静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 人間として生まれながらに持つ権利=人権 ≫  全ての政治行動の当否は人権侵害有無で判断しよう

2016-03-07 20:40:53 | トーク・ネットTalk Net
 ◆ 牧太郎の大きな声では言えないが…「性奴隷」のこと http://mainichi.jp/articles/20160307/dde/012/070/006000c?fm=mnm
・ 参院憲法審査会で、丸山和也議員が「例えば今、アメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ」と発言して“大騒ぎ”になった。
・ 僕に言わせれば……「奴隷」に関しては、「もっと騒がれ、議論されるべき発言」が存在する。 慰安婦問題の「日韓合意」に絡む1月18日の参院予算委員会の審議。
  安倍晋三首相は「性奴隷という事実はない」と答弁し、岸田文雄外相は「(性奴隷という言葉は)不適切で、使用すべきではない」と断定した。

吉見義明・中央大教授は奴隷制について「所有権に伴う権限」が行使されること、すなわち「人の自由または自律性を重大なやり方で剥奪すること」と説明したうえで、「女性たちは『慰安婦』制度のもとで、『居住の自由』『外出の自由』『廃業の自由』『軍人の性の相手を拒否する自由』などを奪われていたことは実証されているから、性奴隷状態に置かれていることは明らかである」・・・・こう書く。
   <では慰安婦は? 「性奴隷」だった!と僕は思う。「事実ではない」と首相が言う背景には、「国の責任」を小さく見せようとする意図が隠されていないだろうか。米国が「丸山発言」に激怒したとの話は知らないが、「従軍慰安婦」問題は違う。多くの米国人が「軍が組織的に『慰安婦狩り』をしたかどうかは問題ではなく、『人権問題』である以上、日本が責任を負うべきだ」と考えているのだ>。
 ⇒ ここが大事なポイントだ。 国家或は軍が組織的に慰安婦調達に動いたかどうかの事実考証を争うのではなく、また、慰安婦の存在が戦場の傍では世界中どこでも発生したから日本だけの問題じゃないと一般化して逃げるでもなく、慰安婦という名の『性奴隷』動員に国家が関与した事実が既に<人権を守る>ことを善とする今日の価値観からして責められるている現実を受容することが大事なのである。← そりゃ米軍だって同様だ、といっても免罪にはならない。
  
  太平洋戦争擁護派が口にする”あの当時の価値観ではしかたなかった”とか、”今と価値観が違うから裁かれるのはおかしい”といくら吠えてみても、無意味である。現在の価値観は、過去行われた行動を律した価値観の変型/超克であり、今を生きる人間は今を律する価値観に準ずるしかないのだから。 
 速いはなし、奴隷制度が盛んだった時代、人間が奴隷にされること自体に誰も異議を唱えなかった。 それは何も欧米人によるアフリカ原住民の奴隷狩りだけではない。戦利品として敗戦側の男女を奴隷にする風習は日本でも普通だったではないか。 だが時代が移り、今では人間を奴隷にする行為を良いことだという者は居ない。  現在の世界を律している普遍的価値観は”自由の尊重”を核とする≪基本的人権の尊重≫である。

 性奴隷の制度化を悪と認めず、矮小化しようとする安倍政権の姿勢は、同じ基本的人権の侵害である「民族/人種差別」たる【ヘイトスピーチ】を規制しようとしない不作為と同根だ。  だから、私はこれまでも 全ての判断を人権侵害の有無で行ってきたのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★ 2016.03.07.   哲学カフェ 仙台から東京へ    考えることをやめないヒトが創る社会を 

2016-03-07 13:54:18 | トーク・ネットTalk Net
 ★ 「哲学カフェ」人気 他人との対等な対話、仙台から広まるhttp://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/238739/030200140/?P=1
・ 2011年の東日本大震災後、仙台市を中心として広がる。東京都内で開かれた哲学カフェを訪ねた。
  取材したのは千代田区のギャラリーで開かれた「てつがくカフェ@せんだい×とうきょう」。震災後に学識経験者らが主催して仙台市で始めたもので、
  14年から並行して都内でも行われている。
・ カフェの冒頭、紙芝居を交えて進行役のしばたはるさんが、参加者に「当たり前のことも改めて根本的に考える」「自分以外の人がどう考えているか、十分に聞いてみる」
  という二つの注意点を説明した。 哲学カフェでは、参加者の議論で「問い」が立てられ、それに対して参加者が自分なりの「考え」を述べ合い、話されたことを元に
  会場なりの結論をまとめる。
* 仙台市のカフェから運営に携わる福井大の西村高宏准教授(臨床哲学)は「思想書で答えが出ないことを自分たちの言葉で考えたい、という『渇き』があると思う」と分析する。
* 西村准教授が定義する「哲学」の実践とは、「たどたどしくても、自分たちの言葉で相手との考えの違いを際立たせ、自分の考えをたくましくしていくこと」。
  カフェで培った、根本に立ち返って深く考え抜く力、他人の発想を取り入れる力は普段の生活でも役立つ。

「特に中高年はリタイアすると、素の状態の自分を試される。若い人と対等な場であるカフェでの対話を通じて、『自分って何だろう』ということを探してみては」と。  
   ⇒ ”素の状態の自分”を炙り出す機会、か。 ギョッとするではないか。。。。 【 問い合わせ・申し込みは実行委員会(sendaixtokyo@gmail.com)へ 】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 トランプ候補と 安倍の類似性     「米国を再び偉大な国に!」 vs 「もう一度ニッポン!」

2016-03-07 09:30:56 | 文芸批評
 * 共和党トランプ氏 「米国を再び偉大な国に」商標登録済み http://mainichi.jp/articles/20160307/k00/00m/030/053000c?fm=mnm
・ 「米国を再び偉大な国に」。トランプ氏が繰り返すこのスローガンは、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルによると、2012年にトランプ氏が商標登録した。
   オバマ大統領が再選を決めた直後だ。トランプ氏はこの頃から、側近と今回の挑戦を計画し始めた。
・ 場当たり的に発言しているように見えて周到に準備もしている。米メディアによると、不法移民の流入などを防ぐためにメキシコとの国境沿いに壁を作るという「公約」も、
  移民政策の強硬派というイメージ作りで事前に用意されたものだった。
* 安倍晋三氏が「もう一度ニッポン」を商標登録済かどうか、寡聞にして知らないが、2012年に登録したというトランプ氏には思わず笑ってしまった。

 愛国スローガン的フレーズを多用するところ(+)場当たり的に見えながら実は周到に準備する抜け目なさ・・・此の二人がなんと似ていることか!!
伝えられるところでは、共和党幹部は<しょせん 一発屋人気さ>とタカを括れそうにない形成をみて、トランプ降ろしに入ったという。 
      さて、我が日本では 自民党の誰も「安倍おろし」に今のところ動かない。   これ いかに???
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ 2016.03.07.  ≪ 一帯一路 ≫ と ≪ 台北まで高速鉄道を ≫   トロイの木馬では? 

2016-03-07 09:10:45 | トーク・ネットTalk Net
 ☆ 中国程永華駐日大使 「一帯一路」で日本の協力に期待感 http://mainichi.jp/articles/20160307/k00/00m/030/075000c?fm=mnm
 ☆ 中国全人代 北京から福建省経由で台北…高速鉄道建設計画 http://mainichi.jp/articles/20160307/k00/00m/030/066000c?fm=mnm
大坂の陣で和平条件のひとつが、徳川方による「外堀埋め立て」だった。承知のとおり、当初の約束は守られず、大坂城は丸裸同然になり、豊臣氏滅亡を招いた。台湾の指導者には此の故事を思い出してもらいたい。 もし豊臣滅亡の例えが馴染めないなら <トロイの木馬>逸話でも良い。 
 私は台湾出身者でもなく、お節介するつもりは無い。だが、「一帯一路」といい「アジアインフラ投資銀行」といい、上に挙げた二つのメッセージも、中国政府の壮大な戦略の一環であることは皆さんが既に気づいていること。 経済効果だけに目を奪われることがないよう祈るが、以下の解説記述に注目して欲しい・・・。

<米国主導ではない新しい国際ルールづくりにつなげる狙いがあるが、社会主義国とキリスト・イスラム教、洋の東西といった文化習慣が異なる国との「距離」が縮まることは、
摩擦も生む。
 「第13次5カ年計画」(2016〜20年)の「草案」では「中華文化の世界への発信強化」も新たに盛り込まれた。「(中国には)魅力や価値観というソフトパワーが欠けている」
(辜勝阻・全人代常務委員)との反省からだが、中国の価値観をどこまで広められるかは未知数だ>。

そう、西洋欧米文明に鼎立するものとしての”東洋文明の魅力や価値観”を訴えたい漢民族の気持ちは十分理解するが、それには【謙虚さ】が伴わないと実現すまい。 そこのところにおいて、日本人のみならず何人であろうと違和感があり、敬遠されているのが現実だ。文字通り東洋文明の素晴らしさを誰もが認め<敬して>いるが、誰もが<遠ざける>。  当人である漢民族/現在の大陸中国を代表する人々が今の態度を変えない限り、永遠に<敬遠される>であろう。 
 今の態度とは『文化は政治/軍事に奉仕するものであり、詰まるところ ちからが全てだ』という共産主義時代そのままの態度を指している。 それを捨てぬ限り、文化的発信などできはしない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする