『経済と人権』
10/28 NHKラジオ 浜 矩子さんのお話の要約です。
最近『ブラック企業』という言葉が話題を呼んでいる。
世の中一般的に、経済活動というのは弱肉強食・淘汰の論理に基づいて動くものであって、
市場には、人間の人間らしさ(つまり基本的人権)は、全く関係ない、親和性はないもの、
と思われてしまっている。
グローバル時代は、生き馬の目を抜くみたいな事が当然だと思われている。
そのように、『経済活動が人権を守らなくても当たり前』という感覚が根付いてしまったような感じがする。
非常に気になるところである。
『ブラック企業』というのは、
問題を起こしている企業行動を的確に表した、非常に面白くていい言葉だと思うが、
ただ、あまりにも”ぴったり感”が強い言葉であるだけに、そういう名前をつけてしまったことによって、
そういう企業行動に、一定の市民権のようなものを与えてしまうという怖さもある。
『ブラック企業』と名付けられている動機としては、極めて批判的な意味合いであるから、
『ブラック企業』という言葉自体の存在を是認するということにつながってはいけない。
本来、企業活動というのはブラックであってはならない。
企業と看板を掲げる以上、
そこには言わば暗黙の前提として『ブラックなことはしない』ことがあり、
そういう気構えが必要である筈である。
さて、
グローバル化時代の中で、ますます競争が厳しくなっていて
『経済活動=競争』であり、その競争に勝ち抜くために、
多少の犠牲は払わなくてはいけない、という考え方があるようである。
しかし、このような考え方は違っている。
『経済活動は、まさに人間の営み』であるから、人間性を無視していいはずがない。
経済活動に『競争』という側面は確かにあるが、
しかし、経済活動の中には『共生』という側面も非常に大きく占めている。
企業には顧客が必要である。
物作りをする者にとっては、その物を買ってくれる人が必要がある。
お互いに支え合っていく、お互いに命を与え合う、というのが経済活動の本質である。
一人で経済活動はできないのであって、
例えば、一つの企業が全面的に競争に勝って独占状態を作り出してしまったならば、
自分が作った物を買ってくれることのできる人々がいなくなっている、
ということにもなりかねない。
そういうところから目がそれてしまい、『何でもあり』状態になって行くというのは
ついには、人間の自己否定につながってしまうのである。
企業の経済活動が、何故競争本位のそうした方向へ進み勝ちなのか?
一言で言えば、『背に腹は代えられない』という事で、
皆お互いに、お互いを追い詰めあっているからである。
このグローバルな強大市場の中で皆が自己展開を追及するということになると、
『競争』か『共生』か、どっちの側面が前面に出るかというところで、
やはり、『競争』という面が非常に際立ってしまう世の中になっているという事である。
しかしふと考えれば、『誰も一人では生きていけない、誰も誰かに何かを借りて』でないと生きられない。
市場がグローバルに広がったということは、
『よく考えてみれば、そういうことだ』という視点を見失ってはいけないのである。
この視点を改めて再発見しないと、皆結局生きていけなくなってしまう、という時代状況にあるといえる。
このことは、企業家だけの責任でなく社会全体の責任である。
世の中全体として、『経済とはそう云うもの(経済=競争)である』、『弱肉強食なのである』と、
人間と非常に遠いところにあるのが経済だ、というふうに人々が思ってしまうと、
経済はそういう生き物になってしまう、という事がある。
総じて、世の中全体として、
『経済活動は、人間による人間のための活動である』という、
ものの見方がしっかりしているという事が重要である。
そうであれば、結局、企業もそのようにしか行動することができないのである。
企業を、いかなるものたらしめるかは、我々の目が決めるのである。
我々が、厳しく経済活動というものに人間らしさを求めて、それが世の中の風潮となってくれば、
企業もそれに従わなければいけない、となるわけである。
まさに企業というものは、
我々が、どのようなものであることを許すかによって、その通りのものになってしまうのである。
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