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三木武夫に学ぶ政治の定石ⅩⅡ

2013年03月03日 | 歴史
佐藤内閣の最大の政治課題は沖縄です。
日本はサ条約で独立回復しながらも沖縄は米軍に占領されたまま、軍政下で通貨もドルでした。沖縄だけが見捨てられた状態だったのです。
佐藤総理は「沖縄が復帰するまで日本の戦後は終わらない」と発言します。沖縄をどういった条件で復帰させるかという交渉の担当大臣が三木武夫でした。
岸信介「安保反対の男を外務大臣にするなんて栄作は人事が下手だ」と怒りまくっていたそうです。
ここで三木さんを出すというのは岸佐藤内閣のタカ派イメージからハト派を出すことになります。平和憲法9条大好き人間にも媚びを売れます。
「私は平和主義者、戦争に負けた責任を取らないヤツらとは違う」この言葉の裏にナショナリストを刺激する「負けた責任」というタームを忍び込ませられるのです。
とうとう反米ナショナリズムを表明し出します。
沖縄人に取ってみれば「アメリカ人のような得体の知れない人に占領され、何で自分たちだけが…」という点に関して日本人だったら攻められません。
そこに訴えかけて政争の具にするのです。三木さんのすごいところは政争の具は常に政策です。時の内閣の政治命題を常に政争の具にするのです。
唯一仲のよかった池田さんの時の高度成長にはだけは楯突くことはありませんでした。左に媚びて反体制的なことを言いながら実はナショナリズムを刺激します。
絶対反論できない正論を言いつつ、不可能なことも承知で落としどころを考えます。
「核抜き本土並み」、アメリカは核兵器を持ち込むなと言っても日本の防衛を任している以上そんな意見は通りません。
本土並みと言っても本土でさえ米軍が駐留しているのに沖縄から出て行けなんて地政学上ありえません。それが解った上で三木さんはあえて「出て行け」なのです。
これを条件闘争の具にします。正論も全て武器とします。ここが岸さんには許せませんでした。佐藤さんと三木さんは徹底的に対立します。
佐藤さんは自民党総裁選で4回選出されますが、2回目までは三木さんは蜜月で協力的でした。年末に山口名物の河豚を料亭でつつく仲でした。
ところが自分のところに政権が来るかと思ったら佐藤さんは福田さん田中さんを重用して自分を大蔵大臣にしません。幹事長も最初だけで、その後外しました。
「自分の芽はないじゃないか…」。佐藤さんの3回目、めぼしい的は三木さんだけです。三木さんは所詮40人の小派閥で、異を唱えるのは三木さんだけです。
三木さんは絶対勝てません。池田さんの側近前尾繁三郎が派閥を継いでいたので三木さんは3位だろうと思われていました。
佐藤さんは以前「池田が3回もやるのは許せない」と言いながら、自分が3回目を言い出します。
「何の言い訳も無く総理大臣が前言をひっくり返すのは許せない。ここで立たねば男じゃ無い。男は一回勝負する」三木さんは大見得を切ります。
日中記者協定の松村謙三と組んでいた古井喜実という売国奴政治家ですらその男気に泣き出します。
「勝てるわけない戦いでも戦うから明日の勝利に繋がるのだ」と言う一方で生命維持装置はしっかり守っているのが三木さんです。
この時点で経団連をしっかり味方に付けています。石坂泰三、あんパンが大好きであんパン会長と言われた経団連会長です。
三木さんは社会主義者と思われながらも意外に財界人に受けが良いのです。石坂さんは三木さんの支援者で応援演説をやってくれました。
マスコミの前では「死を覚悟した戦い」と言いながら、大政翼賛会の時の頭山満と同様に、生命保険だけはかけておきます。敵の背後に巨大な布石を忘れません。
また三木さんは反官僚のイメージがありますが、官僚機構全体を敵に回すことはしません。個々の官僚には愛国者もまじめな人もいます。
「官僚が悪いのではない。官僚的な政治、官僚手法が悪いのだ」
「官僚が徒党を組んで自民党の保守本流と組んで悪い事を企むのだ。政財界とトライアングルを組んで悪い事をするのだ。財界そのものが悪いわけでは無い」。
三木さんはこの総裁選で予想に反して107票2位になります。
その後2年間干されますが佐藤さん4回目の時、前尾さんはとうとう降りてしまいます。「佐藤さんにはかなわない。内閣改造してくれたら降ります」と密約を結びます。
その後は三木さん1人で戦うことになります。その結果111票で前回より票を増やしました。70くらいが関の山と思われていたのに40も多く取って男を上げました。
三木さんは「男は何度でも勝負する」と吟じてみせます。前尾さんの立場は悪くなります。
この時の「内閣改造するなら総裁選辞退します」と最近の自民党谷垣さん「解散してくれるなら増税賛成します」はよく似ています。
池田勇人以降この派閥の長はこんな人ばかりになってしまいました。
加藤紘一が出てくるまでは前尾繁三郎は「史上最低のへたれ派閥領袖」といわれており、
この時にあまりの戦う気力の無さに大平さんにクーデターで派閥を乗っ取られてしまいました。
 へたれの伝統は現在では、加藤紘一、さらに今、谷垣さんがそれに取って代わろうとしています。
全て宏池会という派閥の人達で、池田さん以降の宏池会はどうしようもない会派となりました。
 負ける戦いを恐れない、冷や飯食らいを恐れない。裏では手を回す。資金集め苦しい中で「子分を食わせる」といったことは河本敏夫がやってくれました。
しかし河本さんの入閣はなく、きれい事を言いながら河本さんの出世の遅れは厭わないのです。ただ、戦うべき時に戦っていることは大変大きいことです。
 この時総裁選で負けた三木さんは自民党内で展望を失って新党を考えていたそうです。
政治学者升味準之輔の所に「新党の起草文を書いてくれ」と言う依頼が来たそうです。結局これは立ち消えになりました。
その時の三木さんは憲政史のことはよく分かっていなくて、「板垣退助の自由党以来の理念の継承者だという事を書いてくれ」。
板垣がどれほどのろくでなしか知っているか」と何回レクチャーしても三木さんは分からなかったそうです。
 三木さんはこの絶体絶命の時に反撃の機をうかがっていて、ここから2年間の戦いが始まります。まず目を付けたのが参議院です。
佐藤さんの権力基盤は実は参議院にあります。田中さんが佐藤派を乗っ取るときも衆議院で勝てなくても参議院を乗っ取れば勝ちだと判断していました。
参議院の方が天王山でした。日本国憲法の制度上参議院を抑えた者が日本を征するのです。佐藤栄作、田中角栄、竹下登の3人は10年権力を握りました。
その理由は参議院を抑えていたからです。その参議院に狙いを定め、佐藤内閣を倒し自分の内閣を作るときの基盤を作りに懸かるのです。

☆お知らせ
営業日の午後12時~午後4時は、手術、治療業務のため留守番電話にしている場合があります。
3月の予定
春の健康診断を再開します。対象は全ての健康と思われるワンちゃん猫ちゃんです。
春は血液検査を中心に徹底的に、検便と尿検査を組み合わせていきます(容器を差し上げます)。(秋は画像診断を中心に・・・)
費用1頭5000円です。ご予約ください。
期間:3月18日(月)~30日(土)





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