日本男道記

ある日本男子の生き様

47:亀山(雪晴)

2010年09月12日 | 広重東海道五十三次
47:亀山(雪晴)
 庄野から8里、亀山に着く。広重の絵は「雪晴」と題され、東海道五十五枚中の三代役物の一つとなっている傑作です。この絵は、なによりも雪のあしたの晴れた空の美しさが目をみはらす。左手の山の端の薄紅の色から沖天へ向かっての澄みきった藍の色の美しさ、清らかさ。この空が画面を対角線に区切った半分を占めている。そして、その明るさに映える亀山城から城下の町家を半分に描いているが、この静かさの中を大名行列が粛粛登っていくのが、また印象的である。雪の傑作としては蒲原の「夜の雪」もあるが、一方は陰に、一方は陽に、広重は見事に描き分けている。広重の東海道旅行は夏のことで、雪景などは見ていないのであるが、絵師として広重の芸術的想像力を賞讃すべき作品と言えよう。ここの描かれている亀山城は、天正十五年に岡本下野守の築城といわれる。
絵の出典:食るり愉るり知多半島

※歌川 広重(うたがわ ひろしげ、寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日(1858年10月12日)
浮世絵師。江戸の町火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となったが 現代広く呼ばれる安藤広重(あんどう ひろしげ)なる名前は使用しておらず、浮世絵師としては歌川広重が正しいと言える。
天保3年(1832年)秋、広重は幕府の行列(御馬進献の使)に加わって上洛(京都まで東海道往復の旅)する機会を得たとされる。天保4年(1833年)には傑作といわれる『東海道五十三次絵』が生まれた。この作品は遠近法が用いられ、風や雨を感じさせる立体的な描写など、絵そのものの良さに加えて、当時の人々があこがれた外の世界を垣間見る手段としても、大変好評を博した。
なお、つてを頼って幕府の行列に加えてもらったとの伝承が伝わるが、実際には旅行をしていないのではないかという説もある[2]。 また、司馬江漢の洋画を換骨奪胎して制作したという説もある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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2 コメント

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そういえば.. (地理佐渡..)
2010-09-12 19:25:22
こんばんは。

このシリーズには雪の風景少ないですものね。
特に特徴的風景になる気がします。少し水墨
に近いものを臭わせ、実はさにあらず。構図と
色使いが何とも言えぬ良さを醸し出しています。
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Re:そういえば.. (日本男道記)
2010-09-13 06:18:16
おはようございます。

ご指摘のとおりですね。

東海地域という対象地域が積雪の少ない地域でもあるからでしょうね。

ところでニュースで見たのですが雨は大丈夫でしたか?
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