いで夢を見られそうだ」と内緒話をしても、この家では筒抜けになってしまう。
そうして、男と女が世間のことなどを色々と話しているうちに、夜空の下で一番鶏が鳴いた。それでも、過ぎた過去や、幻の未来について甲斐甲斐しく話し込んでいると、鶏が晴れ晴れしく鳴くものだから、「そろそろ夜明けだろうか?」と思うのだが、暗闇を急いで帰る必要もないので、しばらくまどろむ。すると、引き戸の隙間から光が差し込んでくる。男が女に気の利いたことでも言って帰ろうとすれば、梢も庭も、辺り一面が青く光っていた。その、つやつやと光る四月の明け方を、今でも想い出してしまうから、男がこの辺りを通り過ぎる時には、大きな桂の木が視界から消えるまで振り返って見つめ続けたそうだ。

◆鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。1317年(文保1)から1331年(元弘1)の間に成立したか。その間,幾つかのまとまった段が少しずつ執筆され,それが編集されて現在見るような形態になったと考えられる。それらを通じて一貫した筋はなく,連歌的ともいうべき配列方法がとられている。形式は《枕草子》を模倣しているが,内容は,作者の見聞談,感想,実用知識,有職の心得など多彩であり,仏教の厭世思想を根底にもち,人生論的色彩を濃くしている。

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