アーモーおやじ

テニスのときによく出る「アーモー」。これが口癖で、なんでも首を突っ込んでは失敗を繰り返しているじいさんの日記です。

老松ダイニングでゆったりランチ、そして

2022-08-26 18:05:00 | Weblog
 通信士の試験準備で忙しくしていたので、試験が終わり久しぶりの休日。敏美さんからランチの提案があり、この間の忙しさのご褒美でプチ贅沢しようということで、宍粟市山崎に出かけました。

 山崎は古い街並みが残るところで、その一画に、老松酒造と山陽盃酒造という昔からの二軒の酒蔵が軒を連ねてあります。
 そのうちの一軒の老松酒造が老松ダイニングという直営店を経営しています。目指す今回のプチ贅沢店は、この老松ダイニングです。敏美さん曰く、テニス仲間のおすすめ店だそうです(女性の食事連絡網、恐るべし)。

 メニューは2200円と1500円の2種類のランチコースだけで、2人でその2種類を注文しました。











 料理は、酒造らしく発酵調味料を使ったもので、もろみ味噌、酒粕豆腐や粕汁、デザートの豆乳ヨーグルトなど、どれも美味しくて、満点ランチでした。また、久しぶりの贅沢な時間をゆっくり過ごせました。


 この宍粟市山崎(昔は宍粟郡山崎町)で思い出すことがあります。

 このブログの自分史(2018年10月)にも書いたのですが、大学に入学して入った寮で出会った先輩の一人Iさんがこの山崎出身で、そのI先輩に誘われて(というより強引に引っ張られて😅)入ったのが人形劇のクラブでした。
 でもI先輩にはとてもよくしていただきました。悩みごとの相談やバイト紹介、そして何より食事に数多く連れて行ってもらい、いつもご馳走になりました。

 寮には九州や四国、中国地方出身学生がほとんどで、まして東京出身などまったくいません。
 大学へ入学したものの、寮でも大学でも、私の言葉(関東弁)をバカにされたり、都落ちなどと言われたり、入学当初は落ち込むことが多い日々でした。
 そんな私をかばってくれ、いつも応援してくれたのがI先輩でした。I先輩のおかげで、寮やクラブでの人間付き合いができるようになりました。すると、今まで嫌な奴と思っていた先輩や同級生も、とても気のいい奴らだと思えるようになりました。私に対する言葉は、彼らにとっては悪意あるものではなく、ごく普通の会話であり、それが東京出身者にはほとんど理解できないのです。それがわかった初めての経験であり、たった一人で大阪に来た自分が少し成長したと感じたときでした。

 I先輩とは、卒業後パタっと連絡が途切れてしまいました。すごくいい先生として頑張っていたはずです。
 山崎の町を散策して、I先輩と突然会ったりして、、、そんなことをふと感じたランチ時間でした。
 
 

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さあ、勝負だ❗️

2022-08-24 20:47:00 | Weblog
 朝、5時に起きて朝食をとり、5時50分に我が家を出発。上郡駅近くの24時間100円の駐車場に車を止め、上郡駅に向かう。そして、6時24分上郡駅始発の新快速に乗車して大阪へ。
 今日は、第4級海上無線通信士の試験日である。

 2021年1月に天文宇宙検定2級合格後、久しぶりの試験だ。

 大阪駅で環状線に乗り換え、天満駅で下車して、カンテレ前を通り、試験会場の西沢学園関西テレビ電気専門学校に向かう。







 試験は無線工学と法規の筆記で、初めは9時30分から無線工学である。
 過去問をやっても、無線工学は常に合格圏であり問題なし、、、と思っていたのだが、ややこしい問題が何問かあり少し不安が残った。だか、多分大丈夫だろう😅

 次は13時から法規の試験。難関はこれだ。
 一通りテキストを読んで、試しに法規の過去問をやったところ、100点満点で30点であった。70点の合格ラインからほど遠い結果であった。
 法規は暗記であり、65歳の暗記力低下が鮮明となった。どないしよう😥
 4月の終わりにテキストを購入してから始めた勉強である。受験宣言をした以上、もうあとには引けない。やらねばならぬ💪
 その後、ひたすら暗記である。朝起きる前、夜寝る前、テキストを読みあさる毎日であった。さらに過去問を繰り返した。
 その甲斐あってか、今月になり過去問がやっと合格圏に入るようになった。

 そして今日の本番である。
 終わってからの感想は、多分大丈夫、である。

 あー、疲れたー。
 でも、面白かったー。

 来月20日が結果発表である。さて、どうなるやら。

 
 試験後、久しぶりの大阪なので、梅田まで歩き、スポーツ用品店で仕事用の靴を購入した。自分にご褒美させてもらう🤗





 この4か月、通信士の勉強をすればするほど知床の遊覧船の事故に対する無念さが湧きあがった。
 船に不測の事態が生じたとき、その連絡をする方法、つまり遭難通信の方法は少なくても4通りはある。それが一つも機能せず、スマホの連絡で判明したなんて、、
 もちろん悪天候で出航したことも問題だが、遭難通信がしっかりできていれば、助かった命はあったと思う。

 これが、勉強したこの4か月の総括としたい!


 

 

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カボチャ物語

2022-08-21 22:37:00 | Weblog
 私は子どものころ、食べ物の好き嫌いがとても多かった。
 肉では、豚肉は好きだが、鶏肉は嫌い(昔、関東地方の人は、牛肉をほとんど食べなかったので、牛肉は論外)で、魚は刺身は好きだが、煮たり焼いたりする魚は嫌いだった。
 野菜は特別好きなものはなく、出されたものをいつも仕方なく食べていた気がする。好きな野菜はなかったが、嫌いな野菜は多くて、一番の苦手はカボチャだった。それは味というより、煮たカボチャの食感がいやだったのだ。

 そんな苦手な食べ物も、歳をとるうちにだんだん好きになってくるものである。魚はお酒をたしなむようになってから好きになり、野菜はいろいろな調理法での違いがわかってから好きになった。もちろん、カボチャもである。

 敏美さんが作るカボチャとひき肉の煮物やカボチャの天ぷらは大好きである。

 ブログにも書いたように、そんな大好きなカボチャを敏美さんが栽培していたのだか、先月、すべてをイノシシに食べ尽くされてしまった。あのショックは大きかった😭

 ところが、そんな状況を知ってくれて、今日、テニス仲間のKさんから、栽培しているカボチャをいただいた。敏美さんがテニス練習に行き、その帰りにご自宅に寄り、どっさりともらったそうである。



 佐用や上郡にある野菜の産直売店には、いろいろな形や色のカボチャが売られている。大阪ではあまり見たことのないものも多い。今日、いただいたカボチャも色とりどりで、形もバラバラである。我が家で作っていたカボチャとは比べ物にならない大迫力のカボチャであった。

 仕事から帰り、とても大きなこのカボチャたちを見て、思わず感動の涙が出てしまった。Kさん、ありがとう😊
 
 味の違いがとても楽しみである。



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私とテニス

2022-08-14 20:45:00 | Weblog
 テニスは、私が39歳のときから始めました。
 30代前半のとき、あまりに太ってしまい、ランニングを始めました。
 会社まで11kmほどあり、自転車で6kmほど走り、それからランニングで通勤。するとランニングにのめり込み、篠山マラソン、福知山マラソンまで走れるようになりました。
 39歳のとき.不整脈がひどくなり、マラソンを断念せざるを得なくなりました。ちょうどそのとき、敏美さんから歳を取っても楽しめるようにと提案があり、二人でテニスを始めました。子育ても三男が学童保育の年長さんとなり、ひと段落着いたころです。
 自宅の近くに市営テニスコートもあったので、いい提案でした。
 せっかく始めるならば、テニススクールに入ろうと決め、子育ての関係で曜日は違うものの二人でスクールに入りました。共に夜8時すぎから90分のクラスです。

 それからのめり込みました。私はスクールに入って2回目の練習でアキレス腱断裂しました。男性の前厄の年齢で、昔と同じように動こうとして、左足を完全断裂しました。そのため、せっかく始めたのに、半年間テニスから離れました。
 その間に敏美さんは上のクラスに。
 復活してからは、クソーという思いでテニスを続けました😆

 スクールの若いもんと男ダブ、敏美さんとミックスダブで、草トーナメントの試合も何回か参加しました。また、スクール以外でも、吹田にたくさんのテニス仲間ができました。今でも交流しています。
  
 現在は主に佐用と上郡のテニス仲間と楽しくテニスを続けています。


 今日は暑い中、10時から2時間、佐用でしっかり試合練習をしてきました。練習後、仲間で昼ごはんを食べながらのテニス談義です。今の私のテニスは、仲間との交流がメインになっています。

 上郡に移住しても多くの友だちができたのは、テニスのおかげです。テニス仲間は向上心のかたまりで、みんな前向きなんですよ🤗



 秋には、大阪吹田&前会社の若いもん連合 対 上郡テニス仲間 との交流試合をしようと企画しています。
 がんばるぞー🤗

 
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海水浴&花火大会

2022-08-09 20:44:00 | Weblog
 息子家族がやって来ました。

 昼食後、赤穂の唐船(からせん)サンビーチに行き、孫は初海水浴を楽しみました、というよりユキじいのほうがはしゃいでいました。
 唐船サンビーチはとても空いていて、駐車場には私たちを含めて車が4台。海水浴場も5組ほどしか遊んでいません。プライベートビーチです🏖





 唐船サンビーチは、海水浴場というより潮干狩り場という感じで、深さは膝より下までで、保育園児ご用達遊び場でした。

 海岸を散歩していると、エイの死骸を見つけました。



 これも面白い体験でした。


 家に帰って、夕食後に家の庭で花火大会でした。



 花火は初体験の孫は、大はしゃぎ、、、というよりジジ、ババが大喜びでした。

 夏のいい思い出になりました😆


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平和って、被爆国って、

2022-08-03 06:22:00 | Weblog
 昨日、新潟長岡で、花火大会が3年ぶりに開催された。
 1945年8月1日、長岡大空襲で失われた多くの命への鎮魂の思いを花火で打ち上げる、というのが、この花火大会の原点だそうだ。
 暑い夏のこの時期、日本各地で平和を願う催しが行われ、その都度、平和の尊さをかみしめる、これが日本の夏の一つの形だと思う。


 先日、日本の岸田首相が国連の核不拡散会合再開会議で、スピーチをした。
 唯一の核兵器被爆国として、核兵器の廃絶、広島・長崎に世界の若者に来てほしい、広島の平和会議開催、という内容であった。
 正直、幻滅であった。戦争が起こっている世界へ、人殺しの武器を、核兵器を今すぐ廃棄せよ、バカな指導者はいらない、と言ってほしかった。核保有国の顔色をうかがってスピーチをするため、わざわざ国連に行ったのか。

 日本は核兵器禁止条約を批准していない。唯一の被爆国であるのにである。被爆国であることは、日本は世界平和の先頭を走ることが使命なのではないだろうか。被爆国という言葉を、軽々しく言うべきではない。


 6月23日の沖縄慰霊の日、この詩が読み上げられた。
 
 沖縄県沖縄市立山内小学校2年、徳元穂菜さん(7)の詩「こわいをしって、へいわがわかった」

びじゅつかんへお出かけ
おじいちゃんや
おばあちゃんも
いっしょに
みんなでお出かけ
うれしいな

こわくてかなしい絵だった
たくさんの人がしんでいた
小さな赤ちゃんや、おかあさん

風ぐるまや
チョウチョの絵もあったけど
とてもかなしい絵だった

おかあさんが、
七十七年前のおきなわの絵だと言った
ほんとうにあったことなのだ

たくさんの人たちがしんでいて
ガイコツもあった
わたしとおなじ年の子どもが
かなしそうに見ている

こわいよ
かなしいよ
かわいそうだよ
せんそうのはんたいはなに?
へいわ?
へいわってなに?

きゅうにこわくなって
おかあさんにくっついた
あたたかくてほっとした
これがへいわなのかな

おねえちゃんとけんかした
おかあさんは、二人の話を聞いてくれた
そして仲なおり
これがへいわなのかな

せんそうがこわいから
へいわをつかみたい
ずっとポケットにいれてもっておく
ぜったいおとさないように
なくさないように
わすれないように
こわいをしって、へいわがわかった
(表記は原文のまま)。



 首相のスピーチより、この詩を世界に読み上げたい。
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