宇宙・生命・日本 1000年後のあなたに語りかけたい

巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

時間の散歩

2013年06月25日 14時32分49秒 | 宇宙

 宇宙の起源まで歩んでみよう。時間をずっと、ずっと遡ると、ある空間に物質と反物質がペアで大量に存在し、くっついたり離れたりと、煮えたぎっているような場所が有る。ペアになっている時は打ち消しあい、ゼロになる。つまり、大量に存在するはずだが打ち消され存在しない。ホーキング博士によるとこの空間では虚数の時間が流れている。

 物質は反物質に対して僅かに大きめとなっており、このバランスのずれから1個の物質が遊離し、トンネル効果により別の空間に物質が浸み出し宇宙卵となる。この瞬間が時間ゼロ。大きさは量子大。とても小さいので電子顕微鏡でも見ることが出来ない。浸み出した宇宙卵が大爆発・大膨張して我々の宇宙が誕生したとするのがビッグバンである。ゼロから宇宙が誕生したシナリオだ。

 我々がいる宇宙空間に対して、別の空間が存在するのは4次元空間(3次元に時間をプラスすると4次元となる)のなせるところである。このように現代物理学では、時間が極めて重要な役割を果たしている。

 つまり、時間はステージによって虚数になり、プラスになり、そしてマイナスにもなる。現在は膨張している宇宙だが、ある瞬間から時間がマイナスに転じ、拡散していた天体は一点に凝縮してしてゆく。やがて、元の量子大に戻るのだ。

 さて、時間が逆転を始めた時、我々はそれを知ることが出来るのだろうか?面白い質問だが、答えはNO。二つ理由が有る。一つはあなた(観察者)と、あなた以外が完全に同期して時間が逆転するので、あなたは時間の逆転を観察できない。

 あと一つは、実体のある現象では時間の逆転が不可能なせいだ。例えば、今、あなたがカップに入っている珈琲を絨毯にぶちまけたとしよう。次に時間を逆転させたら、絨毯に浸みたコーヒーが絨毯を離れ、宙を飛び、カップに戻るか?それは有りえない。

 これまで科学者が発表した論文の中で、物理、化学、生物の現象で時間が逆転した実例は報告されていない。有れば教えてほしい。

 あなたが、虚数の時間やマイナスの時間の現象を見る事が出来るとしたら、全く別の空間から眺めているわけであり、まるで神様のようなものだ。観察者であるあなたの時間が正常でなければ正常に観察できないし、実は時間が虚数やマイナスの空間にいる人や物質にとっても時間はプラス(正常)にしか動きようが無い。

 虚数現象について参考になることが有る。電気では交流に絡んで虚数を使う。電流や電力を虚数で表わす場合があるが、決して電流や電力が虚数なわけではない。虚数で表すことにより計算式に当てはめ、複雑な現象を簡単に計算できるようになり、また理解し易いということだ。

 電気の例のように、時間(本来はプラスの正常値)を虚数で扱った場合が計算しやすい、あるいは分かりやすいかと問えば、それはNOでしょう。

 私は、時間(物理で扱う厳密な意味での時間)は存在しないと主張しており、その証拠は100でも1000でも示せるが、仮に時間が存在する場合でも、虚数やマイナスの適用は無茶だ。時間は観察も計測もされておらず特性が不明である。

 時間とは、その言葉で印象付けられる運動の履歴なんですね。時計の針は安定した動きをするので、その運動履歴により時間を知ることが出来る。しかし、どこかに時間が存在するわけではない。数学的には、時間は距離と運動の関係で表される。(時間tは非実態変数)

 一方、物理学者は3次元プラス時間を4次元としている。3次元は空間である。プラスして次元が増えるとしたら時間も空間でなくてはならない。どう考えても時間が空間であるわけがない。

 また、数学の積分で、1次元の積分が2次元、2次元の積分が3次元とする事に違和感は無い(数学の範囲の話である)。しかるに、1次元、2次元という空間は存在しないのであり、1、2、3、4と次元を並べて、4次元(我々の宇宙とは別の空間)が有るように思わせる手法は、申し訳ないが手品師や詐欺師のそれと同一である。

 宇宙物理学者の言うマイナスの時間は、ビデオなどの映像を逆転させて見るしかない。実在しない代物だ。虚数となると、もう手におえない。物理学とは言うものの、実は現代宇宙論は数学という閉じた世界の話だ。バーチャルな世界でもある。ビッグバンは何ら確認も証明もされていない一つの仮説だ。 

 ビッグバン仮説が生まれた背景には、キリストの天地創造という宗教観、人間の論理(始まりが無いという論理が受け入れ難い)が有る。また、巨額な宇宙開発予算、研究実績、膨大な書籍、収入、地位、名誉などが反論を封じ込めることになっている。現代物理学の世界も左遷や抑圧のある狭い村社会なのだ。

 最もリアリティーのある仮説は、①宇宙には始まりも終わりも無く、無限で、ありとあらゆる可能性を試している。②極めて稀ではあるが、巨大ブラックホールどうしが衝突し、大量の物質を放出させ、天体などが作り出され、新たな宇宙を創出する。(ブラックホールは大量の物質を吸い込み極度に凝縮させている)

 我田引水になるが、この仮説は以前このブログで発表した。とりあえず、KY仮説としておいてください。

 

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日本の教育は1から10まで間違っている

2013年06月21日 12時20分34秒 | 深刻な問題

 1から10までは私が選ぶのだから、日本の教育が100%間違っているとは言わない。しかし、日本の教育が間違っていると断言する根本的なところは、日本に国家ビジョンが無く、国家ビジョンを実現するための教育になっていない事だ。

 目標が無いので、安直に、楽な知識暗記型を継承し、企業が偏差値などのツールを駆使したビジネスを展開している。知識型はビジネスに向いている。

 目標を明確にしないのは官僚一流の手法で、それぞれが勝手に解釈し、自分に都合の良い教育の方向を目指す。全体から見るとベクトルがバラバラで、何をやっているのか分からない。要は、官僚は金をばら撒いて、既得権を増やし、自己満足したいだけ。

 文部科学省は塾の必要性を認めている。これは教育行政の敗北だが、教育をビジネスにしてしまうことで、何より官僚にとって既得権の拡大に繋がる。懐具合も良くなる。日本の製造業の巧みさが幼稚園から高校生までの子供たちを知識ロボットに仕立てるために活用される。材料が子供たち、工場が巨大塾だ。

 日本教育は根本的なところで欠陥が有り、作り出されるロボットは欠陥品となっている。未来の夢である子供たちは揃って欠陥ロボットとなり、確実に日本の未来を壊している。

 日本が発展途上国であった時代には知識(先進の情報)の詰め込みが役に立ったのであるが、日本が世界の頂点に立った瞬間に、模倣すべきモデルは消え、知識だけでは対応できなくなったのである。ところが、日本の発展過程における社会システムがそうであったように、見直しも分析も改革も無く、殆ど古いシステムのままでスケールアップだけで進んできた。

 1960年代、ハーマンカーン博士によって21世紀は日本が経済で世界をリードすることが予言されていた。バブル崩壊までは博士の予言どうり発展してきた。日本は早急に世界をリードするリーダーを育成する必要が有った。しかし、現実は真逆だった。例えば、東大法学部で一番になった学生がその秘訣を「自分の意見を書かない事」と述べている(文芸春秋)。イエスマンが求められ、独自の考えは悉く否定された。

 高校生までの子供たちはひとえに偏差値の高い大学に入学することを目指し、知識を詰め込んでいる。入学できればところてんで卒業できることが分かっているからだ。ところてん度は日増しに強くなり、本来入学できない学生を入学させると(定員割れを防ぐ)、進級できない学生を進級させ(落第させると文部科学省から指導有)、卒業できない学生を卒業させている。

 英語を聞き取れず、話せない教師が英語のへ理屈を教え、ネイティブの幼稚園生にも劣る大学生に合格点を乱発する。当然大学卒業生は全く英語が聞き取れず、殆ど話せない。大学の単位は全く権威も保証も無い。

 日本の歴史教育は世界的にも例の無いほど大穴の開いた内容だ。それは、現代史が欠如している事。卑弥呼や聖徳太子が何であれそれが現在には全く影響がないが、明治以降特に新しい歴史ほど重要である。官僚とか電力会社とかで、どうでもよいようなミリ単位をこだわり ぎちぎちやる癖に、センターに100mぐらいに穴が開いているのと同様だ。

 国家戦略の意味では、例えば第2次世界大戦の始まりから昨日までの歴史は極めて重要である。ところが、日本の歴史教育では大正以降が欠落している。日本で国家戦略が成り立たない原因にこの現代史の欠落が有る。他方、アメリカや中国は自国の現代史だけでなく、日本の現代史を研究している。世界が日本を戦略的な見地で把握しており、日本は日本の事を知らない。

 電力会社は偏差値エリートの集団だが、トップに上り詰めた連中を振り返ると、大半がまともに挨拶できない。政治力学を背景に、特別なエスカレーターに乗ってふんぞり返り、巧みに嘘を混ぜた作文で老人(=権力者)を騙しつつ、権力構造を手中にしてゆくのだ。減点主義で落とされないよう、仕事するふりは上手でも、実質的な仕事はしない。

 実は知識を詰め込んだエリートが頭のおかしな集団であることが理解できる。重要なボルトが数本抜けているのだろう。論理性が掛け、物事をまともに判断できない。日本軍が騙し討ちの初戦以降は負け続けたのも、バブル崩壊以降、金をばら撒くしか能がなく巨額借金を重ねひたすら日本を沈ませてきたのも、日本の知識最高峰のエリートがなせる業である。

 話は飛ぶが、国家ビジョンが無い事の影響は教育だけでなく深刻だ。日本はバブル時代には高度成長を驀進し、経済でアメリカに挑戦し、打ち負かしつつあった。しかし、日本が世界一の経済大国になった場合世界をどうリードし、アメリカとどのような協力関係を形成するかが不明だった。日本の資本は怒涛のごとくアメリカに押し寄せ、アメリカを買収しつつあった。

 冷戦末期のアメリカにとって対峙するソビエトより日本の方が脅威だった。その対策の一つとして、アメリカは世界の工場を日本から共産党が支配する中国へシフトさせた。極端な日本嫌いと不信が影響した。このアメリカの取り返しのつかない歴史的な失敗により、やがて中国が経済的にアメリカを凌ぎ、軍事的にもアメリカを凌駕する可能性が大きくなった。

 日本が焼け跡から不死鳥のごとく立ち上がり経済大国にのし上がった原因は勿論日本人の勤勉性や真面目さも有ったが、それ以上に、キャッチアップ(ノウハウのコピー)だったし、アメリカの全面的な協力だったことは疑いようが無い。

建設中!!

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コンフェデレーションカップで日本がイタリアに負けたのは作戦ミスが原因

2013年06月20日 21時53分19秒 | スポーツ

 早朝にテレビのスイッチを入れると、本田がPKを蹴る場面だった。イタリアのキーパーは前回同様真ん中に蹴るかもしれないと思い、うかつに飛べない(ビデオは繰り返し見たはず)。本田は落ち着いて右端に転がし、ネットを揺らした。予想外の展開になった。

 二つ目のゴールはイタリアのゴール近くでもみ合っている中、香川がボールを浮かし、ゴール側に身体を回転させるとボレーシュートで見事に仕留めた。神業!!思わず手を叩いたね。サッカー音痴の私も眠気が吹っ飛んだ。世界8位のイタリアを相手に出来過ぎだった。

 圧倒的に優位な状況となった。サポーターでなくても「勝利」の言葉が浮かんだに違いない。気分がふわっと高まり、緊迫感が失われただろう。ここで、少なくとも前半の終了の笛が鳴るまで、引いて守りに徹し、カウンター狙いに切り替えるべきだった。

 降って湧いたような?勝利を予感させる状況。油断するなと言っても無理なところ。勢いに乗って攻めにかかる。ブラジルに負けた悔しさ、この試合にかける必死の思いが薄れている。調子の良い時の「イケイケ、どんどん」は日本人の気質。言わばゴムが伸び切った状態。

 一方、イタリアはアドレナリンが体中を駆け回り、牙をむき、持てる力と技の全てを投入してくる。常に四方の敵に囲まれていた歴史を持つヨーロッパ勢は、劣勢の戦いを心得ている。この差は明らかだ。喜びは勝った後で味わえ。

 第二次世界大戦で真珠湾に勝利したがため、勢いで戦線を拡大しすぎた日本軍は、すべての地域で手薄となった。アメリカの強烈な反撃に、なす術なく、敗走を余儀なくされた。好調の時ほど体勢を立て直さなければならない。守りに重点を置き、戦線を縮小すべきだった。

 ゴール前を全員で固め、守りに徹すれば、そう簡単に点は入らない。何よりも重要なことは、気分の立て直しだろう。伸び切ったゴムを一旦戻す。しかい、そのまま、コート全体でプレーを続行したので、広すぎる戦線をカバーできない。全力で向ってくる相手に攻撃のチャンスを与えた。

 参考になるのは後半のイタリアチームだ。3-3の同点に追いつかれた時、疲れも有ったのだろうが全員が引いて守りに徹した。解説はイタリアの足が止まったと言っていたが、それだけではない。これで気分も引き締まるだろうし、体力も回復できる。そこで反転のチャンスを掴めた。

 もし、日本が徹底した守りで固め、カウンター狙いに切り替えたら、少なくとも2-1、もしくは3-2で勝っていたと思う。ブーイングを受けようが、格好が悪かろうがどうでもよい。勝てる作戦をとるべきだった。落ち着きを取り戻せば、また通常の攻撃モードに切り替える。

 ザッケローニは、作戦の一つとして徹底防御とカウンター狙いの作戦を立てておくべきだった。天が与えてくれたチャンスを逃してしまった。反省が無ければ、次の機会も失敗する。

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ベンツな日々

2013年06月18日 22時07分17秒 | スポーツ

 ベンツファンではなかったが、四駆のスペック(右ハンドルも含め)にこだわり、世界中の市販車を検討し、合格するモデルを待ち続けた結果がベンツMLとなった。ま、凄い車ですね。四駆ディーゼル(ヨーロッパでは70%がディーゼル)の文句なしの世界一です。

 納車から3か月近く、既に6500kmを走った。今回、MLのメンテで、代車のCLSを違和感なく運転できたところから、ベンツスタイルがすっかり自分になじんできたことを感じた。

 CLSは流線型でパワーも強い。雨天で踏み込むと、FRのせいで、後輪が滑る。重心が低いから、カーブは楽だ。ピカピカのBMWの7をゆっくり抜いたら、BMWは嫌がって消えてしまった。しかし、セダンがそんなにいいのかな。私は、四駆でタイヤのグリップが強く、目線の高いMLの方が好きだ。

 ランクルからベンツMLに乗り換えて、毎日が新たな発見の日々だった(裏腹に慣れぬことの苦労の連続でもあった)。ランクルの良さは何といっても安定感と乗り心地の良さだろうね。それ以外は全てベンツMLが優れているといってよい。同じディーゼルでもMLは別格だろう。何で振動が無いのか分からない。CLS(ガソリンのみ)よりマイルド。

 圧巻は、脅威のトルク。特に上り坂では他の追随を許さない。BMWもボルボもアウディーも、スポーツカーもあっという間に抜き去る。それでいて、燃費は悪くて(相当アクセルを踏んで)8.6km/リットルぐらい。それは法律違反でしょうとの声が聞こえそう。平地だと10km/リットルは超えるか。

 速いが、常時パワードライブでは飽きる。王者としての走りを心掛けると、静粛でスムーズな車の良さをいかんなく発揮し、満足感に浸れることを知った。隣の車が飛び出そうとした時だけ、ちょっとアクセルを踏み、2m前を行く。すると隣の車は諦めてしまう。開けた前の風景を軽やかに切り開くのだ。

 最新テクノロジーの詰まった車はスイッチだらけで(飛行機のコクピットに近づいた)、加えてドイツスタイルの操作方法。最初は分からないことが多く、大いに戸惑った。色々逆らい、試し、結局、ドイツスタイル(センターの回転スイッチで操作)に躾けられてしまった。

 驚異的トルク、省エネ、振動の小ささは既に記述した。その他にベンツのこれが最高と言えるのは、①簡単で合理的な電子ミッション。指で下げれば前進、上げればバック、もう、他の車には乗れない。②ブレーキは良く効く。その代りパッドがすり減ってホイールが汚れる(トヨタはブレーキが効かない)。③ハンドルの安定性は抜群、信頼感が有る。

 ④何もかもが自動(ワイパー、照明、安全ベルトのテンション確認など)、⑤セキュリティーシステム:毎回変更されるイモビライザーの暗証番号、ショックで発生する音や照明によるアラーム、⑥親切な情報発信:液や油などの不足、パンク、部品の異常などを早めに知らせてくれる、⑦音響は迫力や広がりが有る、流石 受賞のシステム。

 ⑧エアコンは強力で立ち上がりが大変早い、⑨電圧制御により照明、エアコン、ワイパーなどが安定している、⑩ベンツの本革は優れているらしい、⑪3年間メンテフリーは助かる。

 この他に、ベンツが誇る安全性(トンネル内で、160km/hで壁に?衝突し殆ど怪我が無かったとか)が挙げられ、四輪の一つが完全に宙に浮いていても正常に走る(ML)などはベンツしかできない。

 勿論、課題も有る。①ナビは使いにくい。タッチパネルにし(ベンツは拒否している)、曲がる場合はサイバーナビのように「ここです」と言って欲しい、②ディーゼルの加速音(ちょっと踏み込んだ場合)は気にすると耳につく、③乗り心地は良いが、高速を滑るように走るランクルには劣る(扁平タイヤのせいもある)。

 ④鳥観モニター(BMWに装備、周囲との平面関係が分かる)は開発中らしい、⑤顔は精悍になったが、共通なのでモデル毎に変更して欲しい、⑥バックからベンツが認識しにくい、⑦スイッチ操作が多いのでややこしい(例えば、駐車スイッチ一つでエンジン切り、パーキングモード、ブレーキロック、降りた後のドアロックの全操作ができないか)

 ⑧ドアミラーは四駆用としては小さすぎる、⑨前後の近接センサーは距離が分かるようにして欲しい、⑩左足をもっと広げたい、⑪センターの物入れはやや小さい、⑫ニュアルは読みにくい。分からない(国産車が長かったのと山のようなスイッチ類で戸惑いが多かった)。

 要望はきりがないが、幅と高さを5cm大きくできないか、エアまたは油圧のサスペンションを採用し より快適にできないか、悪路で10cm床を上げられないか。

 ベンツはネガティブなイメージを抱く人も多い。しかし、やくざは完全に締め出され、現在、やくざご用達はレクサスになっている(ヤナセとやくざの熾烈な戦いの歴史が有ったらしい)。

 全体だけでなく、一つ一つの機能に世界一を追い求め、こだわるベンツの姿勢、その成果としての車に毎日乗れることの満足は、コストには替え難い。安全性も勘案するならベンツは安い買い物だろう。

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日常経験はDNAに記録されている!生物学の定説を覆すか? 

2013年06月16日 18時56分49秒 | 思考空間

 DNAで、生体の設計図を記録させている比率は全体の僅か2%程度。この2%以外の殆どのDNAはジャンク(ガラクタ)とされていた。これに対して、私は経験した情報などをジャンクと呼ばれていた部分に記録させているとする仮説を2011年の電気学会(全国大会)で発表した。

 何故電気学会なのかというと、指導を受けようと生物関連の大学研究者に私の新たな進化論(2003年発表)を説明したが、いずれの若手研究者も全面否定で議論さえできなかった。(余計なことだが、若い世代は保守的ですね)場違いの電気学会であっても、発表した内容は永久に残されるので、公的な証拠記録づくり。

 その後、この仮説を一部証明するような論文が発表され、2013年3月に名古屋大学で4回目の進化論発表となった。私の進化論は、生物が需要や環境などに合わせて戦略的に、あるいは創造的に進化したとするもので、そのコアなツールとして「循環論理の評価システム」を仮定している。結果として「獲得形質の遺伝」が起こるが、生物専門家はガンとして受け入れない。

 生物が戦略的に、あるいは創造的に進化したとする私の仮説は多分100年を経ないで証明されるだろう。何故なら、様々な実例が支えてくれる。例えば、代々農家だった人の指は力仕事に耐えるよう太く、爪は横広である(「戦争と平和」の一節でも出てくる)。生まれたばかりのウミガメは誰にも教わらないのに、海に向けて一直線にバタバタ走る。

 人類は生物を研究することにより、様々な技術を得、製品を開発してきたが人間の目はその中でも最高峰だろう。人類はカメラが発明される遥か前から、大自然の美しい風景を高精度で見ることが出来た。もし進化が突然変異だけで生じるなら、皮膚が変化して電磁波をとらえ、その器官が継続的に進化は出来なかった(発展を実現する一方向の進化)、レンズや網膜、映像認識システムなどの適正な材料選択も無かった。

 目に関しては、例えば、怪獣も、魚も、昆虫も、哺乳類も目は二つで、頭の近くについている。もし、従来説のように突然変異などで進化するのだとすると、他の感覚器官に変化したり、あるいは目が3個以上とか、位置も体の各部に配置されてもおかしくない。現状の個数、位置が最適と評価され続けたからこそ、条件が維持され、高度に進化してきたのだ。

 花と昆虫の世界は、相互の協力関係を進める形で進化し、双方が大繁栄を招いた。経験の記録と分析、発展を目指した創造性が駆動力となっている。

 ミトコンドリアのDNA分析で人類の始まりは8万年前だか アフリカに生まれた一人の女性であることが分かった。過酷な自然環境に耐えて子孫を増やし、一団が砂漠の地アラビアに渡り、そこから世界の大陸へと歩を進めた。

 それぞれの民族が自らの住む環境に適した体になっていることを知ることが出来る。灼熱の太陽にさらされたアフリカ人は黒く精悍で、北方民族は色が白い狩人であり、アジア人は中間色で日本人は穀物を黙々と耕すに適する。

 生物には等価的に循環論理の評価システムが有るとの仮説を立て、傷などの再生メカニズムを検証すれば評価システムが無いはずはないと思えるが、それが具体的に何なのかは特定できなかった。しかし、遺伝子とたんぱく質などとの相互システムでシミュレーションのような機能を持っていたのではないかと考えてはいた。

 細胞内にはDNAから作られるRNAが山のようにあり、確かにジャンクのように見えなくもないが、実は、この圧倒的多数のRNAが生体の日常的な記録を残し(頻度と重要性の高いものほど残りやすい)、過去の記録を利用してシミュレーションや評価を実施するとすれば、私の仮説はより現実的に理解できる。

 また、私は宇宙に関しても、ビッグバンを真っ向から否定し、「始まりも終わりも無く、非常に稀に巨大ブラックホールが衝突することにより、新たな天体や銀河系などを創出する宇宙モデル」を仮説として唱えている。

 自然界における最も大きな二つの謎、テーマに関して自分で確信を持てる仮説を打ち立てることが出来たことは大変幸せである。(どう考えても私の仮説の方が有力)

 予算も設備もスタッフも時間も持たない素人が有力な仮説を立てられるのは、あまりにも天才たちが硬直的で従来説にこだわり過ぎているせいだ。しかし、私は宝の山の中にいながら、宝を掴み切れない。

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安倍首相への提言NO11

2013年06月13日 17時26分23秒 | アベノミクス
<v:shapetype id="_x0000_t202" coordsize="21600,21600" o:spt="202" path="m,l,21600r21600,l21600,xe"><v:stroke joinstyle="miter">

 アベノミクスは沈みゆく日本を救うラストチャンスと見て、提言を実施している。誰も読んでいないかもしれないが気にしない。以下は実際に送付したNO11を貼りつけたもの。名前は消した。元がワードなので文字が飛び跳ねて、おかしくなっている点はご容赦ください。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

安倍首相殿         平成25610

</v:stroke></v:shapetype>

            

                         広島市****** 

NO11.最近の白人層の日本不信が

米中急接近、株価暴落を招いた

 

 中国の強引な対外政策に加えて、東日本大震災などもあり白人層はアベノミクスに期待し協力していた。オバマ大統領は本来中国寄りのところ、白人層の支持を失い、方向転換し中国と距離を置かざるを得なくなっていた。

 

 然し、ユダヤ系をはじめとする白人層が日本に不信感(*)を持ち始めたところから、株価暴落(きっかけは加熱:根底には対日のにわかな不信と警告)と米中急接近に至ったと見る。 

*①飯島参与の訪朝(デービース特別代表は事前連絡が無かったと発言、不信感を持った米国民は多かったと思われる)、②韓国朴大統領の米国議会演説での日本批判、③橋下代表(米では次世代日本の首相有力候補と見ていたはず)の慰安婦発言とアメリカ非難、④安倍首相の「侵略には定義が無い」発言などにより、白人層は日本に疑問を感じ始めた。

 

 現在の米国は白人層がリードしており、日本株式市場の60~70%が外人プレイヤー(大半がユダヤ系をはじめとする白人)なので、安倍首相は彼ら白人に向かって経済政策を語る必要がある。また彼らが株価をリードするメカニズム(先物主導など)も研究しなければならない。<o:p></o:p>

 

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日本人は大変優秀で真面目だがいくつか欠けるものが有る 3+1

2013年06月12日 22時15分40秒 | 思考空間

 優秀で真面目とは日本人の代名詞で、世界広していえども、日本人ほど該当する民族はいない。その優秀で真面目な日本人(日本)がバブル崩壊以降、ずるずると相対的な地位を下げている。韓国や中国の躍進が目立つ。しかし、日本人が韓国人や中国人に劣っている訳ではない。

 アメリカ人と比べても平均的には日本人の方が優れているだろう。現実に、バブル絶頂期、日本は巨大なアメリカを経済で打ち負かしつつあった。為替の問題が無かったら、中国や韓国も日本には及ばない。

 大変優れている日本人だが、特に21世紀に入り負け続けたのは何かが足りなかったに違いない。何か?私は3つを挙げたい。一つめは「勇気」、次に「マクロ感」と「論理」かな。

 徳川時代、日本人は85%が農民だった。村のみんなが同じ時期に同じ方法で田圃を耕し、まわりを見ながら自分が全体の中心付近の立ち位置にいるのを確かめて安心した。自分だけが外れることを極端に恐れた。目立ちすぎると村八分にも遭った。

 一方で、優れた文化、技術は海外からもたらされた。日本人は優れた文化や技術を巧みに取り入れ、創意工夫して完成度を高めた。世界の技術は日本に到達した後、多くがその極致を迎えた。

 つまり、日本人は自ら大きな一歩を踏み出す必要が無く、与えられた環境や条件の中に自分を収め、波風も起こさず上手にふるまってゆく術を身につけた。創造するのではなく、海外の技術などを取り入れ、自らのものとし、究極の造形物とした。それらを日本文化のDNAに刻み込んでいった。

 だから、目標、方向性とそれを実現する方法が明確に与えられている場合には、日本人は比類の無い力を発揮できる。一致協力して、力を束ね高みへと押し上げたのだ。とりわけ、戦後の復興からの立ち上がり、バブルの頂点まではその特性が顕在化した。

 歯車が狂い始めたのは、日本が頂点に立ったことで目標や方向を喪失し(先生や教科書が無くなった)、かつアメリカが日本(アメリカにとってソビエト以上に脅威であった)を叩き始め、経済のシステムを大きく変更してからだ。

 日本が短期間に焼け野原から立ち上がり、先進国へ駆け上った仕掛けは「キャッチアップ」と言われる、コピーであり、ある時は盗みでもあった。(中国は日本を研究し更にバージョンアップさせた)

 日本は悪く言えば、イージーに発展した。そこには戦略も構造改革も反省や見直しも無かった。だから暴走し(ルールやモラルが乱れ、良き民主主義も根付かなかった)、歯止めが効かなくなり、破裂した後は回復力が無かった。

 官僚や大企業の横暴さが際立ち、官僚機構や大企業を頂点とした統制管理が強まり、経済規模は拡大したのにも拘わらずあらゆる組織で悪しき村社会を形成するに至ったのである。

 村社会化したあらゆる組織では、多くの本質的な問題を抱えながら現状の体制を維持することが暗黙の鉄則となり、改革はおろか事実を発言することも許されず、心ある人々は排除され続けた。特に若い世代にこの傾向が強いことは救われない。

 日本は一貫して相対的位置を下げており、ちょっとした手直し程度では助からない。そのことは国民も分かっている。然しながら、一般的に、まずは自らを安全な場所に位置を確保し、その上で正しい事を言う、あるいは改革を試みる者を叩いて自分をより安全な状態に保っているのである。

 私の歴史認識では、日本人の精神文化を大きく変えたのは江戸時代である。徳川家康と言う忍耐強い天才が自らの子孫の永続的な支配を願って敷いた統治・管理体制は、日本全体を強く徹底的に管理し、この統治を脅かすものを弾圧するものだった。

 歴史家は徳川支配の封建制度に対して、ヨーロッパに対しても同じ単語を使うが、日本とヨーロッパの封建制度は異質のものだった。日本では、上に対して従属することをモラルに訴えている。つまり精神的従属だが、ヨーロッパでは契約関係である。契約とはお互いに対等な関係を示す。

 契約社会では上に立つものに対して対等に発言し、間違いを指摘できる。ところが、精神的従属社会では無条件に上を立てなければならないし、逆らうことはできない。上に立つものが下に対して責任を問われる事は無い。

 為政者にとって、事実はしばしば不都合なものである。正しい事を発言する人間は排除しなければならない。精神的な従属と相まって、管理は国全体に浸透し、弾圧を恐れる臆病さが命を守り、平和な生活を約束する。

 一国を収める君主でさえ自由は少なかったようであり、地位の高い武士も理由のいかんにかかわらず命令有れば見事に切腹しなければならないという究極の不合理さと精神的圧迫を常に抱えていた。長い徳川支配は日本人から正しく発言し実行する勇気を奪ったのである。

 日本の家屋では生け花を飾り、自然を巧みに生活に取り入れているとされている。木造の家屋は湿度の高い条件にも合い、自然とも調和している。ところが、密度の高い住居で音を遮断しない障子やふすまが非自然の人工的環境を作り出している。人間は自然の中で育つことにより、自然の力を受け本能を呼び覚ますが、その機会が少ない。

 動物は視野が開けるとまず全体を見て、大まかな様子を掴む。第一は危険、次に食糧であろう。日本人は、自然の中で生きるマクロ感覚より、狭い社会で生きるミクロ感覚が身についているとみられる。例えば、日本人にはミクロを積み上げると全体になるとの感覚が有る。協力関係が強い日本では間違いではないが、全体の方向性を見誤りやすく、優先順位の概念が希薄になる。

 窮屈な生活環境では自然との対話、自分自身との対話が少ない。お互い同士の気づかいとかリズムが重要になるし、同じ考えを持たないと生活が成り立たないから、テーマを深く考え追求するチャンスが少ない。

 論理とは言葉で表される対象や状況に関して、個を厳密に定義し、個々の関係や仕組みを明確にすることだ。日本人には生活の力である常識を強く理解し取り入れてはいるが、未知の分野や見えない世界を深く探求し解明するのは苦手であろう。

 日本人に足りないものとして、勇気、マクロ感、論理をあげた。これらは全般的な傾向であるが、トップに立つ人間の反省の無さを加えたい。日本ではより上位の者に対する無条件の従属が常識になっている。優れた人物か、リーダーシップを備えているか有るかどうかは問われない。しかも、日本の最上位管理組織である官僚には責任が無い。このため、日本のトップやリーダーは反省しないのだ。

 先の大戦で、アメリカ軍は真珠湾攻撃後に自らの劣勢を率直に認め反省をしている。同じ状況がバブル絶頂期のアメリカ経済界でもあった。その後、日本を分析し、反転攻勢に出たのである。アメリカはかれこれ大きな過ちを犯している。日本とそん色ない。戦いや競争の中でアメリカに有って日本に無いのは反省ではないか。

 この無反省の傾向は、明治以降次第に鮮明になってきた。トップやリーダーに反省の無い事が事実を明らかにするチャンスを失わしめ、同じ過ちを繰り返し続けるほか、日本を誤った方向に導きやすく、発展を阻害している。

 現代の日本を無反省にしている原因の一つは官僚組織、あるいは官僚的組織だろう。官僚は東大法学部卒業者をトップクラスとして、知識詰め込んだ偏差値の上位者を採用している。彼らは教科書を暗記し、クイズ同様間違えない訓練をしている。

 従って、あらゆる場面で間違えたくないし、間違えたと認めたくない。まず間違えないために、従来の方法を踏襲し、せいぜい実績のある新しい方法を採用する程度だ。新しい課題は先送り、棚上げ、封印する。

 次に、過去の間違いを封じるため、総括も反省もやらない。先の大戦の総括が実施されていない事が歴史的な問題になっているが、政府が率先して実行することは無いだろう。都合の悪い書類も廃棄される。そもそも、都合の悪い議事録も残さないし、書類は悉く機密情報扱いになっている。

 最終的には教育や環境の問題である事に気付く。人間も、自然界の動物も間違いをしながら学習して、より安全で合理的な方法を知る。また、新たな課題への対処方法も身につけてゆくのだ。

 知識エリートは情報の詰まった箱の中から、適切な答えを引っ張り出して対処しようとする。ところが情報は単なる厚みの無い記号のようなもので、それ自体が解決力を持っているわけではない。指示を受けた担当者が底辺で具体的な作業し初めて解決する。

 失敗した経験は苦痛を伴い五感に響き、数々の反省を要求する。具体的、立体的な記憶となり、未来の同様な場面の対応を考えざるを得なくなるのだ。失敗を奨励するわけではない。成功を目指した経験のなかで失敗は確かな力強い解決への道を形成するのだ。

 失敗を悪とした教育は生命体が歩んだかつての進化のプロセスをも否定するものだ 。失敗から学ぶことなくして発展はあり得ない。

 優秀真面目な日本人にとって何が一番不足するかの筆頭に「勇気」を上げたのは、勇気が有れば、あらゆる困難を乗り越え、不都合な障壁を改革で打ち破れるが、この勇気が日本人には不足している。また、若い世代では顕著な傾向だ。

 日本人の社会的DNAには勇気が危険であることが刻印されている。勇気あるものが排除され続けてきた。屍累々と積みあがった上にカビの生えた情報を頭に詰め込んだエリートが君臨する。

 要は、マクロ視点を持って論理的に判断し、勇気を持って正しい事を言い、積極的・果敢に正しい事を実行する事であり、間違ったら率直に反省して方向修正することだ。

 

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日経平均は12000円が目前!!

2013年06月07日 09時00分19秒 | アベノミクス

 このブログで6月3日、日経平均が12000円を目指していると書いたとき、多くの人は「何を寝とぼけているのか、そんなバナナ」と思っただろう。ところが、ところが、6月7日朝1時30分ごろ、既に先物は12290円をつけている。12000円は現実的な数字になっている。

 海外では円が95円台になったとのニュースも飛び込んだ。輸入業者は喜んでいる。先月、関東の時計メーカーは中国で時計を委託製造しているので青い顔でしたね。

 12000円を割ると、株の下落が止まらなくなる可能性が有る。安倍首相には提案やら、警告やら郵送などで文書を送っているが、多分、誰も読んでいないか、「素人が何を言っとるか」と言う感じかもしれない。山口の地元の安倍事務所にも電話した。恐らくまだピンと来ていない。

 日銀黒田総裁の起用やその後の総裁の発言、金融緩和までは驚き、迫力、スピードも有ったが、その後の発表などは官僚が作っのか何かぼーっとした感じで、市場はアベノミクスのやる気の無さ、脆弱さを感じているのではないかな。

 中途半端にやっていると大変なことになりますよ。安倍首相には期待していたし、彼しかできない経済発展、ラストチャンスだが、かなり危なくなった。

 

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5/23 日経平均が暴落したもう一つの理由 岡三オンラインの例

2013年06月06日 21時15分19秒 | 深刻な問題

 5月23日は前日のニューヨークが下げたにも拘わらず、午前中は上昇、やがて16000円付近をつけたあたりから下げが始まり、次第に速度を速めた。日経225をリードする先物は大量の売りが出たため、例えば、「岡三オンライン」はシステムが不安定となり、注文が入らなくなった。

 下げに対応して、損切りしようにも発注が入らないのは恐怖である。そのうち、サービス停止のメッセイジが出されシステムダウン。再起動後も表示は乱れ、滅茶苦茶になった後、大証のサーキットブレーカーが働き、15分間全く取引できなくなった。岡三オンラインのシステムで発注が出来るようになったのは15時付近の下がり切った後(トップから1500円程度の下げ)だった。

 このような証券会社や大証のサーバーなどの容量不足により、大手筋などの一方的な売りだけが入り、個人などは締め出され、暴落になったのである。先物がリードして日経平均も下がった。

 この日莫大な利益を出したのは売りを仕掛けたヘッジファンドだったが証券会社や大証システムの容量不足から、個人の発注や逆張りの買いを締め出し、願っても無い大暴落となった。ヘッジファンドはあるレベルの大量売りで一方的な下げとなることを知り、今後も仕掛けてくる。

 つまり、例えば個人が岡三オンラインで先物の買いを入れた状態で損切り決済が遅れた場合は、全く操作できなくなり、取り返しがつかないほどの暴落につき合わされ、莫大な損が出ただけでなく、追証になった。

 明らかに岡三オンラインのサーバー容量の不足でトラブルに巻き込まれたわけだが、岡三オンラインは一切賠償には応じていない。岡三オンラインは個人破産が出ようが、自殺者が出ようが、経営効率の点からサーバーの容量は増やさず、ユーザー保護の設計もなさず、相変わらず、手数料が安いことをうたって、次の犠牲者を待っている。

 他方、サーバー容量が小さく、システムが不安定なほど、大口顧客のヘッジファンドなどは儲かるわけだから、岡三の経営方針に合っている。岡三オンラインは別名「自殺者大量排出ヘッジファンド馬鹿儲けシステム」と呼ぶ。

 ネットトレードでこのような本質的な欠陥が有り多くのユーザーが泣かされていることを当局も知っていながら、ネット系証券のホームページには何ら警告も表示もなされていない。

 株価を下げた理由は後付で中国がどうとか言っているが、要は過熱気味を見たうえで、ヘッジファンドの大量売りがシステムを不安定にさせ、ヘッジファンドなどの売り注文だけが入って暴落したに過ぎない。6月6日現在売り一色でトップから3000円も下げた状態では買い方は全滅、ちょっと上げても大量の売りが入る状況はしばらく続く。

 ヘッジファンドは自国のアメリカでは、株価を上げようと政府が努力しているときに、大量の売りを浴びせて下げさせることはしない。植民地日本だから何でもやってくる。アベノミクスは崩壊を始めている。

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橋下は参院戦で敗れて代表を降りるか?坊主になって参院戦に勝つか?

2013年06月06日 11時12分09秒 | 橋下改革

 前にも書いたが、橋下が慰安婦発言の直後に反省して坊主になり暫く謹慎したら、以前のような人気が出たと思う。慰安婦問題は、取り上げるには筋が悪すぎたし、ひっぱり過ぎた。テレビに露出して、自分は悪くないと言い続けたがために橋下はすっかり傲慢な悪者になってしまった。

 現状では橋下がテレビに出るとチャンネルを回す人が多いのではないか。参院選で負けることは明白であり、そこまで待たずに、今からでも遅くない、坊主になって謹慎したらよい。市長の業務は淡々とこなし、テレビの取材にはただ謹慎中ですとだけ答える。

 頃合いを見計らって、誰かが「お願いですから謹慎を解いてください」と言う。すぐには応じず、3回目には複数の人間が謹慎解除を申し入れ、そこでやっと謹慎を解除する。それぐらいのステップ(儀式)を踏めば、世間は橋下が変わったと受け止める。反省が有ったと考える。

 謙虚さが重要だ。本人の意に沿わないかもしれないが、維新の会を救うには必要なステップではないか。橋下ちゃん、僕のブログは読んだ方がいいよ。

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