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三木武夫に学ぶ政治の定石ⅩⅢ

2013年03月05日 | 歴史
不利な状況を生き抜く方法
 佐藤内閣末期、他に人がいないから続いていたような物でした。
「ここまで支えてきてくれてありがとう」と佐藤さんが言った瞬間、「これからは違うぞ!」と1年生議員がいきなりやじり始めます。
その1年生代議士とは浜田幸一です。三木さんはその時点で4年間干されています。常に逆襲の機会を狙っていました。彼は参議院の議長人事に目を付けました。
その時、重宗雄三が「参議の天皇」「重宗王国」と言われていて、佐藤さん自身が重宗さんをいい加減うざったいと感じ始めていました。
重宗さんは常に参議大臣を送り込めるので「参議は衆議のカーボンコピーだ」と言われ、重宗さんは強力な権力を固めていました。
総裁選は衆議も参議も1票を持っています。
参議の方が個人よりも組織や圧力団体の力で当選した人が多いため、総裁とか幹事長とかには大派閥の領袖にとっては当選しやすい構造がありました。
言うことを聞かせやすい上に総裁選では衆議と同じ1票です。こうして参議を抑えた者は権力を握ると言う構造ができあがります。
重宗さんと組んでいる限り佐藤さんは安泰です。しだいに重宗さんの権力が大きくなりすぎていきます。そこに三木さんは目を付けて議長人事で造反をします。
まず河野一郎の弟、河野謙三が参議院改革をやりだします。三木派はこれに乗ります。この時の三木さんの親衛隊長が石原晋太郎です。
石原さんは今では三木さんのことを「愚かな政治家」と断じているところを見ると、このことは消したい過去であるようです。
石原さんは当時参議で桜会を作っていました。
政治評論家の三宅久之が河野洋平に「健三さん担ごう!」、「誰が集まる?」、「三木派が来れば議長選で勝てる!」と持ちかけます。
ここでのポイントは共産党を含めた全野党が加わることです。桜会に「佐藤派を徹底的に切り崩せ」と指令が飛びます。
一方で「重宗を降ろして別の人を立てるから降りてくれ」といっても三木さんは聞きません。
この時のエピソードを石原さんは自慢げに回顧録で語っています。
石原さんは裏切り者をトイレに連れ込んでボールペンで「目玉を刺すぞ、眼を潰されてもあっちにつくのか」と脅したそうです。
それほどまでに三木さんに忠誠を尽くしていました。
石原さんは福田さんの派閥に入って、佐藤さんに対しては「表向き愛国者で裏で日本売り飛ばす」男と見ていたようです。
敵の敵は味方で、三木さんの親衛隊長になり「佐藤体制に風穴を!」と考えます。
ポイントは共産党です。この時、使者となって宮本顕治の元に行ったのが評論家三宅久之です。
評論家佐高信によると三宅さんは「宮本さんを恫喝した凄腕政治記者」なのです。
三宅さんは河野一郎の番記者だったので健三さん洋平さんとも仲良かったのです。
三宅さんは「健三さんも負けたら殺される。三木さんも負けたら全員打ち首だ…」と語ります。
評論家久保紘之は「三宅さんは妖気が出ていて怖かった」と回顧しています。
三宅さんは宮本さんに「ここでいつものように中立だったら利敵行為と見なす」と説得(恫喝)します。結果共産党の票まで含めて河野健三の勝利となります。
これがいわゆる「重宗降ろし」です。マスコミは大喝采をしました。
三木さんは三宅さんを料亭に招いて「僕は負け戦ばかりだったが君のおかげで初めて勝てた」と高級時計を送ります。
政治記者は永田町の中枢で工作員や忍者のように動き回る物なのです。
健三さんは福田赳夫擁立派です。外務大臣で、しかも病気入院中です。田中角栄は、通産大臣です。
「こういう動きをしたら佐藤派の番頭の角栄は動かないだろう」三木さんはこう考えました。
三木さんが田中さんと密会して動かないように頼むことはあり得ませんが、「重宗降ろし」は共通利害なので動かないという定石を読んだのです。
実際、共産党まで動いたことを見た瞬間、角栄さんは「自分は通産大臣なので動きません」と佐藤さんに断って静観を決め込みます。
 健三さんは後の田中内閣三木内閣で時の首相と密接な連携を取り、見かけ上は7:3で野党の言うことを聞くふりをしていました。
田中角栄が真っ先に退陣の意向を伝えたのが河野健三です。健三さんはその直後、真っ先に行ったのはトイレ掃除です。
「トイレの乱れは心の乱れ。国会の便所掃除を真っ先にやりましょう」。石原さんはあきれて徐々に離れていきます。
 三木さんと石原さんは昭和50年まで蜜月が続きます。三木さんと石原さんは佐藤体制を崩すために共産党とまで手を組んで命がけで戦った同志なのです。
三木さんも石原さんのような当時青嵐会を血判状を取ってまでして結成した右翼タカ派と呼ばれた人と平気で手を組めるのです。
方や河野洋平というリベラルとも手を組めます。こんな事のできるのは三木さんと竹下登だけです。
 この「重宗降ろし」は昭和47年三角大福の布石となっていきます。
福田赳夫は自分の地盤が切り崩されつつあるのに大蔵省さえ味方に付けておけば大丈夫と高をくくっています。
その隙に角栄さんは大蔵省に私兵をどんどん送り込み、相澤英之、高木文雄などを育てていきます。
また、参議も河野健三と仲が良く、福田さんの気づかないうちにどんどん権力地盤を固めていきます。

☆お知らせ
営業日の午後12時~午後4時は、手術、治療業務のため留守番電話にしている場合があります。
3月の予定
春の健康診断を再開します。対象は全ての健康と思われるワンちゃん猫ちゃんです。
春は血液検査を中心に徹底的に、検便と尿検査を組み合わせていきます(容器を差し上げます)。(秋は画像診断を中心に・・・)
費用1頭5000円です。ご予約ください。
期間:3月18日(月)~30日(土)





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