静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

【書評179-3】  塹壕の四週間   ~あるヴァイオリニストの従軍記〜   フリッツ・クライスラー著  伊藤 氏貴(訳)   鳥影社  2021年7月

2023-11-12 21:26:29 | 書評
 【書評179-2】に1箇所タイプミスがあったので訂正させていただきたい。それは第一パラグラフの冒頭≪* ところが1890年、ベルリンフィルをバックにソリストとして
大成功を収め・・≫の部分。・・・1890年ではなく、正しくは<1899年>です。

 さて『塹壕の四週間』にKが描いたのは典型的な陸上戦闘の記憶で、時代が変わっても似たような戦場風景だろうなと戦争を知らない私でも類推できる。たぶん、ウクライナの兵士が今感じている事に近いかもしれない。Kは音楽や演奏に関することは何一つ振り返って居ない。だが、其のなかでキラッと光る箇所は2箇所ある。

 まず、ロシア軍、オーストリー軍の双方が撃ち合う砲撃戦のさなか、発射された砲弾が上昇時と下降時に発する音の違いが異なること、そして放物線の頂点に達した瞬間の音も別物であることにKは気づき上官に報告したところ、「それは自軍の射程距離算出に役立つから」頂点での音が聞こえる地点を地図上に書き記せとの命令を受けた。
 音楽家として生まれ持ち・育てた聴覚が戦場で役に立ったのだ。 はて、Kの胸中はいかがなものだっただろう? K自身は其の時の心中につき何も書いていない。

 さらに私の眼に留まったのは<ただ動物の様に生き延びるだけの戦場暮らしがどれほど都市の文明生活を忘れさせ、不要なものと感じさせるか>にKが思い当たる部分だ。
それは、Kの所属する中隊などを統率する旅団長が、砲弾の飛びかう中、死体の山を縫うように運ばれる負傷者が後方の野戦病院へ運ばれるのを尻目に一切動揺の素振り無く部下を督励し、指示・命令を与え続ける冷静さに驚嘆した日の叙述だ。Kは、自分の受けた芸術教育が神経を常に過敏にし、恐怖に震え、緊張させ過ぎていた事を恥じ、旅団長が(Weltschmerz=World Pain)と無縁な行動を貫いている事に賛辞を送っている。
 
 訳者がわざわざ原文に使われたドイツ語を残している意図は何か? それは普通の人生や生活で誰もが感じる悲しみ・落胆・絶望(Weltschmerz=World Pain)とかけ離れた思考構造を持たねば殺し合いの指揮などできないとKが痛感したのを伝えたいからだろう。Kは僅か4週間の戦場生活で「生の意味」を自問自答することになった。それは自らが負傷した体験と相俟ち、精神世界だけに生きる芸術家ではない多面性と均整のとれた人間性をKがかね備えることに導いたのだろう。
思えば、世界的なレベルの音楽家が戦場に赴き、生死の境を潜って生還した例はK以外に誰がいるだろう?

 砲弾の飛ぶ音を聞き分けられる能力が戦場で役立ったこと。殺戮の現場で動じない人物を目の当たりにしたこと。この二つの強烈な記憶は除隊後のKの人生観・芸術観を変えたに違いない。思うに、世界的レベルの演奏家・作曲家で戦場を志願し、生死の境を潜った人物はKの他に誰がいるだろうか? 飛行機を含む近代兵器による大規模な戦争は19世紀の音楽家には無縁だったから、Kは極めて特異な体験を通した感情表現を身に着けたと思われる。そう思ってKの演奏を改めて聴くと、あの軽妙だが、はかなげな澄んだ美しい音色と人物像が結びつく気がする。
 「あとがき」で伊藤氏はKの凄惨な体験と人生を伊藤氏なりに解釈している。それを次は観てみよう。                < つづく >
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【書評179-2】  塹壕の四週間   ~あるヴァイオリニストの従軍記〜   フリッツ・クライスラー著  伊藤 氏貴(訳)   鳥影社  2021年7月

2023-11-12 10:24:56 | 書評
 K(1875-1962)の一生を特徴づける要素、それは「オーストリー・ハンガリー帝国」のウイーンでユダヤ人一家に生まれたことが演奏活動に影響を与えた出自だ。

 神童と称えられ7歳で特例入学したウイーン音楽院からパリ音楽院を首席で卒業した15歳までの華やかな経歴も、堅実な人生を望む医者だった父の勧めに従い医学の道を志した。だが性に合わないのか、20歳の1895年高等学校を退学して軍隊に入る。除隊後、再び演奏活動に復帰するもウイーンフィルの入団テストは不合格! 
* ところが1890年、ベルリンフィルをバックにソリストとして大成功を収め、欧州に加え1901年にはアメリカへ演奏旅行に出るまでになった。ウイーンフィルのテストでは「初見が下手」「演奏が荒くて粗野」と判断された要素は、Kのソリストとしての適性が如何に勝っていたか、を物語る異議深いエピソードだ。
  ここは素人ながら弦楽合奏やフルオケで弾く私の経験から大いに頷ける。ソリストに求められるモノは合奏技術とは別世界、それは楽器を問わず同じだ。

 そのアメリカに向かう船の中で出会った米国人女性<ハリエット・リース>を見そめ1902年に結婚し、Kは米国NYに居を構えた。ところが1914年の第一次大戦勃発で招集を受け、保養先のスイスから陸軍中尉で応召。本書はKが向かったロシアと向き合った東部戦線での戦地体験を除隊後に記したものである。Kは前線でコサック騎兵隊の襲撃を受けた際、肩と大腿部を負傷したためウイーンで治療を受けるも、再び戦闘任務には耐えられないとの判断で除隊となりNYの自宅に戻った。傷が癒えると再び演奏活動に復帰。NYではロシア革命を嫌い亡命したラフマニノフと親交を結び、彼のピアノ伴奏でバイオリンソナタを録音したり、互いの作品を編曲しあったりした。 

 ベルリンにも活動拠点を構えていたのだが、ナチスの勃興で第二次大戦へ突き進むやKは政権への協力を拒否、オーストリアのドイツ併合(1938年)を機にフランスへ脱出、仏国籍を得る。だがフランスにナチスの支配が忍び寄るやKは米国へ移り、米国籍を取得。米国でも演奏活動は続けたのだが、旧オーストリー人ではなくドイツ人と見做される事から米国人の敵愾心に晒され、嫌がらせを受け始める。だが伊藤氏によれば<敵意に敵意で報いる>ことはせず、耐え忍んだ。この辺りに芸術家・演奏家としての人生だけではない” 均整のとれた人間性 ”があると訳者は強調している。伊藤氏をして言わしめる部分が記述にみられる、と私が感得した諸点を次は述べていきたい。  < つづく >
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