日本男道記

ある日本男子の生き様

徒然草 第百三十四段

2022年01月11日 | 徒然草を読む


【原文】 
高倉院の法華堂の三昧僧、なにがしの律師とかやいふもの、或時、鏡を取りて、顔をつくづくと見て、我がかたちの見にくゝ、あさましき事余りに心うく覚えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後、長く、鏡を恐れて、手にだに取らず、更に、人に交はる事なし。御堂のつとめばかりにあひて、籠り居たりと聞き侍りしこそ、ありがたく覚えしか。
賢げなる人も、人の上をのみはかりて、己れをば知らざるなり。我を知らずして、外を知るといふ理あるべからず。されば、己れを知るを、物知れる人といふべし。かたち醜けれども知らず、心の愚かなるをも知らず、芸の拙きをも知らず、身の数ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の冒すをも知らず、死の近き事をも知らず、行ふ道の至ざるをも知らず。身の上の非を知らねば、まして、外の譏を知らず。但し、かたちは鏡に見ゆ、年は数へて知る。我が身の事知らぬにはあらねど、すべきかたのなければ、知らぬに似たりとぞ言はまし。かたちを改め、齢を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、何ぞ、やがて退かざる。老いぬと知らば、何ぞ、閑かに居て、身を安くせざる。行おろかなりと知らば、何ぞ、茲を思こと茲にあらざる。
すべて、人に愛楽せられずして衆に交はるは恥なり。かたち見にくゝ、心おくれにして出で仕へ、無智にして大才に交はり、不堪の芸を持ちて堪能の座に列つらなり、雲の頭を頂いたきて盛なる人に並び、況んや、及ばざる事を望み、叶はぬ事を憂へ、来らざることを待ち、人に恐れ、人に媚るは、人の与ふる恥にあらず、貪る心に引かれて、自ら身を恥かしむるなり。貪る事の止まざるは、命を終ふる大事、今こゝに来きたれりと、確に知らざればなり。

【現代語訳】  
高倉上皇の法華堂で念仏まみれだった坊さんに、何とかの律師という人がいた。ある日、鏡を手にして自分の顔を注意深く見つめていると、我ながら気味悪くグロテスクなのにショックを受けた。そして、鏡までもが邪悪な物に思えて恐ろしく二度と手にしなかった。人と会わず、修行の時にお堂に顔を出すだけで引き籠もっていたと聞いたが、天晴れである。
頭が良さそうな人でも、他人の詮索ばかりに忙しく、自分の事は何も知らないようだ。自分の事さえ知らないのに、他人の事など分かるわけもない。だから、自分の分際を知る人こそ、世の中の仕組みを理解している人と呼ぶべきだ。普通は、自分が不細工なのも知らず、心が腐っているのも知らず、腕前が中途半端なのも知らず、福引きのハズレ玉と同じ存在だということも知らず、年老いていくことも知らず、いつか病気になることも知らず、死が目の前に迫っていることも知らず、修行が足りないことにも気がついていない。自分の欠点も知らないのだから、人から馬鹿にされても気がつかないだろう。しかし、顔や体は鏡に映る。年齢は数えれば分かる。だから、自分を全く知らないわけでもない。だが、手の施しようが無いのだから、知らないのと同じなのだ。「整形手術をしろ」とか「若作りしろ」と言っているのではない。「自分はもう駄目だ」と悟ったら、なぜ、世を捨てないのか。老いぼれたら、なぜ、老人ホームで放心しないのか。「気合いの入っていない人生だった」と後悔したら、なぜ、それを深く追及しないのか。
全てにおいて人気者でもないのに人混みにまみれるのは、恥ずかしいことである。多くの人は無様な姿をさらして節操もなく表舞台に立ったり、薄っぺらな教養を持ってして学者の真似をしたり、中途半端な腕前で熟練の職人の仲間入りをしたり、鰯雲のような白髪頭をして若者に混ざり肩を並べたりしている。それだけで足りないのか、あり得ないことを期待し、出来ないことを妄想し、叶わない夢を待ちわびて、人の目を気にして恐れ、媚びへつらうのは、他人から受ける恥ではない。意味もなく欲張る気持ちに流されて、自ら進んでかく恥なのだ。欲望が止まらないのは、命が終わってしまうという大事件が、もうそこまでやって来ていることを身に染みて感じていない証拠である。 

◆鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。1317年(文保1)から1331年(元弘1)の間に成立したか。その間,幾つかのまとまった段が少しずつ執筆され,それが編集されて現在見るような形態になったと考えられる。それらを通じて一貫した筋はなく,連歌的ともいうべき配列方法がとられている。形式は《枕草子》を模倣しているが,内容は,作者の見聞談,感想,実用知識,有職の心得など多彩であり,仏教の厭世思想を根底にもち,人生論的色彩を濃くしている。

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