まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

ルドフスキー 驚異の工匠たち

2018-01-08 20:08:17 | 建築・都市・あれこれ  Essay

ルドフスキー『驚異の工匠たち』を初めて通読しました。以前同じ著者の『建築家なしの建築』を読んだときは、モダニズム建築だけが優れているのではない、もう一つのバナキュラーな世界にもっと人間的で調和と面白さに満ちた建築やまち並みがあるということを思い知らされました。ルドフスキーのモダニズム建築や機能主義都市計画への批判は、そのほかの批判者(アレグサンダー、ヴェンチューリ、スターン、ジェイコブスなど)と同様に「看過できない鋭い視点」を提供していると思いました。その印象は変わらないのですが、今回、『驚異の工匠たち』を通読して改めて、バナキュラーな世界の奥深さ、空間の豊かさそのものに感嘆した次第です。ここまでくると、モダニズム批判というだけではなく、現代文明の在り方そのものが問われているような気がします。大量生産、分業社会、賃労働・・・生と死の分離・・・など、改めて現代社会を相対化してみる視点を与えてくれているのです。

(上の写真)上足文化が「中国から、つい最近までウィーンの門口まで達していた均等に至る地域に普及していた」とは知りませんでした。

 

また、日本の事例が数多くあることにも驚きました。人々の長年の工夫で作り上げられた風土建築や大地も含めた風景の重要性を論じる際には日本の街道集落が登場します。また四国の民家で(ハイスタイルとは違う)非対称の美しさを論じ、かまどやこたつ、しとみ戸などを用いながら「ささやかな部分の重要性」について語るといった体です。彼の関心は、建築や集落だけでなく副葬品までをカバーしていますが、群馬県出土の埴輪の住宅とイタリアBC7世紀の墓から出土した「湖上住居を模した骨壺」型の住居との類似性を見せられると「日本にしかない住居形式」「固有の建築形式」などと軽々とは言えないものだと改めて感じます。

ちょっと事例が多すぎて全く消化しきれていませんが、バナキュラーなものを正当に評価しつつ、一方では自分もその中にどっぷり浸ってきたモダニズム建築の行く末を改めて考えてみたくなる本でした。消化しきれないのは彼の文章の書き方(アイロニカルな表現、古今東西あらゆる文献からの引用・・・)にも原因があるかも分かりませんが、論文ではないので、こういう文章もいいですね。

ところどころに箴言もちりばめられています。

「手術は確かに成功したが、患者は死んだ」(確かジェイコブスも皮肉を込めて同様のことを言っていますね)、「文化とは伝達可能の知性であり遊戯はまさに文化の根幹である」・・・。Um, Um.

高谷時彦 記

We may call "The prodigious builders" (Harcourt Brace Jovanovich, 1977) written by Bernard Rudofsky a sequel to "Architecture without architect", that radically criticised the cocept of "Modern architecture" and "Modern city planning" , both based on so-called functionalism,  by showing a lot of pictures of beautiful vernacular buildings and villages.  We must humbly learn from "the vernacular".

Tokihiko Takatani 

Architect/Professor

Takatani Tokihiko and Associates, Architecture/Urban Design, Tokyo

Graduate School of Tohoku Koeki university ,Tsuruoka city, Yamagata

高谷時彦/建築家・都市デザイナー

設計計画高谷時彦事務所/東京都文京区千石4-37-4

東北公益文科大学大学院/山形県鶴岡市馬場町14-1