まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

恵比寿屋と上野宝丹-建築とくすりの二都物語

2013-01-20 21:44:48 | 講義・レクチャー Lecture

P1170322

「寒だら」祭りでにぎわう銀座商店街の旧小池薬局恵比寿屋ビルで、「恵比寿屋と上野宝丹」というタイトルでお話しました。昭和初期に出来た恵比寿屋本店ビルにまつわる2つのエピソードの紹介です。

下の写真は竣工当時の旧恵比寿屋本店ビル外観と建築主の2代目小池藤治郎氏です。春日儀夫編集『目で見る鶴岡百年別館』ヱビスヤ書店1981P116からの引用させていただきます。

P1170331

    

エピソードの一つに関する國井さん(公益総合研究センターの研究員)の流麗な朗読(漱石、鴎外)も聞いていただきました。
    

また、建物の魅力を引き出す高橋政知さんの美しい写真展も大勢の市民の方々に、好評でした。
    

ビルを所有されている青柳様や鶴岡食文化産業創造センターの方々をはじめ多くの方々のご尽力でとても盛況なイベントとなったと思います。このイベントが活用に向けての一歩となることを願っています。

P1170318

(準備中の風景です。立ち見の方もいらっしゃいました)

    

私は次のような内容をパワーポイントを使用してお話しました。

PDFは次の項をクリックしてください。

「0429doc.pdf」をダウンロード

 

 

恵比寿ビルと守田宝丹-建築と薬の二都物語

2012.01.20
高谷時彦 

はじめに:歴史的建築を愉しむ
ー饒舌な(Narrative)建築の魅力ー


 今日は旧恵比寿屋ビルの魅力をより深く味わっていただくために、この建物に関わるエピソードを2つお話ししたいと思います。

 この建物(旧恵比寿屋ビル)の中に入られ、どうお感じになりましたか。“素晴らしい”とか“懐かしい”とかいろいろな感想をもたれたと思います。絵画や映画でも、あるいは人についてもそうかもしれませんが、そのものを多面的により深く知ると、更に味わう楽しさが増えてきます。そういった意味で今日はこの旧恵比寿ビルをより楽しく体験するための2つのエピソードをお話させていただきます。  

 この旧恵比寿屋ビルは昭和初期に建っており、その時代の精神、雰囲気、趣味といったものの塊といっていい建物です。1つ目のエピソードはこの建物がそういった時代の精神といったものと深く関わることを通して日本のみならず世界と繋がっていたというお話です。

 2つ目は旧恵比寿屋ビルは薬局として使われ、そのときに販売していた宝丹という薬を通して東京の上野池之端にある守田治兵衛とつながっていたという話になります。

 私も、今日のお話のために、今までよりも少し踏み込んでこの建物のことを考えて見ました。しかし、さらに分からないこと、疑問に思うことも出てきています。これから、さらに多く、深く知ることでこの建物も私たちにより多くのことを語りかけてくれるようになるのではないかと考えています。


1.旧恵比寿屋ビルと特徴

(1)旧恵比寿屋ビル(小池薬局)は1935年竣工、施主は2代目小池藤治郎

 鶴岡で発行された文献をいくつかあたったところ、この建物は1935年の竣工と書かれています。旧恵比寿屋ビルは米沢出身の小池藤治郎さんという方が、商売に成功した鶴岡で建てたものです。残念ながら設計者は分かりません。当時は薬だけでなく雑貨など幅広く扱っていたようです。



 この当時、鶴岡には、東北水力電気や土地改良区の建物など鉄筋コンクリート造は数えるほどしかなく、旧恵比寿屋ビルもその数少ない鉄筋コンクリート造でした。

(2)控えめなアールデコ

 建物の特徴としてはまずアールデコのデザイン・スタイルが挙げられます。アールデコというのは1920年代前後に世界的に流行した建築のスタイルです。少し解説します。

 外壁を見ると、窓が縦長です。この点においては明治時代の銀行や公会堂などに見られる歴史的様式を踏襲しています。とはいうものの、恵比寿屋ビルは明治時代の日本銀行のようないろいろな約束事に基づいた重厚な歴史主義の建物とは異なる雰囲気になっています。全体としては自由でモダンな造形という印象を受けると思います。

 アールデコの建物は歴史様式の建物と比べると装飾的な要素が少なく、部分的な装飾にとどまっています。例えば、恵比寿屋ビルの軒のコーニスには浮き彫り模様のレリーフがあります。また、2階と3階の窓の間の壁面には段々に面が落ちるような装飾を施しています。こういった部分的な装飾がアールデコの大きな特徴です。

 以上は外観についてですが、恵比寿屋ビルの室内はどうなっているかといえば、あまり典型的なアールデコの特徴は見られません。柱の上部には凹凸の装飾がわずかについているぐらいでしょうか。東京には徹底的にアールデコのデザインを取り入れた建物がありますが、恵比寿屋ビルは鶴岡の方々と同じく大変控えめなアールデコになっています。
 

(3)昭和初期建築としての特徴

 もちろん、恵比寿屋ビルはアールデコだけでなく、昭和初期に流行したと思われる他の要素ももっています。

 その1つがガラスブロックです。床にガラスブロックを使って階下の部屋に光が落ちるようにしています。この時代のガラスブロックは弁当箱状のふたつの部材をあわせて作る溶着工法ではないので中空がありません。ムクのガラスの塊です。有名なオットーワーグナーの郵便局(1906)の床もムクのガラスブロックのはずです。

 2つ目としては南側通路の入口にステンドグラスを使っていることです。これは大正から昭和初期に流行したもので、こちらも鶴岡らしく、派手さのない控えめなデザインですが鉛の枠にガラスがはめ込まれた正統なステンドグラスです。

 そして3つ目は、「和館+洋館」という住まいの形です。残念ながら、数年前に旧恵比寿屋ビルの後ろにあった和館は取り壊されました。かなり古いものであったようです。つまり表に洋風の店舗があり、裏に和風の住まいがあるという、表と裏、あるいは建前と本音で洋と和の使い分けをしたつくりです。これも時代を反映しています。

 

 以上のことから、この恵比寿屋ビルは昭和初期を代表する建物だといえます。繰り返しになりますが、恵比寿屋ビルはアールデコであるという大きな特徴に加え、昭和初期の建物に共通する特徴も併せもっているということです。


2.アールデコ建築とは


(1)アールデコの華:マンハッタンの摩天楼


 さて次に、少し詳しくアールデコのお話をしたいと思います。アールデコを通して旧恵比寿屋が当時の時代と、そして世界と繋がっていたというお話です。

典型はN.Yマンハッタンのスカイスクレーパー

 恵比寿屋ビルは控えめなアールデコであるといいましたが、アールデコの典型はニューヨークマンハッタンの超高層ビルに見ることが出来ます。中でも典型としてクライスラービルがあります。このビルはアールデコの特徴を全てもっています。とてもファンタスティックで目を引かれます。忘れられない印象を残す建物です。

 

表層への関心

 さて、一言でアールデコとは何かといえば表層のデザインということになります。現代建築では機能や用途、あるいは構造方式を外部にも素直に現すことが普通です。例えばホールという機能を持った大空間が中にある場合には、それが外観にも現れるのです。内部の使い方や構造形式を外においても表すというのが現代的なデザインのやり方なのです。

 しかし、アールデコの場合、機能の直接的な表現というところに設計者の関心はありません。建物としては鉄筋コンクリート造のごくオーソドックスなフレームをもっていて、その表面に何かを貼りつけていきそこに装飾するというのがアールデコの普通のやり方です。ご覧ください、恵比寿屋ビルでは柱の下部にコンクリート剥き出しになっている箇所があります。コンクリートに薄く装飾のための層(モルタルです)を塗りつけていたのが剥がれています。コンクリートに付加した薄い部分で装飾をしているのです。その表面の装飾が剥がれてしまった跡です。コンクリートという構造をそのまま表現するのではありません。

ジグザグ、放射状の模様

 また、アールデコの特徴として南米のマヤ神殿にあるようなジグザグの模様、あるいは放射状の模様を使うということがあり、このような幾何学的な模様を細部に施しています。クライスラービルにもその特徴がよく表れていますし、同じくマンハッタンにある261ビルでは、壁などの表面に貼りつけるような装飾を見ることができ、全体よりも部分に関心があることがよくわかると思います。

工業化、大衆の時代

 アールデコが流行した1920年代は工業化の時代です。都市に住むようになった庶民が本格的に工業製品を使い始めました。その象徴として金属的な素材もたくさん使っています。こうしたアールデコの造形は何も建物に限ったものではなく、例えば、ニューヨークでは街路樹の植え込みに用いている金属板のカバー表面にアールデコのデザインを見ることができます。また、手すりにも放射状のデザインを使っているところがあります。


 さらに、グラフィックの世界ですが、この『メトロポリス』という1920年代の映画ポスターにも放射状への嗜好がよく表れています。これは時代の精神といってもいいかもしれません。

 

スクラッチタイル

 もう1つ特徴を付け加えると、タイルを用いるということがあります。建築史の泰斗のお書きになった本を読むと、「昭和初期に作られたビルで、タイルやテラコッタを外壁に使うのはたいていアールデコがかっているといってもいいほど」(藤森1993)という記述や、「日本にはアールデコ的な感覚をもつ建物が多い。昭和初期に盛んに建てられた鉄筋コンクリート造にタイルを張った建物、とくに表面に縦溝のあるスクラッチタイルを張った建物は、みなアールデコといってもそれほど間違いではない」(吉田2005:p132)という見解が見られます。


(2)アールデコ建築の位置づけ


 では、アールデコは建築界あるいは建築史ではどう位置づけられているのでしょうか。またどう評価されるものなのか、建築史家の本を頼りにそのあたりを次にご紹介したいと思います。

過渡期の流行建築

 20世紀初期はまさに建築のスタイルにとってクラッシックからモダンへと移る過渡期でありました。建築史家の吉田によるとアールデコは「幾何学的に単純化されたクラシックの要素を受け継ぎつつ、様々な近代運動の成果と近代の技術所産を採り入れ、さらに独特の細部の造形をつけくわえたもの」(吉田2005)であり、藤森によるとモダンデザインの傾向が「曲線的なアールヌーヴォーから始まり、1910年代以後、全体構成と細部の両方においいて直線化、幾何学化の道を突き進む」(藤森1993)、その影響を細部で受けたのがアールデコの系統ということになります。

 
 また、アールデコは1925年のアールデコ展をピークとして世界的に流行した「ひとつの装飾様式」(藤森1993)です。鶴岡にあり、東京にもニューヨークにもパリにもあります。

 


意識的な運動の結果ではないではない時代の気分を表現、大衆の建築


 では、その時代に何か思想や理念に基づいてアールデコが流行したのでしょうか。
そうではありませんでした。歴史家によるとアールデコは意識的な運動ではなく、時代の雰囲気として生まれてきた大衆の建築として位置づけられています。

 「アールデコのモダンさは主義主張としてのモダンではなく結果としてのモダンであり、装飾的細部を伴ったモダンだ」(吉田2005)ということであり、「工業製品を使って幾何学化した装飾を作ることはそれまでの手作りの歴史様式にくらべてはるかにたやすく、経済効率を求めるビジネス街の貸しビルや町場の中小ビルに広がらないわけはなかった」(藤森1993)ということです。理念先行の多くの建築運動とは異なり、大衆好みの装飾がスタイルとなったと理解しても良いのではないでしょうか。


アールデコの持つ中途半端さ


 アールデコは理念ではなく、時代の気分や大衆の好みによって造形が発展し、時代にぴったり合致したものとして生まれました。建物にコンセプトがないためか造形に関しても中途半端だといわれることもあります。

 建築写真家の下村はアールデコとされている建物でもモダン建築的意匠と共存していることを指摘しています(下村純一1984)。確かに写真を見るとカーテンウォールなのに幾何学的な表層性を強調していないことや、アールのコーナーは面の構成になりえていない中途半端さを示しています。

 アールデコが中途半端だといわれている理由ではないかと思えることがもう1つあります。普通に考えると、クラシックな様式建築があり、過渡期のアールデコがあり、その次にモダンへという流れになりそうです。しかし、歴史とは不思議なもので、過渡期であるはずの1935年竣工恵比寿屋ビルより早く、実は既にモダンな建物のスタイルは確立されています。

 例えば、チューゲンハット邸(1928~29年設計、1930年竣工、チェコ)があります。このように時代に先んずる前衛的な建築家は面と線と点という幾何学だけで建物をつくるモダン建築を1920年代に生みだしていました。まったく装飾のない幾何学的な壁と、床、天井があるというシンプルな構成のモダンデザインは完成しているのです。

 ちなみにシュレーダー1924、サボア邸1931、バルセロナパビリオン1929も旧恵比寿屋以前に完成しています。フロントランナーにとって昭和初期はモダニズムの完成期であったのです。

 当時の建築界はクラシックな様式建築でいくべきか、モダンデザインでいくべきかでゆれていました。そして、銀行はクラシックなスタイルでなんとかできないかという方向に、一方で、駅や工場など時代の精神を反映するものはモダンの方向でつくられるという傾向となります。それに対して、アールデコは少し中途半端な位置取りになります。

 歴史家には造形についても「アールデコはちゃんとした歴史主義から見ると、いい加減に崩れた深みのない形に過ぎないし、純粋なモダンデザインとくらべると幾何学化といっても透明感が低く、何かにごって見える」というように低い評価(藤森1993)をされてしまいます。

大衆の建築として評価したい

 
 旧恵比寿屋ビルが出来た当時、立派な建物といえば役所とか銀行などのクラシックな建物でした。大衆の時代にふさわしい形を与えたのがアールデコであり、その分、時代の気分を素直に今に伝えてくれるものです。歴史家の評価も建築史上のあいまいな立ち位置や無原則で造形上のピュアーさに欠ける点を指摘するものではありますが、決して今に残るアールデコ建築の価値を低く評価するという趣旨ではないと思います。

 大衆の時代に生まれたビアホールや映画館、民間の店舗ビルなどに形を与えたという意味では、大正デモクラシーを経て訪れた都市民、大衆の時代を饒舌に語ってくれる存在であることに着目したいものです。


アールヌーヴォー、フランクロイドライト


 ここで少々余談です。

 19世紀末から20世紀初頭にかけて様式建築からモダンに移る途中にアールヌーヴォー、英語でいうとニューアートという、歴史主義の約束事を完全に打ち破った自由な造形が生まれています。これはアールデコと言葉は似ていますが、まったく別物です。アールヌーヴォーは花や植物などの有機的なモチーフや曲線を組み合わせて使いますが、アールデコは金属や鉱物などの無機的素材を用いたり凸凹や放射線を使う造形になっています。


 
 また20世紀建築の巨匠の一人であり、日本でも帝国ホテルを設計したフランクロイドライトの建築には、部分に関心が向かっている、凹凸のスタイルがある、マヤの遺跡を想像させるといった要素があるため、アールデコだという人もいれば、いやとんでもないという人もいて評価が分かれています。

 藤森はライトは表現派でありモダンデザインの系譜に位置づけています(藤森1993)。一方吉田は細部意匠へのこだわりや装飾的な細部からモダニズムとは別の立ち位置をあたえ、「ライトはアールデコのパイオニア」という立場です(吉田2005)。

 ライトは1910年の作品集でヨーロッパで高く評価されますが、「ライトの二十世紀初頭の作品がヨーロッパにおけるアールデコの形成に大きく関わっている」、「アールデコの造形的要素の主要な部分は、放射線モチーフと人造モチーフのレリーフを除いてすべて盛り込まれている」と見ています。

 私も初期の作品であるユニティテンプルなどを見る限り、アールデコと共通する要素が大変多いという実感を持っています。


3.昭和初期という時代

(1)日本の1920,30年代


 ここからは、アールデコを通して、その時代を考えてみたいのですが、恵比寿屋ビルができた頃というのはいったいどのような時代だったのでしょうか。まずその辺りから振り返ってみます。

 1920年、30年代は第一次世界大戦のあとの好景気から昭和の大不況に向かっていく時代です。時代の暗い面としては日露戦争、関東大震災、世界恐慌、満州事変、日華事変などが起きています。

 一方、少し違う視点で見ると1919年に都市計画法、市街地建築物法ができています。これは、まちなかに人々が集まって生活するということが定着したことに対応した出来事です。都市に人が集まり、都市的な文化が生まれるという土台が1920年代にできたことを示します。

 帝国ホテル(1922)ができたのもその頃です。他にも丸ビル(1923)、宝塚劇場(1924)ができています。大量にサラリーマンが生まれ、都市に大衆というものが生まれました。1925年には普通選挙法ができ、同じ頃鶴岡では大宝館の一部を図書館として使っていましたが、それでは足りなくなり独立の図書館ができています。円本が発行され大衆が普通に本を読める時代の始まりです。1934年には満州では満州鉄道の満州アジア号、暁の超特急が走り出し、時代の変化が大衆にも見えました。アジア号のデザインはアールデコです。そういった時代のデザインがアールデコです。


(2)日本の建築界の状況



 日本は明治に入ってヨーロッパの様式建築を習得し始めました。最初は鶴岡の高橋兼吉の擬洋風にように大工さんの手になりましたが次第に帝国大学卒の建築家がその中心となりました。

 そして、日本が漸く様式建築を自己のものにしようとした頃、つまり20世紀を迎える頃、既にヨーロッパの一部ではモダンの時代に入っていました。日本人のなかにもヨーロッパの最先端のモダンを学びに行った人もいました。ちょうど世紀の変わり目の頃、銀行などの建築は従来のクラシックな、重厚なスタイルをとりながら、一方でまちなかにはそれとは違う形式の新しさを表現するスタイルも表れています。アールデコもその一部として位置づけられます。

 実は日本の建築状況には複雑な面があり、官がつくっている流れ、民の大資本がつくっている流れ、庶民がつくっている流れなどいろいろな流れがあります。また日本の伝統よりもヨーロッパの様式建築を優れたものとする建築観も、日清、日露戦争を経て微妙に変化します。非常に複線的な流れがあるということを押さえておく必要がありますが私には詳細をお話しする能力も時間もありません。


(3)日本と世界の同時性:時代と大衆のテイスト


 不十分ながら1920年代が多様な時代であったことをお伝えしましたが、庶民、大衆の建築に何が求められていたのかということは、例えば、庶民の娯楽である映画、つまり映画館の建物を見るとよくわかるのではないかと思います。

 同じ時期に建てられた米国・シカゴ近郊のLAKE Theater(1936)と日本・東京のシネマパレスという2つの映画館を見比べます。非常によく似ています。距離的には何千キロ離れているかわかりませんし、まったく関係がないわけですが、なぜか通じ合う面があります。またいつ出来たものか知りませんが、数年前の大雪で倒壊した鶴岡スカラ座と新東京映画館に共通のにおいを感じることは難しくないでしょう。


 大衆が都市に登場した時代、官庁や銀行の建物とは違って映画館にはその大衆の好みがストレートに表れているのではないでしょうか。  


 さて、この日本・東京の映画館はシネマパレスという映画館なのですが、このスクリーン回りと京都にある旧・毎日新聞社京都支局(1928)の内部も非常によく似通っています。このように国外、国内を問わずいろいろなところに大衆の好んだデザインが広がったのではないかということがわかります。



 映画館はその典型ですが、もちろん他の建物の部分においても好みがよく表れています。旧・毎日新聞社京都支局にはギザギザの放射状の模様がついており、このような放射状の模様や八角形はアールデコの特徴です。実はこのビルをつくったのは武田五一さんという著名な建築家で銀行建築なども手がけている人ですが、時代の波に合わせてアールデコも設計している点は特筆すべきでしょう。

 

 他の事例を見ます。1929年、関東大震災の復興で建てられた東京の常盤小学校の庇部分を見ると段々になっており、旧・毎日新聞社京都支局とは部分の造形がよく似ています。小学校ですから、本来はモダンでつくってもよかったのかもしれませんが、やはり時代の雰囲気でアールデコのスタイルを採用しています。

 
 さて、次の写真です。恵比寿屋ビルと非常によく似ています。これは20年代、30年代の雰囲気を日本中、あるいは世界中の庶民が共有していた証だと思います。もちろん、恵比寿屋ビルの小池藤治郎さんは大変なお金持ちで庶民とはいえないかもしれませんが、少なくとも官庁建築、銀行建築ではない系譜として好みが共通していたということは確かだと思います。こうした建物を見ると当時にまちなかで流行していたスタイルを想像することができます。

 しかし、この時代にあっても銀行や生命保険の建築はまったく違うスタイルであり、例えば、東京日本橋の三井本館(1929)は新しさはあるものの基本的にはクラシックな様式建築です。柱があり、その上部に飾りがあり、横に材が走っているという形の構成になっています。




 先ほどの常盤小学校に関わったといわれている岡田信一郎は同時期に様式建築に連なる明治生命館1934(アメリカンボザール)を建てています。また、同時代、庶民ではない、上流階級の建築を見ると前田侯爵邸(チューダーゴシック)などの様式主義の洋館も建てられています。つまり、庶民ではない人たちは違う建築をつくっていましたが、庶民においては時代の雰囲気を共有していたといってもよいのではないでしょうか。


4.旧恵比寿屋ビルと守田宝丹


(1)恵比寿薬局が販売した守田宝丹
 

 ここからはエピソード2に入ります。恵比寿屋ビルと守田宝丹に焦点を当てていきます。

 恵比寿屋ビルの2階テラスを見ると、大変立派な看板が付いています。この看板は恵比寿屋ビルができる前の木造の町家だった時代からあり、恐らく旧恵比寿屋ビルを新築する際に付け替えたのだと思います。

 看板の字を読むと、「守田宝丹」とあります。この宝丹とは何かというと、江戸時代末期にできた薬で万能薬です。効能としては胃腸薬となっています。明治時代に薬の規制ができ、官許第一号となった薬で、当時家庭の常備薬として広く普及しました。

 看板を詳しく見ると「起死回生 東京池之端 守田治兵衛商店 小池藤治郎」と書いてあります。この特約店の看板を通して、鶴岡の恵比寿屋ビルが上野池之端の旧守田宝丹ビルにつながっていきます。

 ではなぜその宝丹の看板が付いているのかというと、大正から昭和にかけて小池薬局が宝丹を売ったからです。当時こうした看板を宝丹の特約店に配っていたようです。他にも同じ内容が書かれた室内用の看板があり、今は致道博物館に展示してあります。

当時は、全国でも5番目で東北一の売り上げを誇ったそうです。そのおかけで恵比寿屋ビルを建てることができたのかもしれません。

 私は数年前に御当主である小池藤子さんから上記の守田宝丹とのつながりやの屋内看板(屋外看板については聞きそびれてしまいました)の話を伺い、上野の守田宝丹本舗を訪ねたこともあると聞いて大変驚きました。何故なら、上野の新守田宝丹ビルを設計したのは私
だったのです。

(2)江戸の老舗 上野池之端守田宝丹

 守田宝丹は上の池之端に延宝8年(1680)創業しました。当主は代々守田治兵衛を名乗ります。宝丹は1862年にボードウィン博士の指導のもと誕生し、先述したように1870年売薬取締規制 官薬第一号となります。その後西南戦争、日清、日露戦争で戦地の携行薬となり、大成長を遂げます

 江戸でも一番の老舗である宝丹は歌舞伎にも出てきますし、漱石の『吾輩は猫である』、 森鴎外の『雁』や坪内逍遥の『当世書生気質』にも登場します。

 今日は宝丹の出てくるくだりを國井研究員に朗読してもらいます。


*******************

朗読
東北公益文科大学公益総合研究センター学外研究員、國井美保による朗読:夏目漱石『我輩は猫である』、森鴎外『雁』の一節

*******************  


(3)時代を共有する旧恵比寿屋ビルと旧守田宝丹ビル

 國井さん有難うございました。折角、皆さんがうっとり聞いておられたのに、また建物の話に戻させていただくのは心苦しい限りです。

 守田治兵衛氏は旧恵比寿屋が建て替えられるほんの少し前(1928着工)にやはり木造の町家をアールデコのビルに建て替えています。設計は鹿野昌夫です。残念ながら建物は現存しません。

 私は20余前に、ある人に紹介されて敷地を見に行きました。その時点ですでに銀行などが絡んだ建て替え計画のスキームは出来ていましたが、紹介者の尽力もあり、ビアホールなどで活用する可能性を検討しました。しかし、費用の面での大きな壁があり、既定路線どおり建て替えることにしました。

 旧守田宝丹ビルの外観は、最初にアールデコの特徴としてお話ししたように、窓は縦長になっていて、スクラッチタイルを使っており、部分的なところに装飾が偏っています。全体として見るとモダンといえなくもないのですが、どことなくクラシックな雰囲気もあります。毎日グラフでの取材の折、建築史家の藤森氏は、「遅れてきたアールデコ」と鑑定しています。

 旧守田宝丹ビルと旧恵比寿屋ビルは外観だけでなく内部にもついても非常によく似た雰囲気をもっていたのではないかと思います。例えば、旧恵比寿ビルの1階の通路につながる扉はアーチ型で、宝丹ビルにも同じようなアーチがあります。これはこの時代に流行していたものです。

 宝丹ビルは店内の入口付近に商品の陳列スペースがあり、奥に仕切られた調剤室があります。旧恵比寿屋ビルも調剤薬局なので同じように奥に調剤室があり、恐らく仕切りの一部にはステンドグラスを使っていたはずです。なお、宝丹ビルではきちんとステンドグラスの写真や図面などの記録を残しています。

 また、行方はわからないものの当時の旧恵比寿屋ビルには立派な薬棚があったそうです。宝丹ビルにもやはり素晴らしい薬棚がありました。こちらは再生して家族の方の部屋で今も使われています。宝丹の新しい建物ではまったく以前の形を消し去るのではなく、いろいろな形で記憶を継承する試みをしています。

 私は、新装成った旧守田宝丹ビルを小池藤治郎氏が見ていたのではないかと勝手に創造しています。小池藤子さんもかつて池之端の守田宝丹を訪ねたことがあったとおっしゃっていました。売れに売れた宝丹の最新の本社ビルを小池藤治郎氏が見ていないというほうが不自然なような気がします。

 同時代のふたつの建物が薬宝丹を介して繋がっていることを想像することはまちの中の物語を一つ読み解くようで、大変愉しいものです。

 エピソード2は以上です。




5.終わりに:愉しみそして使うことへ


(1)まちの中に時代のテイストを共有する建物を探す


鶴岡のアールデコ建築

 さて、私たちはなんとかこの旧恵比寿屋ビルを活用できないかといま考えています。そのためにもアールデコの建物が他に鶴岡にあるのかどうかを調べることも必要だと思っています。

 例えば、まちなかのアールデコとして、グリルみそのというお店がバラ園の前にありました。その建物では典型的なアールデコの特徴である青海波という模様を使っており、また、部分に放射状の模様がついていて、さらにスクラッチタイルを使うなど、教科書通りのアールデコでした。

 この他にも、数年前の大雪でつぶれてしまったスカラ座もアールデコであった可能性があります。実は私は波板で覆われてからのスカラ座しか見たことがないのではっきりとしたことが申し上げられませんが、覆いの下には典型的なアールデコのデザインが隠されていたのではないでしょうか。

 

 同時期につくられた山王の寛明堂・寛明堂写真館(木造2F1920+RC3F1934 設計荒武祐幸、施工長谷川為吉)もタイルを使っており、典型的なアールデコではないものの、時代の雰囲気を表していると思います。

 他に、内川の大泉橋の高欄の袂にある親柱が、凸凹、ギザギザ、ガタガタということで典型的なアールデコのデザインです。上のほうに装飾もついており、部分に関心があるということでアールデコの特徴をしっかりと備えています。

 なお、アールデコではないものの、ちょうど同じ時期の鶴岡の建築として山王のイチローヂ商店があります。こちらはアールデコではありませんが、通りに面している前方に洋の3階建てがあり、その後方に和の2階建てがあるという形は、恵比寿屋ビルと同じです。この形は先ほどお話ししたように昭和初期建築に特徴的なものです。  


東京のアールデコ建築



 現代においてもアールデコの作品は町中のあちこちに見ることが出来ます。また新築でもモーフとしてアールデコはよく使われます。例えば、ニューヨークの1920年代のGRAYBAR BUILDINGは、左右対称のデザイン、幾何学的にジグザグした模様、鉱物の結晶のような造形などの特徴があり、これを頭に入れてまちなかを眺め歩くとアールデコの建物をあちこちで見つけることができるはずです。



 現代の東京の銀座を歩くと、よくおわかりになると思います。これらの写真を見るとアールデコが今も生きているということがお分かりだと思います。機会がありましたらまち歩きをお試しください。きっと建築を愉しんでいただけると思います。アールデコは庶民の建築で、庶民が大事にしてきたテイストをいまでも受け継いでいます。

 

(2)まちの中で活かすこと

 最後に、同時代の建物としてうまく使っているものを1つだけご紹介したいと思います。それは先ほども少し登場した京都の旧毎日新聞京都支局です。今は1928ビルと呼ばれています。この1928ビルの入口に八角形の造形がありますが、実はこの恵比寿屋ビルの屋上にある煙突も八角形です。

 武田五一さんは日本のリーディングアーキテクトですが、同じことをしています。また、階段付近の開口部のフォルムがそっくりですし、床にモザイクタイルが貼られている点も恵比寿屋ビルと一緒です。

 そういうよく似た建物を京都ではどう使っているかというと、まず「毎日新聞京都支局」ではなく新たに「1928ビル」という名前を付けて市民に親しんでもらっています。アート系のオフィス、カフェ、ギャラリー、バーなどが入り、若い人を育てるためのインキュベーション・ショップの機能もあります。

 この扉などはガウディというかアールヌーヴォー(武田五一はアールヌーヴォーの名作も残しています)に近い形に改装がしていますが、細かいことはとやかく言う必要はないでしょう。地下のバーには若い人たちが集まっていて、やはり時代の雰囲気を愉しんでいます。恵比寿屋ビルの今後のご参考になればと思い、少しだけご紹介いたしました。  

 

 

 

 

参考文献

下村純一1984『モダニズムの壁―装飾から構成へ』グラフィックス社
東京都美術館他編集1988『1920年代・日本 展』朝日新聞社
藤森照信1993『日本の近代建築(下)-大正・昭和篇-』岩波新書309、岩波書店
藤森照信 初田亨 藤岡洋保編著1991『失われた帝都東京』柏書房
吉田鋼市2005『アール・デコの建築』中公新書1786、中央公論社
レム・コールハース1999 (鈴木圭介訳)『錯乱のニューヨーク』ちくま学芸文庫 筑摩書房
Edwards, Gregory.1988 FILM POSTER Tiger Books International, London
WEBSITE近代建築写真室@東京2013.Jan(1928年ビル写真をスライドで使用)
http://farwestto.exblog.jp/tags/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BA%94%E4%B8%80/

Latest news!

Ebisuya Building was designated as a registerd tangible cultural property of Japan yesterday.

I'm very happy to hear the news.

 

高谷時彦 建築・都市デザイン

設計計画高谷時彦事務所/東京文京区

東北公益文科大学大学院/山形県鶴岡市

Tokihiko Takatani  Architect/Professor

Graduate School of Tohoku Koeki University, Tsuruoka City Yamagata Pref.

Tokihiko Takatani and associates, Tokyo Japan

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿