一体改革と生存権
7/31 内橋克人さんのお話しの要約です。
今回の一体改革という政府の持ち出し方について、
国民はおおむね、次のように受け取り、思い込んでしまっているのではないだろうか。
まず、増税を受け入れれば、国民の受ける社会保障は充実してもらえる。
次いで、増税を受け入れなければ、年々増加する社会保障費を賄えなくなり
結果において社会保障の水準が低下する。
こういう『消費税の増税は痛いけれども、社会保障の維持充実のためにはやむを得ない』
という空気が、日本中に次第に醸し出されてしまっている、ということである。
しかし、消費税増税を認めれば社会保障は、本当に充実し持続可能になるのか?
それを正しく知るためには、法案の中身を熟読する必要がある。
例えば、第1 章(総則)第2条の1に自助・公助という言葉が出て来る。
また、家族扶助、国民相互の助け合い等の仕組みを通じてその実現を支援する、
それが国家の責任である 、という定義が出てくる。
しかし、元々、社会保障の概念というのは、憲法第25条1項にあるように、
『すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』
という規定に求められなければならないものである。
個人だけで生きることはなかなか容易ならぬ社会にあって、
個人が自立するための支援を国家に求める権利があり、
それが『生存権』の本質であるはずである。
社会保障を相互扶助に求めるのは、戦前に相互扶助がよく言われたが、
その時代に逆戻りする事に他ならない。
勿論、お互いに助け合うことは大切であるが、憲法では『生存権』を
「自助・公助さえも困難な困窮者に等しく最低限の生活を営む権利を保障する」と定めている。
社会保障の根幹はこの精神にある。
自助・公助を強調するのは、社会保障給付の抑制・削減に狙いがあるとしか思えない。
次に残念ながら、社会保障を本当に充実させようとする文言が見当たらない。
高齢者医療制度にしても、国民的関心事は
将来社会保障制度改革国民会議を設置して、そこに下駄を預ける、という手法になっている。
一般会計からの社会保障給付の支出を削るという狙いが、
長い長い文言の行間に、用心深く散りばめられているということがわかってくる。
法案の審議と時を同じくして、公共事業計画がクローズアップされている。
昨日(7月30日)の東京新聞がその核心をよく伝えてくれている。
自民党は今後10年間に200兆円、公明党は同じく100兆円、の公共事業を唱え、
民主党にも公共事業拡大論を唱える人達がいる。
それは、6月の民主・自民・公明の3党合意で、
公共事業推進の一文が盛り込まれたからである。
消費税率を10%に引き上げると、新たに13.5兆円の財源が生まれる。
その総てが、社会保障の充実に使われると、多くの国民は思い込んでいるわけであるが、
これは、とんでもない錯覚である。
実際には、社会保障に充てて来た借金(赤字国債)を減らすのに充当されて行くのである。
そればかりでなく、経済への影響を踏まえて、余力を公共事業に廻すことが企てられている。
つまり、消費増税で得た財源が、間接的に公共事業に廻るのであるから、
これでは、財政再建は遅れ、追加増税を迫られる恐れがある。
厳しいデフレ下での増税に批判の声が高まってくると、
その増税による歳入増を当て込んで、デフレ克服をうたい文句にして
大型公共事業の巨大計画が並んで行くわけである。
これでは、消費税増税と公共事業の一体改革ではないか。
この東京新聞の警鐘には、全く同感である。
今こそ、真に社会保障を充実させる為の改革を、政治に迫らなければならない時である。
東京新聞の当該記事を読むのは有料のようです。
同趣旨の同社の社説がこちらにあります。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2012080202000065.html
こちらの北海道新聞の社説もわかり易いです
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/389311.html
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