ジョージ・いまさきもり の アンダンテ・カンタービレ

晴れた日は農業とウォーキングとライカ、雨なら読書と料理。
そして毎日ラジオがお伴です。

豊満な『時鮭』と100%天然の『柑橘ジャム』です

2011年06月19日 | 健康と滋養

週金曜日に札幌の知人から『時鮭』をいただきました。
今年2月の『札幌雪祭り』の時に再会した知人からです。
『鮭』と言えば、
私は、新巻鮭とか普通の塩鮭しか知りませんでしたが、
知人の話では、それらはお婆さんの鮭で、
春に獲れる『時鮭』と呼ばれる若い鮭が一番美味しいとのことでした。
嬉しいことに、その『時鮭』を送ってくださったのです。

届いた時、生憎私は接骨院でリハビリ中でしたので、
帰宅して『時鮭』に対面したのは、
アララ、2つに切られて冷蔵庫に納まっていました。



ウーン、普通の鮭とは見た目も全然違います。
肌は銀白で弾力があり、ふっくらした体つきです。
『豊満なふっくら美人』で、なにか興奮してしまいます。

輸送用の外箱は『新巻鮭』用になっていました。
漁師さんから直接入手されたようです。

さて、この鮭を冷凍庫に入れる為、
『あさり』の半分と、『ゆず・デコポン』が追い出されました。

『ゆず・デコポン』は、冷凍保存する時に果汁と皮・内袋と分けてあるので、
それぞれ取り出して鍋で煮るだけです。



たくさんできました。



(注)柚子だけでジャムを作ろうとすると、砂糖や蜂蜜が大量に要ります。
   デコポンだけで作ろうとすると、砂糖類は要りませんが、果汁が固まりません。
   柚子+デコポンで砂糖要らずの美味しいでジャムができます。
   レシピは後日書こうと思います。

今週は、『父の日』ということで、
明日から娘が孫たちを連れて、遊びに来てくれます。
お米のケーキも焼きますが、
このジャムでヨーグルトとかを食べて貰えると嬉しいです。
『時鮭』も皆と一緒にいただこうと、楽しみにしています。

 

 


原発事故に思う~その4

2011年06月18日 | 社会について独り言

福島原発の『循環注水冷却』システムが、今朝稼動して5時間で停まったようです。
現場の皆さんを始め、懸命のご努力をお願いしているわけですが、
なかなか予定通りには行かないですね。
福島事故の収束はいよいよ見えなくなってきました。

愛知県にまでは、まだ放射能の直接の影響は来ていないようですが、
隣の静岡県では、お茶葉が放射能を浴びてしまったようで、大騒ぎです。
こうなったら最悪の事態どうなるか、準備に入らないといけないでしょうか。
つまり、福島原発から、空に・海に・陸に、放射能がどんどん垂れ流しになった場合ですね。

こうなれば、東電や政府の補償などは、あてにあらないでしょう。
いや、こういう事態が想定されるから、
あんな『国民総負担』という、いい加減な「原発補償法案」を作ったのでしょう。

風や潮流で放射能はどんどん広範囲に広がって行くでしょう。
住む所は?、食べ物は?、働く場所は?、学校は?、畑や田圃は?、収入は?、外出は?
日本の国に残れるのでしょうか。
『国汚れて、山河なし』にならないでしょうか。

政府や東電は絶対この手の情報は出さないでしょうから、
外国のメディアとか、日本の憂国の科学者さんにお願いするしかないでしょうか。
皆でお金を出し合って、外国の機関にお願いできれば一番良いのですが。

海江田経産相が今日、
停止している原発の運転再開を全国の自治体に指示したようです。
本当に十分な安全対策がされたならよいですが、
自然災害の前では、原発を運転していても、停止していても、
どちらでも放射能が流出してしまう、という恐ろしさが解ってしまったから、
それなら、運転させようか、というのだったら困ります。

今日は暗い話ですみません。明日は明るい話題を探します。

    


前向きな言葉を使おう

2011年06月16日 | ラジオ番組

6月16日 NHK『ラジオ朝一番』から

☆☆☆ ビジネス展望 ☆☆☆
『前向きな言葉を使おう』   遠藤 功 さん

大震災から3カ月以上が経過したにもかかわらず、 
被災地の復興はなかなか進まない。
福島原発も深刻な状況が続いている。

駒ヶ根市の副市長さんからいただいたメールを紹介したい。
 「こういう状況だからこそ
 常に前向きな言葉を使うことを皆が意識しなければいけない。 
 『何々しないとできない  ではなく 何々すればできる』
 『何々が悪い ではなく 何々を直せば大丈夫だね』
 『何々せざるを得ない ではなく 今はこれがベストだと思う』
 こういう言葉の使い方一つによって全体の雰囲気が変わってしまう。」

昨年、政治も経済も低迷・停滞している状況に対し
『閉塞感』という言葉がよく使われた。
セコムの創業者の飯田さんは、
「本当はそう感じていない人まで、この言葉を使ってしまっているのではないか。
そうしているうちに、日本全体のムードは次第に暗くなってしまった。
だからネガティブな言葉は使わない方がい。」
と言葉の使い方について同様の指摘をされていた。

政治家やメディアの方々は言葉を扱うのが仕事だから
一般の人に比べたらよりそういう意識を強く持っていただきたい。

一昨年に民主党が事業仕分けを行ったとき、
「世界一になる理由は何があるのか? 2位ではだめなのか」
という発言が話題になった。
無駄を省くという目的には賛同であるが、
この言い方は受け手の気持ちへの配慮がされた言葉ではない。
例えば
「いま財政状況が苦しいので、予算の圧縮に協力してもらいたい。
でもその中でぜひ世界一を目指してほしい」
というふうに言えば、受け止め方も全く違ったものになったはずである。

菅首相は昨年、『最小不幸社会』という言葉を発したが、
内容は別として、最小とか不幸という言葉では
どうも前向きな言葉として、世間の人は受け取りにくいと思う。

これから被災地の復興や日本の再生に取り組むにあたって、
もちろん現実を真正面から直視する必要はあるわけだが
政治家やメディアの方々には、
意識的に前向きな言葉を発することを心掛けていただきたい。

##この文章は私の覚えとして放送を要約したものです。##
今週金曜午後から、NHKホームページで放送が聴けます。
右上のブックマークから入って下さい。  


静養中の話題を二つ

2011年06月12日 | 家での寛ぎ

ウェブ拍手に寄せられたご意見

5月の末頃から『ウェブ拍手』をいただけるようにしました。
(右の欄外にあります)
今日までに13人の方の拍手と3つのご意見を頂きました。
お寄せ頂いた皆様ありがとうございます。

ご意見の一つは
福島県の福島空港に近い須賀川市で、
子供さんたちに陸上競技の指導をされている方からでした。
「『原発被害者の弁護団』について、同じ考えの方がいた」と。
また同氏のブログを読ませていただくと、
校庭の放射線量を測られる苦悩や、疎開する子供さんの現実などが生々しくて、
心が痛みます。

もう一つ、高校生の方からで
朝の放送を聴かれて、さらにこのブログを読んで再確認をされているそうです。
その中で、『電力の発電事業と送電事業を分離する』ことについて、
「ブログでは『電力の配送電の分離』と書いているが、これは『発送電の分離』ではないか」
ということでした。
NHKのポッドキャスティングで、最近の放送を何回か聴き直してみると、
確かに『発送電の分離』と言われている方が多いです。
これからは、『発送電の分離』にします。
私は『電力の(発電事業と)配送電事業の分離』と言われていると思っていました。

6月の花。

先週は家で静養をしていたので、TVも少し見ました。
その時気がついたのですが、BS放送が映らない。
雨の日、風の日はBSは映らない時が多いから、
あまり気にはしなかったのですが、
翌日雨が上がっても映らない。

そこでやっと『アンテナがまずいのかな」と気がついた。
庭から見てみると、アララ、薔薇の花に覆われてしまっている。
これでは電波が入ってこれないわけだと合点した。
『朝顔につるべ』ではなくて、『薔薇に電波』ですか。







薔薇とアジサイ。
私の父が存命中にあちこち植えてくれたものです。
雨にも風にも負けず、咲き誇ってくれています。

 

 

 


広島の友人夫婦

2011年06月12日 | 社会について独り言

先週は静岡の姉のところの田植えで不覚にも怪我をしてしまいました。
田植え機から降りる際に、水の深さを読み違って転倒してしまい、
「あ、痛たた!」で右足捻挫と左手打撲。
田植え2日目で少し慣れて油断をしたせいだと反省しています。
植え残した2枚はご近所の方が代わってくれましたので助かりました。
投稿を数日間も滞りましてすみませんでした。



週半ば、自宅で静養している所へ、懐かしい友人夫婦が訪ねてきてくれました。
20年前に、ご主人の転勤で大阪からご近所に越して来られて、知り合った方です。
5年間居られて、大阪に戻られた後も行き来して親しくさせてもらっていました。
ところが最近5年間くらい連絡が取れなくなってしまって、心配をしていました。

聞くところでは、5年前に奥様の弟(ご長男)が亡くなられたので、
代わって母親の介護の為に広島の実家に移られたそうで、
ご主人も早めの定年をして奥様に同行されたとのことです。

母親は4月に亡くなられたそうですが、
それまでの約5年の間、
奥様ご自身も外出は車椅子、家の中では歩行器という不自由な身でありながら、
母親の介護をされていたそうです。

それでやっと一段落した感じになって、
奥様もうちの家内に会いたくなって寄って下さったようです。

広島は呉の瀬戸内の海と島々がとても美しい所に御住まいのようです。
この夏にはこちらからお訪ねするようにお約束をしました。

奥様の母親は被爆者で、死因は癌だったそうです。
弟さんは独身で通されて、50歳で白血病で亡くなられたそうです。
奥様のご長男は、幼い頃から医者か科学者と言っていましたが、
薬学を専攻され製薬会社に就職されました。
ご長女は大阪の大手の企業で福祉器具の営業をされているようです。

広島と長崎は、『65年前のできごと』ではない。
ずっと『今日、目の前で起きていること』だとつくづく思います。

ご長男が5月から転勤で富山から浜岡原発に近い事業所に移られたそうです。
それで、心配で様子を見に来られて、その帰路我が家に寄ってくれたと思います。

お土産に頂いた『もみじ饅頭』です。
何故か、ちょっとしょっぱい味がします。