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日本男道記

ある日本男子の生き様

徒然草 第二百三十六段

2023年12月26日 | 徒然草を読む


【原文】 
丹波に出雲と云ふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだの某とかやしる所なれば、秋の比、聖海上人、その他も人数多誘ひて、「いざ給へ、出雲拝に。かいもちひ召させん」とて具て行きたるに、各々拝みて、ゆゝしく信起したり。
御前なる獅子・狛犬、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原、殊勝の事は御覧じ咎めずや。無下なり」と言へば、各々怪しみて、「まことに他に異なりけり」、「都のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候う事なり」とて、さし寄りて、据すゑ直して、去にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。

【現代語訳】  
京都の亀岡にも出雲がある。出雲大社の分霊を祀った立派な神社だ。志田の何とかという人の領土で、秋になると、「出雲にお参り下さい。そばがきをご馳走します」と言って、聖海上人の他、大勢を連れ出して、めいめい拝み、その信仰心は相当なものだった。
神前にある魔除けの獅子と狛犬が後ろを向いて背中合わせに立っていたので、聖海上人は非常に感動した。「何と素晴らしいお姿か。この獅子の立ち方は尋常ではない。何か深い由縁があるのでしょう」と、ボロボロ泣き出した。「皆さん、この恍惚たるお姿を見て鳥肌が立ちませんか。何も感じないのは非道いです」と言うので、一同も不審に思い、「本当に不思議な獅子狛犬だ」とか、「都に帰って土産話にしよう」などと言い出した。上人は、この獅子狛犬についてもっと詳しく知りたくなった。そこで、年配のいかにも詳しく知っていそうな神主を呼んで、「この神社の獅子の立ち方は、私などには計り知れない由縁があるとお見受けしました。是非教えて下さい」と質問した。神主は、「あの獅子狛犬ですか。近所の悪ガキが悪戯したのですよ。困ったガキどもだ」と言いながら、もとの向きに戻して立ち去った。果たして、聖海上人の涙は蒸発したのだった。

◆鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。1317年(文保1)から1331年(元弘1)の間に成立したか。その間,幾つかのまとまった段が少しずつ執筆され,それが編集されて現在見るような形態になったと考えられる。それらを通じて一貫した筋はなく,連歌的ともいうべき配列方法がとられている。形式は《枕草子》を模倣しているが,内容は,作者の見聞談,感想,実用知識,有職の心得など多彩であり,仏教の厭世思想を根底にもち,人生論的色彩を濃くしている

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