静 夜 思

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憲法制定時に埋め込まれた”外国人嫌い”精神    再び見直そう!<すべてのひと>vs<日本国籍保有者>

2024-05-11 13:17:15 | 時評
【毎日】土記 憲法に潜む外国人嫌い:伊藤智永 (専門編集委員) 抜粋
 伊藤氏の指摘に私はとても驚いた。それは敗戦後、GHQと1946年当時の政府がやり取りした記録が、既に外国籍者を国民と同等と扱いたくない官僚の意思をハッキリ示していたからだ。
 私は知らなかったのだが、とても重要な経緯なので引用したい。

* 古関彰一氏らの緻密な憲法制定史研究によれば、連合国軍総司令部(GHQ)草案の主語「自然人」を、日本側が改めた。「全ての人は法の下に平等だ。peopleに人民の訳語もあるではないか」
  というGHQの指摘に、内閣法制局は「人民とは王に抵抗する民を指す。日本人は天皇と対立しない」と反論。 
    ← 「人民」と翻訳したのは明治の日本人である! ソ連や中共が用いた言葉を人民と訳して使った当時の左翼にも責任の一端はあるかもしれない。

  さらに「主語が自然人なら、GHQ草案にある<外国人ハ均(ひと)シク法律ノ保護ヲ受クルノ権利ヲ有ス>の条文は必要か」と渋る。 ←これは今も官僚が得意とするすり替え論法だ。

* いったん「凡(すべ)テノ自然人ハ其(そ)ノ日本国民タルト否トヲ問ハズ」という文案になったが、政府は文語体から口語体に直すどさくさに主語を自然人から「国民」へ戻し、
  外国人の保護規定を削ったという。  ← 今もみる卑劣なやりくちだ。現在の外国人蔑視と入国管理支配&移民拒否感覚の原点は、まさにここに始まった!!

   後にGHQ関係者は「第1章天皇と第2章戦争の放棄がより重要だった。外国人の権利でもめるのを避けた」と証言している。← 私はここが残念でならない。GHQにはもっと頑張って欲しかった。

★ フランス人権宣言は「は自由かつ諸権利において平等なものとして生まれ生存する」アメリカ合衆国憲法は「何人に対しても法の平等な保護」。
  戦後のドイツ基本法も「全ての人は法の前に平等」と定める。 一方、日本国憲法に「人」は登場しない。主語は国民
◎ 日本政府が腐心したのは、明治憲法の「天皇と臣民」を「象徴と国民」へ置き換えることだった。「憲法には天皇と一体となる国民精神が込められている。欧米人の憲法観と日本人の憲法観は違う」
   (金森徳次郎憲法担当相)
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 今も昔も<政府の頭の中はあくまでも天皇⇔国民であり、そこに一人の個人・ひとが国を構成するとい考え方はない>。これは民主の明確な否定である
支配・被支配関係ではない象徴天皇制が前提とするべき「民」ではなく、言葉を変えた臣民と国家像が現行憲法に描かれていたのだ。・・・私はショックに震えている、大袈裟ではなく。

  いま現在、日本国籍を有してこの土地に生きる我々のどれほどが個人の上に(天皇⇔国民)関係が優先されると思い、本当に支持しているだろう? 
 <個人よりも国家優先、絶対支配的天皇制、万系一世・純血幻想>を信じて疑わない一部のグループは、個人の上に(天皇⇔国民)関係が優先されて当然と思っているだろう。
 今は少数ながら、このグループは故安倍内閣時代に勢いを増し、国際情勢緊迫をチャンスとばかり、国家第一主義を盛り立てようと画策中だ。

『外国人嫌い』というキャッチーなフレーズが含む課題は<象徴天皇制と国民主権・外国人&移民政策・国家主義逆戻りのリスク>である。憲法改正検討には、このエリアが含まれなければいけない
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