宇宙・生命・日本 1000年後のあなたに語りかけたい

巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

最も地球に似ている天体の発見

2007年04月30日 12時15分59秒 | 宇宙

 私は地球が太陽に飲み込まれる前に、移住すべき候補地を探していたので、グリーゼ581Cの報道は興味をひかれた。・・・この惑星は、表面温度が水が存在できる0~40℃であり、地球からてんびん座方向に約20光年離れた「グリーゼ581」という恒星を、13日の公転周期で回っている。半径は地球の約1.5倍、重さは約5倍。地球と同様、岩石でできている可能性が高い・・・ということらしい。

 大方の興味は生命が存在している可能性についてである。残念ながら、これに関して私の見方は否定的だ。水があり、温度条件が似ているというだけで生命体が存在することにはならない。私が電気学会に発表した生命進化のメカニズムは、循環論理の評価システムが形成され、それが物質から最初の生命体、更に単細胞の生命体から人間までの進化の駆動力になったとするものだが、この仮定が正しければ、生命誕生の可能性は従来の科学(必要な物質、環境、ショックなどで形成されるとする)で考えられているより、遙かに生命が誕生する可能性は小さくなる。

 現在の科学者の見解は、遺伝子で記録されたとおりのタンパク質構造を作り上げ、それが生命体になる、突然変異や進化はその遺伝子の変化によって生じるとしている。単なる遺伝子の変化だけでは、気が遠くなるようなものすごい進化がこれまでのような短時間では実現していない。何故、一方向の進化が継続したかの理由にもならない。私が昨年の電気学会で示したのは、生命体の修復機能である。生命体に破損を生じた場合、破損個所と状況を検知し、遺伝子と比較しながら修復しなければならない。そこには評価システムが無ければ到底かなわぬことである。

 例えば、人間の機能は我々が一般的に考えるより遙かに高いし、その全貌さえもうかがい知ることが出来ない。病気になったり全能でないことで、過小評価されがちだが、開発というものに携わった立場で言えば、単細胞の生命体でもその機能たるやものすごい。最初に誕生した生命体でも、その生命維持の機能は完全であり、しかも次の世代の生命体を生み出す機能を備えていたのだ。

 グリーゼ581が20万光年であっても、いつかは到達できる距離だ。通常のロケットでは速度が光の速度にはならない。しかし、電磁波を駆動力とすれば光の速度に近づけるし、いつの日か重力をコントロールできるようになれば光の速度を超えることもできる。(アインシュタインが唱えた「速度がいかに早くなっても光の速度を超えられない」という理論は、単に光の速度を超える物質は観測できないと読み替えるべきである。)何とか人類が安全に暮らせる天体を確保したいものである。


中国のビッグクランチ

2007年04月14日 10時52分51秒 | 思考空間

 テレビで温家宝首相がマラソンや野球で日本の一般市民と和やかに交流する姿が報じられた。あの強硬だった中国のトップが何故?と率直な驚きを持った人は多いと思う。実は中国には切迫した状況がある。中国の経済成長のモデルはかつての日本であるが、バージョンアップされ強力である。強度管理社会・積極的なキャッチアップ・アメリカの支援という共通点に加えて、強力な軍事力を背景にした為替のコントロール、世界のプレーヤーへの市場開放などの戦略が見える。単に激安の労働力が莫大にあるというわけではない。しかし、中国首脳には不安がよぎり始めている。

 中国経済は当局のコントロール不能なほどに過熱している。ここのところの経済成長はかつての日本をも上回っている。そこに、先頃の上海発、世界株安である。最も影響を受けたのは東京市場だった。そもそも、世界の工場を日本から中国にシフトさせたのはクリントン政権だった。中国各地でクリントン元大統領と共に撮影した写真が飾ってあるという。1980年代、アメリカに経済戦争を挑んだ日本叩きでもあり、自国への安い製品の供給、および巨大市場形成による新たな利潤創造の戦略だった。そのアメリカは既に十分利益を回収したとの情報だ。

 アメリカは新たな資金供給源として、日本にその役割を求めている。中国という過熱した巨大市場のバブルがはじけないためには、引き続き巨大な資金が投入され、技術が与えられなければならない。日本が資金や技術を供与する間に、アメリカは株で言うところの「高値の売り抜き」を果たす。日本はいつはじけるか分からない市場への投資を要請されている。温家宝首相の笑顔はそういう状況に置かれた日本への精一杯のサービスだろう。(14日に終了したG7で円安を容認したのも、日本の経済成長を支え、アメリカへの協力・その一環としての中国支援への期待がある、と見ることもできる。)

 日本は1990年代、製造業という製造業がこぞって中国へ進出した。日本の製造業が中国に引っ越ししたのだ。今や日本の有力な製造企業で中国に工場を持っていないところはないと言っても過言ではない。日本政府はこれに関して、何の目標と戦略を持っていたのだろうか。中国人は日本の企業が進出するたびに、ありがとうと言った。なぜなら中国は現在も共産制国家であり、いつでも一言で、中国に進出した企業や工場や資産を没収することができるのである。

 中国の経済は当局のコントロール不能なほどに過熱しており、いつはじけてもおかしくはない。その時は世界に激震が走り、とりわけ日本への影響は深刻である。ビッグクランチの影響を避けるべき準備もさることながら、そろそろ、頭を冷やし、海外生産は本気で中国一辺倒から、インド、ベトナム、東欧、ロシアなどへシフトし、十分なバランスを図るべきであろう。


ランクル100の魅力

2007年04月12日 22時08分52秒 | 

 ランクル100ディーゼルを購入したその夜、初めてハンドルを握り、ドライブした時はしびれた。ディーゼルなのに何という、スムーズさ、軽やかさ。それまで、ハチマル(ランクル80)の振動とノイズには悩まされていたので、ほとんど同じ風貌ながら、その変貌には驚かされた。

 ハチマルもディーゼルの割には速い車だった。スカイラインを追いかけてギブアップさせたこともあった。ランクル100は、更にパワーアップした。ロケットスタートこそないものの、軽くアクセルを踏み込むだけで、高速までグングン湧き出るような加速を示す。フィーリングはガソリン車に近い。私はハチマルでは珍しいオンロード派だったかもしれない。100ではすっかりでっかい四駆のシティーカーになった。

 今や、13万kmを超えた我ランクル100だが、新車の時と大きな違いは感じられない。わずかに振動とノイズが大きくなったかどうかという程度のものだ。パワーは相変わらず、ちょっとアクセルを踏み込めば3トン近い巨体ながら、西風新都のタフな坂をガソリン車ぶっちぎりで駆け上がる。皆さんの四駆ディーゼルに対するイメージは、もたもたのパジェロが作ったものらしく、鈍足のはずが速いので驚かれる。

 マツダの中古車を乗り継ぎ、最初に新車を購入したのはスーパーチャージャー搭載のマークⅡだった。静粛でしなやかな直6エンジン。こんな高級車に自分が乗っても良いのだろうかと思った。次の3リットルマークⅡはどこからでも加速できるパンチがあり、濡れたアスファルトでは後輪が滑った。ポルシェとのシグナルグランプリでは2勝1敗と勝ち越した。しかし、速く走るだけでは神経が尖り、飽きてきた。そんな時に出会ったのがハチマル(ランクル)だった。

 魅力は何と言っても、一般の乗用車を見下ろすポジションの高さ、クルージングという名前の通り、滑るように走る快適さ、足回りとエンジンの良さ、車の性格が持つ運転者中心ドライビングである。高さでは三菱のワンボックスが少し優る。しかし、走りは遠く及ばないし、何と言ってもトラクターのような音と振動はNO GOOD。レクサスは高級感いっぱいだが、ただ走るだけの自己満足になってしまう。スポーツカーには実用性が無く、ケチな私には合いにくい。

 ランクル100が出る前に、ディーラーを通じて要望点を出した。その半分以上は満たされた。例えば、静粛さ(音、振動)、オンロードの性能、200馬力オーバー、オンロードの走り、アンテナの自動上下等々、実現しなかったのは、ディーゼルの8人乗り、5リッター・8気筒・コモンレール、4WS・小回り等々だった。ディーラーによると次のモデルはランクル200、ガソリン車は300馬力超のモンスターになるらしいのだが、私はその1年以上前にトヨタへ直接要望を出してある。何とトヨタからお礼状が届いた。ディーラーが驚いていた。

 ハチマルと100(ディーゼルどうし)はどう違うのか。何と言っても、静粛性である。振動も音も驚くほど軽減された。信号待ちでドライブに入れたままブレーキを踏んでいると多少の振動を感じる。ハチマルでは何とかしてよと思うほど振動する場合があった。高速での走行は快適そのもの。元々安定性が良かったことに加えて、ダブルウィッシュボーン、TEMSなどのせいか滑るように走る。かれこれ高級車にも乗る機会があったが、100を超える車はない。カーブでのポジショニングはきちんと決まるようになった。ハチマルでは何となく遠心力で膨らむようなところがあった。

 パワーアップした分は加速と最高速度に表れている。一旦、走り始めると十分ガソリン車に対抗できる加速を示す。2リッター以下のガソリン車では置いてゆかれるだろう。最高速度はハチマルのディーゼルが167km程度、100が190~200km程度と推定される。

 私はランクルの進化し続けるディーゼル車に興味がある。是非、5リットル8気筒エンジン、4WS、8人乗り、高さ調整・プラス15cmを実現していただきたい。


広島(こころ)の我が家

2007年04月07日 23時14分36秒 | 思考空間

 子供の頃、親類のおばさんが「まー、よーきんさったねー。はよー上がりんさいや」と言っていたのを想い出す。広島本来の、のんびりとした風潮と人の良さだ。あれから半世紀。当時は郡部だった安佐南区の「こころ」という広島ではちょっとしたブランドの住宅地に居を構えた。明るくて、スマートな町なんだが、中心部からはちょっと距離がある。道は広いし景色は良いが、アストラム(新交通システム)の大塚駅付近からは高速に繋がるタフな長い坂を2kmも登らなければならない。坂の途中に30階のツインタワーを含むアジア大会の旧選手村、本格的なテニスコート、マックスバリューなどがある。

 引っ越しして来た時はまだ空地も多少あったのに、ほとんどが売れ、2期工事が始まったようだ。最終的には3000世帯となるという。敷地として残っていた区画の最も大きいところを選んだが、71坪しか無く、家の必要面積(事務所+2世帯)を確保するのに苦労した。その後、売主の広島ガスと交渉して、例外的に12坪を買い増しした。この辺で一番広いと思っていたら、2区画を買った家が当家の西隣を含めて2か所ぐらいあるという。東隣の3軒めにはサッカー全日本の佐藤選手(サンフレッチェ)が家を建て、住み始めたらしい。あいさつに来ないからどんな若者なのか分からない。

 電信柱や視界をさえぎる垣根がなく、人優先の道路が整備され、家々はまだ新しく今風で美しい。散歩に適した公園、無料で使用できるテニスコートなど出来すぎだが、都会的な人の集まりや賑わいを求める向きにはちょっと寂しいかな。小さなパトロールカーが夕方から朝まで?走っているのは安心感を与える。犬を散歩させていると、多くの人がこんちわとかこんばんわとあいさつし、あわててこちらも応じる。この町の住人は優しい。ただ、家内は犬を散歩さていて、排出物のことなどを車で通りかかった女性にヒステリックに注意されたようで全員が暖かいわけではない。

 普通の家は税金を取られるばかりだから、へそ曲がりな私は、家は利益を生み、人が集めるところでなくてはならないと考え、2世帯に事務所を併設した。トイレとキッチンが3か所、小さな商品倉庫も3か所ある。各部屋にインターネットのケーブルを這わせた。電話は受け専用(通常電話)と、話し専用(IP電話)に分けるために、FAXを含め7回線の有線電話とし、事務所や各部屋に端末を置いた。(ビジネスフォンでは結構複雑でわがままなニーズに対応できる)

 私のこだわりは、断熱や設備にある。壁には75mm、屋根には155mmのロックウールを入れた。ロックウールは意外に安価であり、断熱効果が高かった。24時間換気を取り入れ、3か所で全熱交換が行われている。24時間換気の誤算は、ドアの下を少しづつ開けなければならないので、やや音がリークすることだった。1階と2階にはそれぞれヒートポンプの床暖房、併せて2台のヒートポンプ温水器を設置した。ヒートポンプは第1種冷凍機械責任者としてのこだわりだ。2階の台所用にディスポーザを設置し、生ゴミ運搬を無くした。ディスポーザには浄化槽併用が義務付けられており、結構な負担になった。最も負担が大きかったのはセントラルクリーナーで、これは家内が譲らなかった。排気が無いから理想的にクリーニングできる。空調機を全部屋に付けたので驚くほどの室外機を置くことになった。家は木造だが、設備としては、広島市内でもあまり例が無いほど充実させた。

 家内はシックハウス症候群をかなり気にし、設計段階から問題無いとの説明を受けていたが、現実には引っ越し後・頭が痛くなると訴えた。ただ、24時間換気のおかげで、間もなくこの問題は解決した。私は1階と2階間の防音が気になっていた。防音材が入っており気にならない程度と聞いていた。確かに2階から1階の音は聞こえないが、1階の母の部屋では、2階で人が歩くたびに、音質は変わっているものの、音が響く。私の部屋で大声で電話していると、家の壁にへばりついた人には聞こえる事が分かった。ただし、全部屋の窓は2重ガラスなので、社長室も向かいの小学校で放送していてもほとんど。聞こえない防音を考えるならコンクリートにするしかない。木の床は傷がつきやすいことが分かった。対策としては絨毯を引くしかないので、傷はつくものと割り切ることにした。

 屋根はコストと地震対策で、軽量のカラーベストを採用した。私は見かけや常識的な瓦へのこだわりは無かった。第一に瓦のような重いものを上部に置く、合理的な理由が無い。壁は一般的なサイジングであり、ロックウールの厚みも考えると、外からバーナーであぶっても、木の柱が焦げることはあれ、火災に至る心配は少ない。事務所倉庫の窓は破られないよう特殊ガラスとなっている。

 小さな事務所にもキッチンとトイレ、そして3か所の小さな倉庫、その他の収納スペースを用意した。十分なように思えた倉庫だが、ビジネスが拡大すると、厳しいように思える。社長室の下に1.4mの倉庫があり、その下に事務所があるので、上下の音は完璧に遮断され、社長室は2.5回の高さとなり見晴しが良くなった。

 前述したインターネット用のケーブルは自分で計画し、ハブやケーブルなどを用意して、電気工事業者に施工させたので、費用をかなり安く済ませることができた。もし、通信専門業者に全部を委託すれば、相当の費用となっただろう。ビジネスフォンは東京の業者から中古を購入したが、性能機能は高く、業務だけでなくプライベートな使用においてもわがままな要求を満たせるので重宝している。

 最後に、広島のアイフルホームには、思い切った低価格設定と、家族全員のわがままを実現していただいた親切、多くの新しい試みに果敢に挑戦していただいた積極性に感謝する。特に、寺川設計師にはこの場を借りて、お礼申し上げたい。彼がいなければ、絶対、このような家はできていない。