ジョージ・いまさきもり の アンダンテ・カンタービレ

晴れた日は農業とウォーキングとライカ、雨なら読書と料理。
そして毎日ラジオがお伴です。

小出裕章さんの国会証言に感激しました

2011年05月26日 | 社会について独り言

京都大学原子炉実験所教授の小出裕章さんがソフトバンク社長の孫正義さんなどと共に、
5月23日の参議院の行政監視委員会に参考人として出席されました。

私は新聞等では見落としてしまって、他の方のブログで知りました。
小出先生のまさに渾身の証言に感動しました。
東電や政府のまことに不誠実な対応に腹立たしい毎日ですが、
私たち普通の市民も、諦めずに声を大にしないといけないと思います。
証言のビデオと要旨が判りやすく掲載されています。
皆様も是非ご覧頂きたいと思います。
 
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/05/23/sa

また、本日夕方にはNHKラジオでも発言されています。
 
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/05/26/nhk-r1-may26/

私もいまさきもり(今防人)を名乗らさせてもらっていますが、
日本のかけがえのない国と国土を守りたい所存です。


貞観の「竹取物語」の大予言

2011年05月22日 | 社会について独り言

東日本大震災と原発事故について思うこと(その4

「今は昔竹取の翁といふものありけり」
日本最古の物語といわれる『「竹取物語』の冒頭です。
この物語を聞いたり、教科書で読んだりした時、
私はいつも疑問に思うことがありました。

竹から子供が生まれるとか、月から使者がやって来るとかいうのも疑問でしたが、
それらは、”まあ作り話だから”という事で子供心にも納得していたのですが、
かぐや姫が月に帰るのを妨げようと帝(みかど)が2000人の兵士を配備したのですが、
その兵士達が月の使者の前では、体の力が萎えてしまい、
ただ茫然とお互い見つめ合うだけで戦うことができなかった、ということです。

今までは、世の中には得体のしれない強烈な力を持つ物がある事を教えているのかな、と
漠然と思っているぐらいでした。

ところが、今回の東日本大震災の話の中で、
『貞観の地震・津波』のことを知り、この疑問が少し解けた気がしました。

それは、今伝わっている竹取物語は、
『かぐや姫は、月からの使者と共に乗り物で帰った』ことになっていますが、
オリジナルはそうではなくて、『大津波にさらわれた』のではないかということです。

竹取物語が書かれたのは、
平安前期の貞観~延喜年間、西暦890年代の後半といわれていますから、
『貞観の大地震・津波』がこの物語に影響を及ぼしているのは間違いないでしょう。
ただ、この話を語り伝えた後世の人々は、
絶世の美女の最後としては残酷な結末だと思って、
地震・津波の恐ろしさはそのまま伝えつつも、
月の国に帰るという綺麗な話に変えていったのではないでしょうか。

それと、特に今になって思うのですが、
    (竹取物語)                   (福島の震災)
子供を欲しがっていた竹取の翁←→エネルギー資源を欲しがっていた日本
かぐや姫のおかげで富んだ翁夫婦←→原発のおかげで発展した日本
結婚するにはどの男も条件を満たせない←→安定・安全な電源にはなかなか制御できない
地震・津波でこの世を去った←→地震・津波で(ウランは)海底や空中に帰った
と共通点が多いです。

ひょっとしたら、『竹取物語』は、
平成の東日本大震災・原発事故を予言していたのかもしれません。



義援金で原発被害者弁護団を組織してください

2011年05月21日 | 社会について独り言

東日本大震災と原発事故について思うこと(その3 )

福島原発で避難を余儀なくされている皆様には、お気の毒で言葉も出ません。
自宅への一時帰宅も始まって、その様子をTVで見ていると、胸が痛みます。

「原子力損害賠償紛争審査会」という組織から第一次指針というものが出ました。
JAの本部からも損害賠償請求の訴えが出ました。
日弁連から「原子力損害賠償紛争審査会」が公開で時間をかけて行われるよう要望を出しました。

でもどう見ても、事なかれ主義の審査会で、企業寄り、資本家より、弱者いじめで進みそうです。
避難されている方が失うのは、個々の財産は勿論ですが、
何といっても『明日からの生活基盤』を失ってしまうのです。

避難所生活の苦痛や疲労、農業や商売の収入減等への当面の補償よりも、
これから先の将来の生活をどう補償してくれるのか、という事だと思います。
これは今回の福島の皆さんだけでなく、
日本国民全体に今夜にも降りかかってくるかもしれないことです。

そこで、ひとつ提案があります。
全国から寄せられた義援金を使って、
優秀な弁護士を沢山雇って『原発被害者弁護団』を組織してください。

日本の弁護士だけでなく、
海外の腕利きの弁護士も雇って世界的に盛り上げればより良いです。
弁護士の資格がない方でも、
元東電社員で内部事情に詳しい方、元官僚の方、科学者の方にも
加わってもらったら良いと思います。

そうやって”戦わなければ
結局政府や東電の言い分が通って、泣き寝入りするだけです。
東電の清水社長を土下座させても、菅首相に罵声を浴びせても、
結局何にもならず、後味が悪いだけです。

弁護団を結成したら、あらゆる交渉の場で弁護士に立ち会ってもらいましょう。
政府や東電の方針には逐一チェックしてもらいましょう。
東電や政府は、あらかじめ多くの官僚や弁護士と打ち合わせをして、
その上で、被災者の皆さんに対処してくるのですから、
こうしてやっと、被災者の皆さんも対等になれて、物が言えるようになると思います。
全国の意のある弁護士の皆様、お力添えをよろしくお願いします。

 


リーダーシップについて考える

2011年05月19日 | ラジオ番組

5月19日 NHK『ラジオ朝一番』から
今週金曜午後から、NHKホームページで放送が聴けます。
右上のブックマークから入って下さい。

 ☆☆☆ビジネス展望☆☆☆
『リーダーシップについて考える』 
 遠藤 功  さん

4月にヨーロッパの西ドイツ、フランスを訪ねた。
日本の被災については極めて同情的に見ている半面、
福島原発の事故処理については、
首相や東電首脳のリーダーシップについて手厳しい批判が多かった。
あるフランスの識者は、
 「原発はもともと未成熟な技術で”何かが起こり得るものである
 そのようにリスクの高い原発をやるというのであれば”、
 いざという時にきちんとした対応ができるリーダーがいる国しかやっては駄目だ。」
と主張していた。
原発についての高い技術や豊富な実績があるかどうかということではなくて
彼らの論点は、リーダーシップのあり方を問うているように聞えた。

確かに今回の大震災に限って言えば、
『政府や東電本社という中央のリーダーシップというのはどこか頼りなくて信頼できない』
という不安を多くの人が感じているのは事実だと思う。

しかしその一方で、地域とか現場に近いところに行くと
非常に信頼に足るリーダーが数多くいることも明らかになっている。

例えば、被災された市町村の首長の方は、ご自身が被災者であるにもかかわらず、
地域を守ることに必死の努力をされて、常に住民の先頭に立っておられる。
東電にも立派なリーダーがいる。福島原発の現場では吉田所長さんが中心となって、
まさに日本の国を守るために必死の戦いを続けている。

間違いなく、日本にもリーダーはいると思う。
そういう人たちは、いわゆる欧米型の大統領的なカリスマ・リーダーではなく、
常に現場や地域とともにあってその目線で問題と格闘している、
これが日本のリーダーシップの姿であると思う。

これからの被災地の復興において何より大切なものは、
どこにリーダーシップがあるのかということを示して、司令塔を明確にすることである。
だれが主体となって復興を進めるのか明らかにして、一元的に進めていく必要がある。

今回の復興のリーダーは間違いなく、
それぞれの地域の実情を一番よく知っている各自治体の首長でなければならないと思う。
復興予算も計画作りも大幅に各自治体に権限移譲して
『地域のことは地域で決める』という地方分権の理念の下に進めていく必要があると思う。

ただ被災した市町村も大変痛んでいる。
それでも従来のように中央政府に依存した復興をやるべきではないと思う。
いま大切なことは、被災した地域以外の自治体・市町村が
この先の復興の局面でも、人的物的な支援を進めてくれることだ。

自治体同士の連携を強化して、力強く支えていくということが不可欠であると思う。
全国のすべての自治体がこれまでの垣根を越えてネットワークを組んでいく。
そして被災した市町村の支援を積極的に行っていくことが
『地方の自立化』ということへの大きなステップに繋がっていくというふうに思う。


 


藤の花、そして藤正樹さん

2011年05月01日 | 趣味・娯楽

5月に入った。
今年の”花便り”はどこも遅れがちのようだが、
あちこちで綺麗に咲きそろってきた。
しゃくなげ、あやめ、こでまり、ぼたん、そしてバラやつつじも咲き始めた。
それと今の時期、豪華で香りも良いのが”藤”。
先週仕事の合間に近くの藤園を見てきた。

さて”藤”と言えば、藤あやこ、藤圭子、藤純子と艶っぽい女性が目立つが、
今日は、藤正樹さん(後にふじまさきに改名)について語りたい。

藤正樹さん、中学生のとき、あの『新潟ブルース』で
日本テレビの新人発掘番組に優勝して、
キャニオンレコードから”坊主頭に学生服姿”でデビューした。
花の中三トリオ”と言われた、百恵・淳子・昌子と同世代。



1973年7月、デビュー曲は『忍ぶ雨』。
 「忍ぶ雨」

傘をさす手の か細さが
長い不幸を 物語る
路地の石段 夜更けに帰る
弱い女の弱い女の 忍ぶ雨

東京はなれて 西へ行き 
なじみない町 さすらって
胸の未練を 捨てたいものと
生きる女の生きる女の 忍ぶ雨

恋にすがって 捨てられて 
恋にやつれた この体
誰を恨んで いるでもないが
やせた女のやせた女の 忍ぶ雨。

彼の持ち味はたっぷりと低音を効かせた歌唱力。
本格的実力派の演歌歌手として大絶賛され、
年末には、各種の新人賞を総ナメにした。

それでは藤さんのアルバムを見てみよう。



デビュー2ヶ月後の73年9月に最初のアルバム、
『忍ぶ雨 演歌の怪物初登場』がでた。
曲目は、持ち歌の忍ぶ雨のほか、新潟ブルース、花と蝶、
夜霧よ今夜もありがとう、一度だけならなど、全12曲。
どれも見事な歌いっぷり。

レコードが擦り切れないように、カセットに録音して繰り返し聴いたものだ。
藤さんの時代は勿論レコードだったのだが、
残念ながらCDで復刻されていない。
その為私は自分でCDに焼き付けた。
ついでにジャケットの写真をCDケースとCDに印刷してみた。
普段はこのCDで聴いて、特別の時以外はレコードは大事に保管している。



2枚目のアルバムは2ヶ月後の73年11月に出された。
よっぽどアルバムの売れ行きが良かったのだろう。
相変わらず、学生服姿だが、服の色が紫になった。
『藤正樹 女ごころを歌う』とある。
持ち歌は恋やつれが加わって2曲になり、このほか、柳ヶ瀬ブルース、
雨、京都から博多まで、逢わずに愛して長崎の夜はむらさきなど全14曲。



3枚目は翌74年4月、『あの娘がつくった塩むすび』。
実はこれが私が最も好きなアルバムである。
歌があまりに上手いので、こぶしを効かせた演歌歌手になってしまったが、
このアルバムでは、軽やかなリズムで「青春の恋」のような曲を歌っている。
あの娘がつくった塩むすび、小っちゃなふるさと、春の慕情など全12曲。
全部オリジナル曲だが、遠藤実さん、佐伯としおさん、山口洋子さんの曲もあり、
そうとう力を入れて曲作りをしたようだ。

このような曲で、普通の服装や姿でデビューしていたら、
彼の歌手生命は別方向でもう少し活躍できたのではないだろうか。
3枚目のアルバムが出たちょうどこの頃だが、
浜松の西武デパートのサテスタに出演された時にお会いしたことがある。
その時は学生服ではなく、上下とも薄い水色のジーンズだった。
アイドルとまではいかないが、凛々しい顔立ちで笑顔が綺麗な少年という印象。
『青春演歌』でデビューさせた方が良かったのではないかと思う。

「あの娘がつくった塩むすび」

上りの列車が 出るときに 
あの娘がホームに 駆けてきた
大事に抱えた 紙包み
黙って渡して 手を振った
あの娘が作った塩むすび 
指さき一粒 ご飯つぶ
別れの涙の 味がする

炊きたて御飯の ぬくもりは
16あの娘の 恋ごころ
百遍好きよと 言うよりも
やさしい気持が よくわかる
都会へ行っても 忘れない・・・・・
指さき一粒 ご飯つぶ
別れの涙の 味がする

藤さんはこの頃も歌っておられて、
平成20年にCDを出されたとネットで知った。
大人の藤さんの歌も是非聴いてみたいと思う。