「日本の意識構造」とか、「失敗の本質」とか、「満州事変(政策の形成過程)」など先の大戦の日本軍を記述した著書を読むと、実に現在の日本の社会システムとかビジネス形態に共通点を見いだせる。
日本軍は一度夜襲に成功すると、何度も夜襲を試みる。ところが、アメリカ軍は2回目から準備万端で待ち構え、日本軍はまんまと罠にはまり、大敗もしくは全滅する。ところが日本軍は敗北を認めず、何度失敗しても同じことを繰り返した。(日本の意識構造)。真珠湾で成功してミッドウェイで大敗した海軍ともダブる。
軍隊では成績優秀な人材が登りつめて行くわけだが、実際の戦争では授業や教科書で習ったような戦闘場面は一度も無かったたため、指揮官は混乱し、適切な指揮を採れなかった。こうして敗北を重ねた(失敗の本質)。
満州独立を目指す関東軍に対して、東京の首脳は説得も出来ず、努力もせず、曖昧に終始したため関東軍の暴走を黙認することとなった。この事が先の大戦を引き起こす流れを作ってしまうが、当事者は全員、無責任そのものであったという(満州事変)。
更に、企業がエネルギー・鉱物の資源を獲得のため軍部トップや現地の将校に賄賂攻勢し、中央から戦場まで乱脈を極めた。このため戦線(領域)拡大が欲望で急加速され、制御不能に陥り輸送もままならなかった(NHK番組より)。
戦後、バブルまでは、米欧のノウハウ獲得やキャッチアップ(コピー)で経済が成長した。バブル崩壊の1991年以降の日本を振り返ると、官僚が経済対策と称して馬鹿の一つ覚えのように、税金をばら撒き続け、遂に1000兆円を超えてしまった状況が、戦時中と酷似しているのである。
失われた10年はいつの間にか失われた20年になった。官僚が考えたに違いない造語をマスコミが使い、犯人(当事者)である官僚の責任は全く問われることが無くなっている。日本最高のエリートされている東大法学部官僚が間抜けにも失敗を重ね続け、日本を沈没させた事をマスコミが隠してくれているわけだ。
日本の教育は中国の科挙を原点として、知識を記憶させることに重点を置いているから、ただただ、いかに効率的に記憶出来るかが問われ、そのテクニックが高度に発達してきた。中身を理解も吟味もせずに詰め込んだ知識情報が役に立つはずも無く、また、広げ過ぎた情報が単なるゴミにしかなり得ないが、入試の合格はそのゴミの差で決まるというパラドックスとなっている。
中世以前の社会では、農業が最大の生産力で定常的な社会が継続し、知識詰め込み型でも通用した。知識詰め込みは単純で楽な教育でありながら、役に立ってきた。ビジネスにも乗せやすい。ところが、経済や社会が急速に著しく変化する現代では、知識そのものが陳腐化し、ビジネスの現場では対応できなくなっている。
東大法学部卒も完全にバカではないから、実践社会での無力さに気づいている。その無能さをカバーするために、鉄の結束を固め(東大偏重人事、助け合い)、新しい問題・難しい問題は先送り、棚上げ、封印し、加えて巧妙な嘘を連発してごまかし、つじつまを合わせている。
企業も大卒の実力が下がり続けているのを十分承知の上で、経営者は自らの優位性を維持し、またノスタルジーに浸りたいがため、大学への改革を求めず、採用を非力な新卒に絞る。本来、会社に利益をもたらす人材は無制限に採用したいところだが、そのような人材が現在の教育で育つはずが無く、実力は落ちる一方の中で、採用数は増えず、給料も下がり続けた。
経営者は営業力を持ち、開発製造を得意としなければならないが、実力が無いのに権限を欲しがる。一度、高いポストに就くと異常な支配管理体制とし、自己中心の偏った人事を強行する。また、事務系のトップは訳の分からんマネーゲームにどっぷり浸り企業が傾く。かくして、現場を重視する本来のビジネスとは乖離しつつ、韓国や中国に負け続けてきた。
例えば、営業(顧客ニーズの吸い上げ)を重視したかつての松下、トヨタ、シャープは強みを発揮してきたが、今はその原点が失われている。部品点数が多く、随所に高度な技術を要求される自動車(トヨタなど)が辛うじて世界的優位性を保っている。
日本に欠けていた戦略性とは何か?突き詰めてゆくと、幅広い情報収集、正確な評価、適切な目標設定、果敢な実行、更に言えば、課題を解決する創造性と言うことになる。取り分け、優れた評価システムが全てのステップで重要な役割を果たす。
その意味で、嘘だらけの官僚組織は根底から戦略性を欠く。官僚から嘘を除去したら、何も残らない。官僚の本質は嘘、ごまかし、無責任。そう言えば、大嘘つきの東大法学部卒・元外交官のプロ野球コミッショナーがいた。自分のサインが入った球が変更されたことを知らなかったなんて、東大法学部の強度支配体制の中で有るわけないじゃないですか。
官僚が戦略という言葉を使う時は、単に「凄い」などの形容詞的な意味を持たせたい時で、官僚が戦略を全く理解できない以上、中身は戦略とは全く関係が無く、時として真逆の内容であろうことは想像に難くない。
日本の将来を考える時、先の大戦の徹底分析は日本の社会システム、究極の場面での日本人の行動形態を把握するうえで大変良い題材・実例となる。いつか、総括すべきテーマである。