1泊3日で金沢能登を廻ってきた。旅行会社のツアー「寝台特急北陸号で行く金沢能登の旅」をネットで見つけたのが1か月前、3連休の時期なのに往復の交通費と一泊ホテル代(朝食あり)込みで23,000円とは何んとも安い。北陸とくとく切符だけでも21600円もするのにこれは破格の値段だ。思わず飛びついてしまった。
23時少し前数人の人がカメラを構えている中、上野駅18番線にブルートレイン北陸号が入線してきた。多分こうした光景が日々繰り返されているのだろう。
B寝台は荷物の置き場所も広く、多少の揺れはあるものの結構快適だった。所要時間7時間半の短さだったが熟睡できた。
着いたのは早朝6時半、嬉しいことに曇りの天気予報は外れ、晴れとなった。
駅前の鼓門。
早速レンタカー(ツアーのオプションで1日4000円と割引になった)で輪島まで足を伸ばした。
もう10時を廻っていたが、朝市はまだまだ大勢の観光客で賑わっている。われわれは見るだけ。
寒さを覚悟していったのだが、火が当たる所では思ったより暖かく途中からオーバーを脱いでしまった。
食料品、海産物、日用雑貨等に交じって輪島塗の高級品まで売っている。
売り場ごとに鑑札のようなものに場主の名が書いてある。そのほとんどが女性名だ。
イナチュウ美術館の前にも露店は出ている。拍手喝さいしたくなるほどの何という見事なアンバランスだろう。
朝市の通りの中には漫画家永井豪の記念館もある。これも周囲の雰囲気とは随分かけ離れている。
足湯の傍の塔
余りの人出に辟易して30分足らずで、白米の千枚田へ移動。
海に面した急斜面に切り開かれた田んぼは千枚を遥かにこえる。これでは作るのも維持するのも大変。今では田植えや稲刈り時には大勢のボランティアを募って、その活動で支えられているという。
能登半島西岸に移動して、いくつかの観光スポットを廻った。
松本清張の「零の焦点」の舞台となったヤセの断崖。先の能登地震で一部が崩落し、近寄れなくなったという。
義経伝説の残る「船隠し」
道の駅富来(とぎ)海海道という所で昼食にした。食後、すぐ近くに世界一長いベンチがあるというので寄ってみた。
長いベンチに沿って、大勢の人の手形が焼き付けられたタイルが延々とあった。
俵万智の歌碑「桜貝の 淡きピンクを 一身に 集めて立てり 浜の少女は」に触発され海岸に降りて、砂浜で暫く桜貝拾いに興じた。
ちょっと不似合いな岸壁の母の碑もあった。
この後、羽咋市にある宇宙科学博物館コスモアイル羽咋に寄った。UFOの飛来する町と知られる博物館に相応しく、建物全体が円盤型をしている。
特別館長にあの有名な擬似科学家矢追純一がなっているのが可笑しい。
羽咋からは海岸線のすぐ脇を通る千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイを走った。
黄昏時、少し色づいた日本海。浜辺には転々と越前クラゲの死体が打ち上げられていた。
なぎさドライブウェイ終点の宝達町にはモーゼパークというものがある。ここが今回の能登半島ドライブの最後の予定スポット。今年の春訪れた青森のキリストの墓と匹敵する位のいかがわしさ満載のB級スポットだ。残念ながら辿りついた時にはすっかり日が暮れていて、急ぎ足で回るほかなかった。
入口の看板。恐ろしいことにすぐ隣にはクマ出没注意の看板もある。
入口近くにあった3本の円柱、これが墓ということではないらしい。
10分ほど薄暗い山道を登っていくと石板があった。
この先幾つかの標識があったのだが、道が崩れて通行不能になっていた地点で引き返すことにした。10時間の能登半島半周ドライブを終えてホテルに戻ったのは6時半過ぎだった。
23時少し前数人の人がカメラを構えている中、上野駅18番線にブルートレイン北陸号が入線してきた。多分こうした光景が日々繰り返されているのだろう。
B寝台は荷物の置き場所も広く、多少の揺れはあるものの結構快適だった。所要時間7時間半の短さだったが熟睡できた。
着いたのは早朝6時半、嬉しいことに曇りの天気予報は外れ、晴れとなった。
駅前の鼓門。
早速レンタカー(ツアーのオプションで1日4000円と割引になった)で輪島まで足を伸ばした。
もう10時を廻っていたが、朝市はまだまだ大勢の観光客で賑わっている。われわれは見るだけ。
寒さを覚悟していったのだが、火が当たる所では思ったより暖かく途中からオーバーを脱いでしまった。
食料品、海産物、日用雑貨等に交じって輪島塗の高級品まで売っている。
売り場ごとに鑑札のようなものに場主の名が書いてある。そのほとんどが女性名だ。
イナチュウ美術館の前にも露店は出ている。拍手喝さいしたくなるほどの何という見事なアンバランスだろう。
朝市の通りの中には漫画家永井豪の記念館もある。これも周囲の雰囲気とは随分かけ離れている。
足湯の傍の塔
余りの人出に辟易して30分足らずで、白米の千枚田へ移動。
海に面した急斜面に切り開かれた田んぼは千枚を遥かにこえる。これでは作るのも維持するのも大変。今では田植えや稲刈り時には大勢のボランティアを募って、その活動で支えられているという。
能登半島西岸に移動して、いくつかの観光スポットを廻った。
松本清張の「零の焦点」の舞台となったヤセの断崖。先の能登地震で一部が崩落し、近寄れなくなったという。
義経伝説の残る「船隠し」
道の駅富来(とぎ)海海道という所で昼食にした。食後、すぐ近くに世界一長いベンチがあるというので寄ってみた。
長いベンチに沿って、大勢の人の手形が焼き付けられたタイルが延々とあった。
俵万智の歌碑「桜貝の 淡きピンクを 一身に 集めて立てり 浜の少女は」に触発され海岸に降りて、砂浜で暫く桜貝拾いに興じた。
ちょっと不似合いな岸壁の母の碑もあった。
この後、羽咋市にある宇宙科学博物館コスモアイル羽咋に寄った。UFOの飛来する町と知られる博物館に相応しく、建物全体が円盤型をしている。
特別館長にあの有名な擬似科学家矢追純一がなっているのが可笑しい。
羽咋からは海岸線のすぐ脇を通る千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイを走った。
黄昏時、少し色づいた日本海。浜辺には転々と越前クラゲの死体が打ち上げられていた。
なぎさドライブウェイ終点の宝達町にはモーゼパークというものがある。ここが今回の能登半島ドライブの最後の予定スポット。今年の春訪れた青森のキリストの墓と匹敵する位のいかがわしさ満載のB級スポットだ。残念ながら辿りついた時にはすっかり日が暮れていて、急ぎ足で回るほかなかった。
入口の看板。恐ろしいことにすぐ隣にはクマ出没注意の看板もある。
入口近くにあった3本の円柱、これが墓ということではないらしい。
10分ほど薄暗い山道を登っていくと石板があった。
この先幾つかの標識があったのだが、道が崩れて通行不能になっていた地点で引き返すことにした。10時間の能登半島半周ドライブを終えてホテルに戻ったのは6時半過ぎだった。