Bike&SlowLife

バイクとカメラを愛し、自然を愛し・美しい風景を愛して、ゆっくり生きてる奈良県に住む気分は若者の雑記帳です。

小野妹子の墓へ

2022-11-30 | 大阪府
.


大阪府南河内郡太子町の小野妹子墓へ行ってきました。



科長神社南側の小高い丘の上に、古くから小野妹子の墓と伝えられる小さな塚があります。妹子は、推古天皇の時代に遣隋使として、当時中国大陸にあった隋という大国に派遣された人物です。
妹子が聖徳太子の守り本尊の如意輪観音の守護を託され、坊を建て、朝夕に仏前に花を供えたのが、華道家元 池坊の起こりになったとされることから、現在、塚は池坊によって管理されています。 ・・・ 太子町のHPより








小野妹子は
推古天皇15年(607年)に隋に派遣され ~ 翌年(608年)4月帰国
同年9月に再び大使として隋に派遣され ~ 翌年の推古17年(609年)9月帰国




写真の右端に 「道祖 小野妹子墓」の石標が建っている



石段は紅葉に染まっている
ピークは少々過ぎているが、まだ美しさは保っている




まだ頑張っているアジサイにひとひらのモミジ





足もとには紅葉の絨毯




絵にかいたような眺め



瓦の屋根は落ち黄葉葺に




石段を上から眺める








紅葉の中に 何かの大きな石碑



塚の頂上に小野妹子の墓がある




墓の横はイチョウの落ち葉で黄色の世界になっている、 右上の石積が小野妹子の墓



イチョウの絨毯をアツプで撮る





少し離れてイチョウの大木を撮影
この写真では大木感は出てないですネ




後方 中央ヤヤ右に富田林市のPLの塔が見えている




隣の科長神社



今から 1,400年以上前のことである
当時 “ 隋 ” は日本より優れた先進国だったのだろう。今ならジェット機で短時間で着くが、当時は船で何日もかけて、相当な危険覚悟で海を渡ったのだろう。

そんな危険を顧みず、二度も隋に渡った小野妹子、今は美しい紅葉に飾られて静かに眠る。





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 役行者が開いた千光寺へ | トップ | 名残の紅葉・弘川寺へ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

大阪府」カテゴリの最新記事