週刊現代◇◆66万人が延命状態…”自然な看取り”は「姥捨て山/弱者切り捨て」なのか?・・・試算して分かった「延命治療」費用の実態 【中田 智之】
(序)もともと介護保険制度は老々介護やヤングケアラーなど、家族内介護負担による生活困難を解消する目的で制度がつくられてきました。団塊の世代が後期高齢者となる2025年問題を間近に控え、さらなる介護
雇用の増加、および現役世代の負担増しか未来はないのでしょうか。
およそ半世紀前、「揺りかごから墓場まで」の考えで社会保障を拡大させてきたイギリスやスウェーデンでも同様の問題に直面。その本質的な解決は、『緩和ケア』の考え方の普及によって行われてきました。
緩和ケアは、死とは避けられない人生の一部であると考えた時、高齢者が最期まで自分らしく生きるために必要な介護や医療は何であるかという観点で、介護と医療のありかたを再考したものです
上のQRコード:一つ目は「要介護認定4・5高齢者の健康状態分布(2019年度)」 二つ目は「人口栄養導入手術年間件数推移(2014-21年)」
・寝たきり高齢者がほとんどいないことで有名なスウェーデンの基準では、自力で座った姿勢を取れない、失禁を繰り返す、一貫性のある会話ができない高齢者は、人工的な栄養補給は行わず緩和ケアによる看取りの
段階と判断されます。1992年のエーデル改革を経て現代にいたるまでに、スウェーデン国民の“死生観”は大きく変化し『緩和ケア』による看取りは普及。約半世紀遅れて高齢者福祉が行き詰りつつある日本でも、
同様の変化は次第に進んでいくものと思われます。
・一つ目のグラフ:日本の認定度4&5を海外先進国の基準にあてはめると、要介護度4の1/4・要介護度5の3/4は緩和ケアによる看取りが適応される状態にあると推察され、要介護度4および5から改善がみられた
事例は少数であったことから、これを延命医療の割合と仮定します。
要介護度4の総介護費は2.6兆円・要介護度5は2.0兆円であるため、海外先進国では延命状態とみなされる高齢者に費やされている介護費は、およそ2.15兆円。
要介護度4は87万人・要介護度5は59万人が認定されているため約66万人が延命状態と推計され、ここに年金平均受給額である月額14.4万円を乗算すると年間およそ1.14兆円。
以上から延命状態の高齢者に費やされている社会保険料は、介護・年金をあわせて約3.3兆円という推計になりました。令和4年度の文教予算・防衛予算それぞれともに5.3兆円であったことと比較すると、
財政や現役世代の社会保険料負担に与える影響は大きいのではないでしょうか。
★ 仮に明確な延命医療だとしても今現在行われている人工栄養を中止することは、様々な問題や困難を伴います。また、延命医療を選ぶ権利は常に尊重しなければなりません。
それでも延命医療から緩和ケアによる看取りへという価値観の変化は、日本においても次第に広まりつつあります。一例としてレセプト情報データベースにおける高齢者人口増分を考慮すると、後期高齢者に対する
胃ろう造設件数は2014年と比較して約25%減少しました。
一方で太い血管に直接栄養を流し込む人工栄養法は減少していません。厳密にいえば手足に行う普通の点滴といえど、痛みや行動制限を伴う人工的な栄養補給であり、延命医療と緩和ケアの線引きの理解が
不十分な部分と言えます。
◎ 今般の社会保障費の見直し議論を契機として高齢者を看取る家族だけでなく医療従事者においても緩和ケアの考え方が周知されることで、まだまだ動けるからこそ
介護負担が最も大きい要介護度3の高齢者へのサポートを手厚くすることもできるようになります。
限りある医療介護リソースの本質的な意味での適正配分によって現役世代の社会保険料負担だけではなく、介護する家族と介護従事者の負担も軽減されることになる
のではないでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本件は、医療資源の最適配分だけでなく、11月16日の本コラムで取り上げた”<死ぬ権利>を巡る「安楽死」ではなく『尊厳死』に直結するテーマ”でもある。
大富豪が自費で医療介護支出を賄い、税金支出に頼らないなら別だが、そうでない者は健康保険や介護保険料支払いのカタチで若年世代に背負われており、それを恰も当然の
権利のように錯覚する人が多い。公的保険制度とは社会全体の互助組合であり、バトンを順繰りに受け継ぐ申し送りに過ぎない。先に生まれた者が恩恵を受けて当然でなない。
中田氏が上に述べる【死とは避けられない人生の一部であると考えた時、高齢者が最期まで自分らしく生きるために必要な介護や医療は何であるかという観点】の中でも下線を施した部分は即ち≪ 尊厳ある老い&死 ≫を言っている。【心身の自由を失った老耄は既に死の一部】と捉えるところから緩和ケアが始まる。そのように私は見做しており、
全ての延命措置謝辞と尊厳死要請を親族に10年以上前から伝え(日本尊厳死協会)発行のカードを日々携行し、救急搬送に備えている。
勿論(いくら心身の自由を失おうとも死ぬまで延命措置を最期まで続ける)と親族&本人が考える自由は「死ぬ権利」と同等に尊重される。それが多様性の受容だ。
(序)もともと介護保険制度は老々介護やヤングケアラーなど、家族内介護負担による生活困難を解消する目的で制度がつくられてきました。団塊の世代が後期高齢者となる2025年問題を間近に控え、さらなる介護
雇用の増加、および現役世代の負担増しか未来はないのでしょうか。
およそ半世紀前、「揺りかごから墓場まで」の考えで社会保障を拡大させてきたイギリスやスウェーデンでも同様の問題に直面。その本質的な解決は、『緩和ケア』の考え方の普及によって行われてきました。
緩和ケアは、死とは避けられない人生の一部であると考えた時、高齢者が最期まで自分らしく生きるために必要な介護や医療は何であるかという観点で、介護と医療のありかたを再考したものです
上のQRコード:一つ目は「要介護認定4・5高齢者の健康状態分布(2019年度)」 二つ目は「人口栄養導入手術年間件数推移(2014-21年)」
・寝たきり高齢者がほとんどいないことで有名なスウェーデンの基準では、自力で座った姿勢を取れない、失禁を繰り返す、一貫性のある会話ができない高齢者は、人工的な栄養補給は行わず緩和ケアによる看取りの
段階と判断されます。1992年のエーデル改革を経て現代にいたるまでに、スウェーデン国民の“死生観”は大きく変化し『緩和ケア』による看取りは普及。約半世紀遅れて高齢者福祉が行き詰りつつある日本でも、
同様の変化は次第に進んでいくものと思われます。
・一つ目のグラフ:日本の認定度4&5を海外先進国の基準にあてはめると、要介護度4の1/4・要介護度5の3/4は緩和ケアによる看取りが適応される状態にあると推察され、要介護度4および5から改善がみられた
事例は少数であったことから、これを延命医療の割合と仮定します。
要介護度4の総介護費は2.6兆円・要介護度5は2.0兆円であるため、海外先進国では延命状態とみなされる高齢者に費やされている介護費は、およそ2.15兆円。
要介護度4は87万人・要介護度5は59万人が認定されているため約66万人が延命状態と推計され、ここに年金平均受給額である月額14.4万円を乗算すると年間およそ1.14兆円。
以上から延命状態の高齢者に費やされている社会保険料は、介護・年金をあわせて約3.3兆円という推計になりました。令和4年度の文教予算・防衛予算それぞれともに5.3兆円であったことと比較すると、
財政や現役世代の社会保険料負担に与える影響は大きいのではないでしょうか。
★ 仮に明確な延命医療だとしても今現在行われている人工栄養を中止することは、様々な問題や困難を伴います。また、延命医療を選ぶ権利は常に尊重しなければなりません。
それでも延命医療から緩和ケアによる看取りへという価値観の変化は、日本においても次第に広まりつつあります。一例としてレセプト情報データベースにおける高齢者人口増分を考慮すると、後期高齢者に対する
胃ろう造設件数は2014年と比較して約25%減少しました。
一方で太い血管に直接栄養を流し込む人工栄養法は減少していません。厳密にいえば手足に行う普通の点滴といえど、痛みや行動制限を伴う人工的な栄養補給であり、延命医療と緩和ケアの線引きの理解が
不十分な部分と言えます。
◎ 今般の社会保障費の見直し議論を契機として高齢者を看取る家族だけでなく医療従事者においても緩和ケアの考え方が周知されることで、まだまだ動けるからこそ
介護負担が最も大きい要介護度3の高齢者へのサポートを手厚くすることもできるようになります。
限りある医療介護リソースの本質的な意味での適正配分によって現役世代の社会保険料負担だけではなく、介護する家族と介護従事者の負担も軽減されることになる
のではないでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本件は、医療資源の最適配分だけでなく、11月16日の本コラムで取り上げた”<死ぬ権利>を巡る「安楽死」ではなく『尊厳死』に直結するテーマ”でもある。
大富豪が自費で医療介護支出を賄い、税金支出に頼らないなら別だが、そうでない者は健康保険や介護保険料支払いのカタチで若年世代に背負われており、それを恰も当然の
権利のように錯覚する人が多い。公的保険制度とは社会全体の互助組合であり、バトンを順繰りに受け継ぐ申し送りに過ぎない。先に生まれた者が恩恵を受けて当然でなない。
中田氏が上に述べる【死とは避けられない人生の一部であると考えた時、高齢者が最期まで自分らしく生きるために必要な介護や医療は何であるかという観点】の中でも下線を施した部分は即ち≪ 尊厳ある老い&死 ≫を言っている。【心身の自由を失った老耄は既に死の一部】と捉えるところから緩和ケアが始まる。そのように私は見做しており、
全ての延命措置謝辞と尊厳死要請を親族に10年以上前から伝え(日本尊厳死協会)発行のカードを日々携行し、救急搬送に備えている。
勿論(いくら心身の自由を失おうとも死ぬまで延命措置を最期まで続ける)と親族&本人が考える自由は「死ぬ権利」と同等に尊重される。それが多様性の受容だ。