シゲマツがこの作品で書きたかったのは「絶望」に他ならないのではないか?
現実の地獄のさなかにいるとき、夜になって夢を見てもそれは悪夢でしかなく、しかし、現実に戻らなくて済むのならその悪夢が覚めないで欲しいと思う。
そして否が応でも現実に引き戻され、これが悪い夢ならどうかお願いだから覚めて欲しいと願う。
物語を読むとき、それがどんなに残酷な話であっても、読者は心のどこかで「きっと最後には救いがあるはず」と思って読んでいる。しかし、シゲマツはそんな甘い救いすら否定するかのようにしっかりと地獄を見せ付けてくれる。
実際、本当の絶望の中にいるときには、その先に救いがあるなどということすら考えられない。ひたすら痛めつけられ、その絶望を忘れる事ができる時があるとすれば、新たな地獄がやってきたときか、それともなければ何物にも心を動かされないよう、「からっぽ」になれた、なってしまったときだ。
読者が救いを求めるために付け入る隙すら与えない、まざまざと残酷さを認識させる、シゲマツの真骨頂はここにある、と思う。
そんな重松さんだが、最近は小学生の娘も愛読しているし、国語の教材にも取り上げられることが多くなった。
でも、この作品は小6にはちょっと読ませられないかも・・・R-12指定。
現実の地獄のさなかにいるとき、夜になって夢を見てもそれは悪夢でしかなく、しかし、現実に戻らなくて済むのならその悪夢が覚めないで欲しいと思う。
そして否が応でも現実に引き戻され、これが悪い夢ならどうかお願いだから覚めて欲しいと願う。
物語を読むとき、それがどんなに残酷な話であっても、読者は心のどこかで「きっと最後には救いがあるはず」と思って読んでいる。しかし、シゲマツはそんな甘い救いすら否定するかのようにしっかりと地獄を見せ付けてくれる。
実際、本当の絶望の中にいるときには、その先に救いがあるなどということすら考えられない。ひたすら痛めつけられ、その絶望を忘れる事ができる時があるとすれば、新たな地獄がやってきたときか、それともなければ何物にも心を動かされないよう、「からっぽ」になれた、なってしまったときだ。
読者が救いを求めるために付け入る隙すら与えない、まざまざと残酷さを認識させる、シゲマツの真骨頂はここにある、と思う。
そんな重松さんだが、最近は小学生の娘も愛読しているし、国語の教材にも取り上げられることが多くなった。
でも、この作品は小6にはちょっと読ませられないかも・・・R-12指定。