私には現代物理学は難解すぎて分らない。しかし、世界の天才たちが発表してきた宇宙のビッグバン説は、あまりにも奇想天外、つぎはぎだらけの手前勝手な理論で、そうですかと鵜呑みにするわけにはいかない。例えば、宇宙全体で我々が観察できる物質は重量換算でわずか4%程度に過ぎないことが分かっている。たった4%で宇宙全域を語り、見たことも無い宇宙誕生のことを語れるかという疑問である。逆に、99.9%分かっていても、残り0.1%不明なために、全く異なる実態となることがある。半導体工学などはその典型だ。マジョリティー(大多数)ではなく、マイナリティー(僅か)の挙動が極めて重要である。
特に指摘したいのは、時間という独立した物理量が存在しないということだ。時間の存在を前提とするのは、人間の歴史、学問、感覚を利用したトリックである。我々の遺伝子の中には時計遺伝子も含まれているし、時計はきわめて日常的なツールであり、誰も時間の存在に疑問を抱かない。宇宙物理学者は時間は空間のようなもので、プラスにもなれば、マイナスにもなるとしている。本当は時間は空間であると言いたかったに違いない。時間に関しては分厚い書籍が出版され、非常に難解な数学的議論が展開されている。ところが、厳密な意味で時間を確認することができない。私は、時間は存在せず、時間と考えている実態が実は「動き」あるいは「動きの履歴」であることを何度かブログで発表している。
宇宙物理学者によると、宇宙はそのはじめ、量子大の大きさでトンネル効果により、母なる無の空間から、壁を越えてこの空間に移動し、大爆発(ビッグバン)を起こしたことになっている。無限温度で生まれたらしい。もし、我々が宇宙の始まりまで遡ると、次第に電子が激しく運動を始める。温度とは電子振動である。理論的にはいつか、電子が光の速度を超えてしまう。アインシュタイン博士によれば、いかなる物質も光の速度を超える事が出来ない。欧米ではこうした科学の暴走に対して、批判が出ている。日本では、なぜ反対意見が出ないのか?簡単である、日本で東大をはじめとして学者・研究者として生きてゆくには、一切批判が許されない。偉大なるイエスマンでなくては東大の教授にはなれない。
時間はマイナスになるとされてるが、化学・生物分野では行きのプロセスと、帰りのプロセスが異なるケースが山ほど観察されている。物理でも磁性体のヒステリシス現象(磁性体を磁化するプロセスと非磁気化のプロセスでは特性が異なる)は有名だ。これらの、たった一つの現象を証明するだけで、時間がマイナスになるという乱暴な仮説は否定される。ましてや、有名なホークング博士は、時間が虚数になると発表している。はるかに我々の理解を超えているのである。
世界の天才たちは、時間が存在することを前提として、新たな空間を定義し、自由に議論できる場を得た。3次元+時間という4次元空間だ。ありもしない空間だから、何とでも言える。様々な理論の歪みや矛盾や説明は時間や4次元空間のせいにしてしまえば良い。非常に好都合である。だから、時間が虚数にもなってしまう。観察できないものを否定もできない。数学者の独壇場である。もし、4次元空間があるとしたら、それは我々の周囲やそれこそ体の中のあらゆる場所が対象となるはずである。ところが、宇宙がどこで誕生したかは一切触れていない。
私は今でも、高木純一教授が大学院の授業の中で、アインシュタイン博士がいかに綿密な観察を実施し、その観察に基づいた分析の上で、多くの理論を発表したかを講義された時の新鮮な感覚を覚えている。(高木教授は非常に優れた自然科学センスをお持ちの研究者で、電気工学の権威でもあった)その後、友人と高木教授のお家にお邪魔した際に、空間には光を伝達する未発見の粒子があるのではないかとお聞きしたところ、それには直接返答されずに、吉井君それは説得力だよと仰った。仮にそれが事実であっても、納得させるだけの、理論や観察結果が無いといけないと言う意味だったと思う。
私が未発見の電子より小さな粒子の存在を考えるようになったのは、ブラックホールの説を聞いたことによる。光の粒子(光子)が重力により、ブラックホールの外に出られなくなると考えるのは不自然で、むしろ空間には光を伝達する無数の粒子が存在すると考える方が自然である。光は粒子であり、振動であると定義されている。もし、光子が光の速度で空間を移動するとすれば、光子どうしの衝突は無いのか、減衰は無いのかという素朴な疑問が生じる。空間には莫大な数の光子があらゆる方向から縦横無尽に飛び交うことになる。ところが、光子の衝突に関する科学的な知見は発表されていない。まだまだ、人類が知りえない未知の分野は大きいというか、例えば重力のことも含めて殆ど分かっていないのである。
文責 吉井清明(広島市安佐南区伴南1-28-16)