ものごとには必ず「終わり」が来る・・・。 東洋では<(永久=常)無き事=無常>といい、西洋では<Transient>と言う。人間は他の動植物と同じ生き物であるので、その生存には終わりが来る。生物の命は時間に支配されている。だから時の移ろいを(幼い頃は別にして)誰もが、生まれ出て世に交わるうち、遅かれ早かれ気づく。身内或は親しい他人が姿を消し、骨片に還る現場に遭遇すると、ヒトごとではなく、己の生命も限られていることに気づく。 勘ぐれば、そう思いたくない心情が「万物輪廻」概念を産んだのかもしれない。
でも、そういう<終わり>を自覚せねば”せめて死ぬまでに何かを残したい”という気持ちは芽生えない。 無論、芽生えない人も大勢居る。数の上では、いつの世も圧倒的に多いだろう。 だが、芽生える人には、それはそれで楽じゃない。「自分は動物みたいに何も考えないで死ねたらいいが、何も考えないことはできないタイプらしい。 じゃ、何か意味づけが出来ることを見つけ、残った時間を苦しくないように過ごすしか救われない」・・・こう思うようになる。 ここで登場するのが≪ ライフワーク ≫という概念だ。
* <ライフワーク> Lifework = the entire or principal work, labor or task of a person's lifetime
お判りのように、本来の意味でライフワークとは「これが天職と若い頃に確信し、ぶれることなく、文字通り老年を全うするまで日々のエネルギーを傾注できる営み」を指す。
つまり、幼い頃から好きだった事が長じ、職業に出来たヒトは確かに居る。 そういう幸いなヒトにこそ「ライフワーク」という語は当てはまるのであって、余生を上手にマネージする
ための場で泳ごうとする凡人に「ライフワーク」などと駆られるモノは無い。
でも、そういう<終わり>を自覚せねば”せめて死ぬまでに何かを残したい”という気持ちは芽生えない。 無論、芽生えない人も大勢居る。数の上では、いつの世も圧倒的に多いだろう。 だが、芽生える人には、それはそれで楽じゃない。「自分は動物みたいに何も考えないで死ねたらいいが、何も考えないことはできないタイプらしい。 じゃ、何か意味づけが出来ることを見つけ、残った時間を苦しくないように過ごすしか救われない」・・・こう思うようになる。 ここで登場するのが≪ ライフワーク ≫という概念だ。
* <ライフワーク> Lifework = the entire or principal work, labor or task of a person's lifetime
お判りのように、本来の意味でライフワークとは「これが天職と若い頃に確信し、ぶれることなく、文字通り老年を全うするまで日々のエネルギーを傾注できる営み」を指す。
つまり、幼い頃から好きだった事が長じ、職業に出来たヒトは確かに居る。 そういう幸いなヒトにこそ「ライフワーク」という語は当てはまるのであって、余生を上手にマネージする
ための場で泳ごうとする凡人に「ライフワーク」などと駆られるモノは無い。