アーモーおやじ

テニスのときによく出る「アーモー」。これが口癖で、なんでも首を突っ込んでは失敗を繰り返しているじいさんの日記です。

退職旅行、その2

2018-06-25 05:22:44 | Weblog
退職旅行2日めは、四国の最西端の佐田岬に行きました。かねてから行きたかった所で、あの細くなった先の先をドライブしたかったのです。
しかし、天気は雨、さらに、霧で視界はなく、快適なドライブどころか、ライトをつけての慎重運転。
やっとのことで佐田岬の駐車場に到着しましたが、ここから灯台までは徒歩。幸い雨は小降りになってたので歩き始めましたが、意外と時間がかかり、途中までで引き返しました。

私のイメージでは、佐田岬までの道は、尾根伝いで両側に海を見てのドライブだったのですが、実際は山が深く、最後まで山の中腹を走ってました。しかも霧の中を、です。

佐田岬は、鹿児島に佐多岬という田の字が多になっている岬があり、次はそこに行くかな

佐田岬の次は宇和島城です。
宇和島は、大学2回生のとき、寮の先輩の吉田さんと、足摺岬を見に行ったときに泊まったことがあり、42年ぶりの訪問です。
そのとき、宇和島城にも行ったのですが、宇和島城の下にあった"秘宝館"を二人で見学した印象しかないため、城マニアとしてはそのトラウマを払拭せねばなりません。
築城の名手、藤堂高虎が建てた堅固な城で、現存は天守と石垣ぐらいでしたが、素朴な味がありました。

その後、高知市まで走りましたが、大好きな四万十川も仁淀川も、雨で清流という姿とはほど遠く、堪能できませんでした。

3日めは高知城からスタート。

快晴で、気持ちがいいです。
追手門に、「国宝高知城」の石碑がありました?
待てよ、高知城は現存12天守ではあるが、国宝ではないはず。近づいて説明板を見ると、かつて国宝だったらしいです。


この石碑を堂々と残している高知人、恐るべし。

高知城の横の日曜市。大賑わいでした。
そこで、上郡の家の表札を書いてもらいました。旅の記念です。



そのあと、大歩危小歩危を通り、中央構造線沿いに徳島までドライブ。あの池田高校の横を通りましたが、山の高校が全国制覇したこと、荒木大輔をボコボコの打ちまくった偉業を思い出しました。
最後に10番札所の切幡寺で旅のお礼と、これからも夫婦仲良く、健康的に過ごしていけますようにとお願いして、旅を締めくくりました。


邑久光明園からスタートした旅でしたが、これからも年に1回ぐらいは行きたいなあ、としみじみ感じた老夫婦でした
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退職旅行

2018-06-22 20:50:49 | Weblog
退職旅行で、国立療養所、邑久光明園、長島愛生園に行きました。
実は、ここで働くことが私の第二の人生につながらないか、考えています。
上郡の家から車で40分から50分で、通勤可能とわかりました。
まだまだクリアしなくてはいけないことが多いのですが、頑張りたいです。

その後、しまなみ海道生口島の平山郁夫美術館、松山城を見学して、松山泊まりです。




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これからのこと

2018-06-17 04:02:37 | Weblog
退職を決めた1年前から、退職後の計画をいろいろ考えていましたが、現実となり、テニス後の餃子の王将からコメダという、敏美さんと二人のお祝い会コースでじっくりと相談しました。

すでに、普通二種と介護の初任者研修で免許取得を目指して、今月26日からの自動車学校入学は決まっていますが、移住後の仕事のやり方で、意見の違いが判明しました。
今まで、山小屋作り、マラソン、テニス、ダンス、スノボという私の前向きな挑戦(私のわがままが大きいのですが)には、応援していただいていましたが、大問題に発展するかもしれません^_^
私の意見は、ほぼフルタイムで、海の見えるところで、仕事がしたいという、ごくごく平凡なものなのですが、、、

とりあえず、来週は上郡から四国旅行をすることになっていますので、じっくりと首脳会談を続けることになりました。荒れそうだなあ

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退職の日

2018-06-15 20:11:01 | Weblog
 定年から1年9か月、会社を退職しました。
 いろんなことがありましたが、いい仲間に恵まれた36年間でした。

 大学卒業後、採用試験に落ち続け、高校の非常勤講師を1年半、その後印刷会社を経て、この会社に就職しました。その時、長男は11か月でした。

 はじめ、1日中、机に座り続けてする編集作業が苦痛でしたが、いい教材やテストができたときの喜びを知ってからは、自分に向いていたのかもと思うようになりました。
 失敗続きで落ち込むこともありましたが、それも人生ですね。

 みんな、ありがとう。














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松坂世代、いいなあ

2018-06-09 21:14:58 | Weblog

BS1スペシャル あの日からの贈り物。
横浜ーPLの死闘を戦ったメンバーのその後の人生を見ました。
感動しました。
彼らは松坂大輔を中心に今だに繋がっていました。
「問題を起こすようなことをしたら、松坂大輔が必ず取り上げられる、そんなことは絶対にできない」戦ったメンバーはそう口にする。
そして松坂大輔は、あの試合で得たものは、と問われて、
「敵、味方を超えた仲間」
と言い切った。
松坂大輔を目標に、野球に打ち込んだ、松坂世代は素晴らしいなあ!
松坂大輔を応援したくなった。
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実家から

2018-06-03 18:42:21 | Weblog
実家の畑仕事。ジャガイモ、タマネギの収穫とブドウのわき芽摘み、ショウガ、サツマイモの植え付け。




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