日本男道記

ある日本男子の生き様

徒然草 第二百三十五段

2023年12月19日 | 徒然草を読む


【原文】 
主ある家には、すゞろなる人、心のまゝに入いり来る事なし。主なき所には、道行人みちいきびと濫に立ち入り、狐・梟やうの物も、人気に塞れねば、所得に入り棲み、木霊など云ふ、けしからぬ形も現るゝものなり。
また、鏡には、色・像なき故ゆゑに、万の影来たりて映る。鏡に色・像あらましかば、映らざらまし。
虚空よく物を容いる。我等が心に念々のほしきまゝに来たり浮ぶも、心といふもののなきにやあらん。心に主あらましかば、胸の中うちに、若干の事は入いり来たらざらまし。 

【現代語訳】  
主人がある家には、他人が勝手に入って来ない。主人のない家には通りすがりの人がドカドカ押し入る。また、人の気配が無いので、狐や梟のような野生動物も我が物顔で棲み着く。「こだま」などという「もののけ」が出現するのも当然だろう。
同じく、鏡には色や形がないから、全ての物体を映像にする。もし鏡に色や形があれば、何も反射しないだろう。
大気は空っぽで、何でも吸い取る。我々の心も、幾つもの妄想が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。もしかしたら、心の中身は空っぽなのかも知れない。家に主人がいるように、心にも主人がいたら、妄想が入り込む余地もないだろう。

◆鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。1317年(文保1)から1331年(元弘1)の間に成立したか。その間,幾つかのまとまった段が少しずつ執筆され,それが編集されて現在見るような形態になったと考えられる。それらを通じて一貫した筋はなく,連歌的ともいうべき配列方法がとられている。形式は《枕草子》を模倣しているが,内容は,作者の見聞談,感想,実用知識,有職の心得など多彩であり,仏教の厭世思想を根底にもち,人生論的色彩を濃くしている

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