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大阪府南河内郡太子町の小野妹子墓へ行ってきました。
科長神社南側の小高い丘の上に、古くから小野妹子の墓と伝えられる小さな塚があります。妹子は、推古天皇の時代に遣隋使として、当時中国大陸にあった隋という大国に派遣された人物です。
妹子が聖徳太子の守り本尊の如意輪観音の守護を託され、坊を建て、朝夕に仏前に花を供えたのが、華道家元 池坊の起こりになったとされることから、現在、塚は池坊によって管理されています。 ・・・ 太子町のHPより
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/52/7ae861922732989697386c37882f1583.jpg)
小野妹子は
推古天皇15年(607年)に隋に派遣され ~ 翌年(608年)4月帰国
同年9月に再び大使として隋に派遣され ~ 翌年の推古17年(609年)9月帰国
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/28/0f71dcb6fc879402d419330ba9ca43a7.jpg)
写真の右端に 「道祖 小野妹子墓」の石標が建っている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/35/9c46e1552a5e12c1813db4fabd60dc3f.jpg)
石段は紅葉に染まっている
ピークは少々過ぎているが、まだ美しさは保っている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/c9/55d262559216768a606d71d75d0eacf8.jpg)
まだ頑張っているアジサイにひとひらのモミジ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/48/e8dafff6c6cea0cdaff662b971b9c751.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/20/02ef9ade761889b8251a1ccc49867b17.jpg)
足もとには紅葉の絨毯
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/3b/24deb786bf243a3a7eda615d7cd67fe1.jpg)
絵にかいたような眺め
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/23/b00b849fe26222a77644efe999612898.jpg)
瓦の屋根は落ち黄葉葺に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/40/241dd5b016548053629f0fdb4fa51a1e.jpg)
石段を上から眺める
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/60/bfa4af71ab7e5702ba7451d1c52238f7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/9d/09efb784fb0417114340296230590e4c.jpg)
紅葉の中に 何かの大きな石碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/43/dc46faf58471abcc9e5757aec4384e2a.jpg)
塚の頂上に小野妹子の墓がある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/da/ab0e9695692357bcf93f3924143c6cf9.jpg)
墓の横はイチョウの落ち葉で黄色の世界になっている、 右上の石積が小野妹子の墓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/65/364ae52d81bb6a7adab21576cede9641.jpg)
イチョウの絨毯をアツプで撮る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/cb/09ea6b2f69ba5dd330e9077f019e3264.jpg)
少し離れてイチョウの大木を撮影
この写真では大木感は出てないですネ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/0d/0195b4449bcc5c7e571aed6d61d5e0b6.jpg)
後方 中央ヤヤ右に富田林市のPLの塔が見えている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/93/cf6aaa22bb5ceabfabb579254777b3bd.jpg)
隣の科長神社
今から 1,400年以上前のことである
当時 “ 隋 ” は日本より優れた先進国だったのだろう。今ならジェット機で短時間で着くが、当時は船で何日もかけて、相当な危険覚悟で海を渡ったのだろう。
そんな危険を顧みず、二度も隋に渡った小野妹子、今は美しい紅葉に飾られて静かに眠る。
大阪府南河内郡太子町の小野妹子墓へ行ってきました。
科長神社南側の小高い丘の上に、古くから小野妹子の墓と伝えられる小さな塚があります。妹子は、推古天皇の時代に遣隋使として、当時中国大陸にあった隋という大国に派遣された人物です。
妹子が聖徳太子の守り本尊の如意輪観音の守護を託され、坊を建て、朝夕に仏前に花を供えたのが、華道家元 池坊の起こりになったとされることから、現在、塚は池坊によって管理されています。 ・・・ 太子町のHPより
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/52/7ae861922732989697386c37882f1583.jpg)
小野妹子は
推古天皇15年(607年)に隋に派遣され ~ 翌年(608年)4月帰国
同年9月に再び大使として隋に派遣され ~ 翌年の推古17年(609年)9月帰国
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/28/0f71dcb6fc879402d419330ba9ca43a7.jpg)
写真の右端に 「道祖 小野妹子墓」の石標が建っている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/35/9c46e1552a5e12c1813db4fabd60dc3f.jpg)
石段は紅葉に染まっている
ピークは少々過ぎているが、まだ美しさは保っている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/c9/55d262559216768a606d71d75d0eacf8.jpg)
まだ頑張っているアジサイにひとひらのモミジ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/48/e8dafff6c6cea0cdaff662b971b9c751.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/20/02ef9ade761889b8251a1ccc49867b17.jpg)
足もとには紅葉の絨毯
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/3b/24deb786bf243a3a7eda615d7cd67fe1.jpg)
絵にかいたような眺め
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/23/b00b849fe26222a77644efe999612898.jpg)
瓦の屋根は落ち黄葉葺に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/40/241dd5b016548053629f0fdb4fa51a1e.jpg)
石段を上から眺める
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/60/bfa4af71ab7e5702ba7451d1c52238f7.jpg)
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紅葉の中に 何かの大きな石碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/43/dc46faf58471abcc9e5757aec4384e2a.jpg)
塚の頂上に小野妹子の墓がある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/da/ab0e9695692357bcf93f3924143c6cf9.jpg)
墓の横はイチョウの落ち葉で黄色の世界になっている、 右上の石積が小野妹子の墓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/65/364ae52d81bb6a7adab21576cede9641.jpg)
イチョウの絨毯をアツプで撮る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/cb/09ea6b2f69ba5dd330e9077f019e3264.jpg)
少し離れてイチョウの大木を撮影
この写真では大木感は出てないですネ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/0d/0195b4449bcc5c7e571aed6d61d5e0b6.jpg)
後方 中央ヤヤ右に富田林市のPLの塔が見えている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/93/cf6aaa22bb5ceabfabb579254777b3bd.jpg)
隣の科長神社
今から 1,400年以上前のことである
当時 “ 隋 ” は日本より優れた先進国だったのだろう。今ならジェット機で短時間で着くが、当時は船で何日もかけて、相当な危険覚悟で海を渡ったのだろう。
そんな危険を顧みず、二度も隋に渡った小野妹子、今は美しい紅葉に飾られて静かに眠る。
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