ダーウィンの自然淘汰説によれば、強い種が競争に勝ち、生き残ることになる。確かに分かり易い。ま、言ってみれば、100m走の競技を重ねてオリンピック選手を選ぶような話。ところが、何故選手が速くなったのか、何故、選手が生まれるのかなどが全く説明できない。
従来の進化論は、偶然強い選手が出現するという前提で、そもそも、生存がいかに維持出来るかさえ分からない。勿論、リー・マーギュラスの共生論、あるいはウイルス説のようにメカニズムに触れるのもあるが、生命体の本質的なメカニズムを解明できない。表面的なことは分かっても、実態が分からない。
実は、生命体は自己を維持することは容易ではない。例えば、宇宙から放射線が放射され、太陽光からは有害な紫外線が放射されているので、細胞やDNAは常に傷つく。ところが、生命体は傷ついた箇所を修復している。何の根拠に基づいて修復するのか?従来の進化論では全く説明できない。
もし、生命体が遺伝子の情報で製造されるだけの単一方向の流れでは、傷ついた途端に生命体を維持できなくなる。設計図を元に製造した機械が錆びたり、いつか壊れるのと同様である。
破損(傷)をどうやって元に戻すのか。設計図(遺伝子)と比較するのか。破損が大きすぎる時どうするのか。実はそこには評価システムが存在しているとするのが私の進化論(ESCL*)。物質が生命体に進化し、その進化の繰り返しが人間に至ったとする。
*ESCLは循環論理の評価システムが生命に等価的に存在するとする仮説、電気学会で3回発表。進化や生物の専門家とも議論しているが、工学系の専門家の中では支持する意見が有りながら、生物系の専門家は拒否反応を示し、議論さえ難しい。Evaluation Sysyem of Circulation Logic
生命は様々なサイクルを形成している。例えば食物を摂取し、消化し、エネルギーを得、残渣を排出するサイクルを繰り返す。例えば、心臓は収縮拡大しながら、血液を循環させる。血液は絶えず再生されている。多重ループで構成されている。
私の進化論は、これらのサイクル(循環、ループ)の形成を評価するシステムが生命体の中に存在するとするもの。このサイクルを強化する新たなシステムを選択する時に進化が生まれる。
どのように評価するのか?これも仮説であるが、使われていないとされる遺伝子に経験をデータとして蓄積しており、現状システム情報と組み合わせ、より、環境や目的に適したシステムが形成されるか、システム全体が強化されるかどうかを判断している。
例えば仮想スクリーンに現在の設計図と経験から得た情報を様々に組み合わて判断する。これが可能なのは、遺伝子というデジタル情報で、様々な生体状況を表現し、あるいは具現化できる機能のためだ。
それでは、何故、この進化論が科学の行き詰まりをブレークスルー出来るのか?人類を救済できるのか?
現代の科学は数学至上主義、あるものは数学そのものであり、数学の表現や証明なくして論文の価値は無く、評価を受けない。科学者は従って、数学の達人でなければならない。ところが、数学は、複雑な世界や、生命や化学の本質を表現できないように、適用できない領域が有る。
科学の進歩は20世紀後半から、生命分野を除いて行き詰まってきたと言える。大学においても魅力的な研究テーマが減る一方で(土木、機械などが顕著であり、華々しかった電気電子系も勢いがない)、不況のため大学院生は増え続けるという皮肉な結果になっている。
例えば、宇宙論は殆ど観察もできていない状況ながら(未確認のダークマターが宇宙全体の96%ともされている)、ホーキング博士は時間が虚数になると言うなど、支離滅裂。
偏微分方程式を利用した計算機シミュレーションという強力な手段もあるが、高邁な理論に反して内情は結果合わせ(理屈もへったくれもない。結果に合うようパラメーターや境界条件を変更する)という泥臭い作業で苦労している。一方で、数学は見えない実態を表現できず、適用できない。
数学は人工の理想空間において数式という計算力と表現力を持った完全なツールであり、シンプルで適用範囲も広い。ところが、数式で扱う形状は限定され、大きさというディメンジョンを持たず、異質の概念との組み合わせができず、多様性やあいまいさを許容しない。本来的に数式表現なので創造性や評価を内蔵しない。
数学自体が評価機能を持たないので評価は適用する人間の判断に任されている。従って、科学はしばしば暴走する。(このような趣旨を東日本大震災直前に公表された全国大会論文の考察に書いた。福島原発事故はまさしくこのケース。最大津波を確証なく5.1~5.7mとした時点で高度な科学も技術も全て失われている)
それゆえ、数学に依存する科学の発達は取り扱う研究者の能力と努力と判断そのものなのである。数学が物事の良し悪しを判断し、あるいは未来を創造するわけではない。
新しい進化論は様々な要素の組み合わせで、要素で構成されるシステムが論理的に循環する(ループ形成)ことを条件としている。自己保存が第一目的となる。実はこのループは生命システムを模擬しており、戦略的に進化してきた生命体を表しているのである。
自己保存(ループ形成)を最優先目標とし、更に経験値から強化すべき構成を模索し、評価に基づき採用不採用が決定される。創造とは基本的に組み合わせであり、例えば将来、計算機のソフトとして組み込むことにより、自己創造型のシステムができるのである。コンピュータ向きだね。
理論にとっても自己保存は極めて重要な概念である。(例えば、ビッグバン理論は具体的で厳密な議論に耐えない) 数学自体は完璧でも、組み合わせ方によって、180度異なる結果が導かれる。根拠や統一性が失われる。目標を達成する戦略や理論の中で、目標自体が要素として含まれる必要があり、全体の構成自体が保存(肯定)されなければならない。
従来も人工知能とか、私のアイデアに近いものとして、進化を参考にした予測手法などもある。これらと基本的に異なるのは、進化のロジックを究極的に追及するところと評価をコアにしている点であろう。例えば、進化計算学会(私も一応、正会員)では進化的なメカニズムを参考にしているが進化を解明しようとしている訳ではない。
厳しいことを言えば、進化を徹底的に追及しない限り、物質から生命体を進化させ、更に人間に至る壮大で目のくらむような進化を解明できないし、戦略的な進化手法を手に入れることはできない。生命の進化に勝る戦略などない。
数学との違いは、数学は絶対無比の理想世界であり、あいまいさや多様性のある現実とは相いれない。それに比べると、新しい進化論は現実が構成要素である。無理やり現実を数学に適用としても適用範囲は極めて限定される。現実の要素を組み合わせ、その中で発展を創造する可能性を秘めている。
私の頭の中で、様々なアイデアは有るが、研究者でもなく小さな会社も経営しており、システムを開発し試すには、時間と労力が膨大である。いつか、実現したい。