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奈良県五條市西吉野の賀名生梅林近辺をうろうろしてきました。
賀名生梅林も五分咲き程度か? かなり咲いて見頃を迎えています、丹生川東側の旧国鉄五新線沿いの枝垂れ梅は今を盛りと咲き誇っていた。

皇居跡、
右に紅梅、左に白梅を入れて撮ったのですが、バランスの悪い写真になってしまった
丹生川を渡って対岸の旧国鉄五新線跡へ

紅梅の麓に “ 西吉野村の観光案内板 ”

2005年に 西吉野村は五條市と合併してる
何だか懐かしさ哀しさを感じさせる、左下にも 「 国鉄バス 賀名生 」 バス停の記載
国鉄がJRになったのは 1987年だから34年以上前のものだ

皇居跡を川向から撮影
手前のガードレールは 旧国鉄五新線跡のもの
皇居跡へ戻り ~ 坂道を上って 賀名生梅林対岸の北畠親房公墳墓へ行く

北畠親房墳墓から賀名生梅林を眺める、五分咲き程度か?

五條高等学校賀名生分校の跡地にて
真ん中の柱には
『 2000年4月17日
梅咲く丘 創立五十周年 確かな歩みを二十一世紀へ 』 と書かれている
記念の木柱は朽ちて周りは雑草が ・・・ 「 確かな歩み 」 は夢と消え去って行き
広~いグランド跡の周りにも雑草が生えて寂しさが漂う

五條高等学校賀名生分校趾 の記念碑
昭和二十五年 ~ 平成十六年
分校の更に一段上が 北畠親房公墳墓

墳墓のそばには立派な大きな忠魂碑、 前の両脇にに2本建ってるのは砲弾のようだ

この階段の上に

「 贈正一位 北畠親房公之墳墓 」
皇居跡へ向けて下る


白梅は華やかさが無いのでイマイチパッとしません
丹生川東側の旧国鉄五新線沿いの枝垂れ梅へ


青い空にピンクの枝垂れ梅が豪勢に咲き誇っている
ボヤーとした空は徐々に良くなってきたが、まだスカッとした青空にならない

ボリュームたっぷりの花は 「 過密状態 」

華やかさでは紅梅と勝負にならない


高台から対岸の 「 賀名生梅林駐車場 」 を
まだまだ空きがある、やっぱり新型コロナ菌の影響で花見客は少ないのだろうか?


皇居跡の資料館には華やかなお雛様がおられました
奈良県五條市西吉野の賀名生梅林近辺をうろうろしてきました。
賀名生梅林も五分咲き程度か? かなり咲いて見頃を迎えています、丹生川東側の旧国鉄五新線沿いの枝垂れ梅は今を盛りと咲き誇っていた。

皇居跡、
右に紅梅、左に白梅を入れて撮ったのですが、バランスの悪い写真になってしまった
丹生川を渡って対岸の旧国鉄五新線跡へ

紅梅の麓に “ 西吉野村の観光案内板 ”

2005年に 西吉野村は五條市と合併してる
何だか懐かしさ哀しさを感じさせる、左下にも 「 国鉄バス 賀名生 」 バス停の記載
国鉄がJRになったのは 1987年だから34年以上前のものだ

皇居跡を川向から撮影
手前のガードレールは 旧国鉄五新線跡のもの
皇居跡へ戻り ~ 坂道を上って 賀名生梅林対岸の北畠親房公墳墓へ行く

北畠親房墳墓から賀名生梅林を眺める、五分咲き程度か?

五條高等学校賀名生分校の跡地にて
真ん中の柱には
『 2000年4月17日
梅咲く丘 創立五十周年 確かな歩みを二十一世紀へ 』 と書かれている
記念の木柱は朽ちて周りは雑草が ・・・ 「 確かな歩み 」 は夢と消え去って行き
広~いグランド跡の周りにも雑草が生えて寂しさが漂う

五條高等学校賀名生分校趾 の記念碑
昭和二十五年 ~ 平成十六年
分校の更に一段上が 北畠親房公墳墓

墳墓のそばには立派な大きな忠魂碑、 前の両脇にに2本建ってるのは砲弾のようだ

この階段の上に

「 贈正一位 北畠親房公之墳墓 」
皇居跡へ向けて下る


白梅は華やかさが無いのでイマイチパッとしません
丹生川東側の旧国鉄五新線沿いの枝垂れ梅へ


青い空にピンクの枝垂れ梅が豪勢に咲き誇っている
ボヤーとした空は徐々に良くなってきたが、まだスカッとした青空にならない

ボリュームたっぷりの花は 「 過密状態 」

華やかさでは紅梅と勝負にならない


高台から対岸の 「 賀名生梅林駐車場 」 を
まだまだ空きがある、やっぱり新型コロナ菌の影響で花見客は少ないのだろうか?


皇居跡の資料館には華やかなお雛様がおられました