アーモーおやじ

テニスのときによく出る「アーモー」。これが口癖で、なんでも首を突っ込んでは失敗を繰り返しているじいさんの日記です。

高専時代への振り返り

2022-01-25 13:53:00 | Weblog
 家時間を楽しむしかない状況がいったいいつまで続くのやら、全く読めません。

 この時間を、ギターやピアノの練習に充ててましたが、最近は昔読んだ小説を読み返しています。

 松本清張、新田次郎、遠藤周作。
 この3作家は、高専時代にハマりました。
 東武東上線の下板橋から池袋、池袋から山手線で品川、品川から京浜急行で鮫洲まで電車通学していたため、片道1時間弱の満員電車内ではいつも単行本を読んでいました。学校の図書館で借りた本です。

 松本清張との出会いは、渋谷の映画館で野村芳太郎監督の「砂の器」をみたときです。出雲地方が東北弁に似た言葉があることやハンセン病のことなどを調べ尽くし、それを題材にした松本清張に興味が湧きました。推理小説というジャンルだけでは語れないくらいに調べられています。
 当時、「砂の器」「0の焦点」「点と線」「Dの複合」など、人気小説はすべて読みました。日本の伝承文化や鉄道の路線や時刻表もよく研究されていました。

 その松本清張作品を佐用町図書館で借りて、再び読み返してみました。




すると、それぞれの作品に私のよく知る場所がバンバン出ているんです。美作江見や播磨や但馬、気仙沼や館山などなど、すごく嬉しくなりました。
 50年近く時が経っての読み返しですが、なぜか新鮮な気持ちにさせられました。

 
 そして今日からは、新田次郎を読もうと思い、借りてきました。



 新田次郎は「武田信玄」に代表されるように歴史小説としてよく知られてますが、私は山岳小説家としての新田次郎が好きです。
 富士山山頂の観測所に、初めて厳冬期の観測をした夫婦を描いた「芙蓉の人」から読み始め、「孤高の人」「剛力伝」「聖職の礎」などなど。冬山での遭難シーンは読んでいるこちらも凍えるような錯覚に陥りました。
 さあ、新田次郎ではどんな発見があるのか、楽しんで読むとしますかな。


 もう一人の遠藤周作ですが、「沈黙」に代表されるように、社会派小説家として有名ですが、私はユーモア小説作家の遠藤周作しか知りません。
 「ユーモア小説集」はすべて通学電車の中で読みほしました。
 「吉永小百合さんはトイレで大をしない」とか、映画「ミクロの決死圏」で涙と共に脱出するのをオナラで出てくるようにパロディ化するなど、真面目に小説にしてくれるんです。満員電車で笑いを抑えて、本当にお腹が痛くなったこともありました。
 新田次郎の次に読みましょうかな!


 敏美さんから「昔を回顧している」と言われてますが、50年を隔てて読んでるので、回顧でもないような、、、

 どこへも行けない家時間は、原点回帰時間としましょうか😅


 
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ちくさ高原 単独行

2022-01-24 17:43:00 | Weblog
 大雪続きで、ちくさ高原スキー場は200cmの積雪。これは行かねば!
 1年ぶりにソフトコンタクトを入れ、いざ出発です。

 千種町を過ぎると、ここ2年間見たことのないくらいの雪の多さです。屋根に1mくらいの雪が積もった家もあり、つぶれないか心配です。

 1時間弱でスキー場に到着。


 
 月曜日でしたが、今日はコンディションがいいということで、予想よりは賑わっていました。とはいえ、リフトは空二台置きぐらいです。

 午前中はスノボ、昼食のソースカツ丼を食べて、午後はスキー、楽しみました。







 いっしょに行ってくれていた職場の同僚が引っ越してしまい、単独行なのがさみしいのですが、一人で足パンパンになるまで滑るのは、根っから滑ることが好きなんでしょう⁉️


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雪の足跡

2022-01-21 20:56:00 | Weblog


 朝、起きるとすっかり雪景色になっていました。



 うっすらでしたが、新雪に足跡をつけると、大好きなシーンを思い出しました。
それがこちらです。

北の国から’87初恋 1987年3月27日 

純は、ふとして出逢った少女に初恋をする。高校受験を前に純は彼女の意見に感動し、自分も東京へ行くことを決心する。純が彼女のいなくなった小屋で聴く尾崎豊の「アイラブユー」のせつなさ、ラストの父親との別れなど感動をよぶ場面が多い。この別れのシーンで泣かない奴は、私の友達ではなくても良いとさえ思う。
純の初恋と父親との別れに焦点が当てられており、秀逸な青春ドラマとなっている。


・「北の国から」シリーズの中でも屈指の傑作といわれている。数々の放送賞を独占しただけでなく刊行されたシナリオに対して文学賞も与えられるほどであった。

・ドラマ後半で、れいの足跡が雪の上にポツポツと残っているシーンがある。あの足跡は、れい役の横山めぐみ本人の足跡だそうだ。東京にいる横山めぐみを、足跡をつける為だけに呼び寄せたらしい。もちろん、本人の出番の収録はないにも関わらず・・・・   


夜逃げしたれいちゃんの家族。純との思い出の作業小屋に、尾崎豊のカセットテープを残して小屋から出たれいちゃんが何度も振り返って去っていく様子を、雪の足跡で表現。倉本聰と演出家杉田成道、最高です。

あー、北海道に行きたいよー❗️


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1995年1月17日からのこと

2022-01-17 09:57:00 | Weblog
 あの震災から27年。
 何回も書いているけど、記憶に残るように、当時のことを振り返ってみたい。
 
 兵庫県南部地震。M7.3。活断層が動く直下型地震で、プレート型の東北地方太平洋沖地震とは違う。
 揺れにより、高速道路や鉄道、古い家屋が倒壊したり、下の階が押しつぶされたりしたが、多くの場所で火災が発生して、それによっても多くの命が失われた。
 300カ所近くで火災が発生したが、そのうちの約6割は破壊された電気機器などが、停電から復旧して電気が通ったときに火が出る「通電火災」だという。
 停電を早く復旧してと誰もが願ったが、電気が通った途端に火が出たのである。懸命に救助活動をしているときに火が出たため、悲惨な状況も多々あった。寒いときであったため、電気、ガス、水道というライフラインを早く確保したことで、こんなことが起こってしまったのだ。


 当時、私たち夫婦は大阪吹田で暮らし、共働きの38歳。長男は中一、次男は小三、三男は保育園年長。

 地震発生時、子どもたちは3階、夫婦は2階で寝ていた。ガクンと大きな揺れの後でなかなか揺れがおさまらず、私は寝ていた部屋の和ダンスを倒れないように押さえた記憶がある。
 その後、3階の子どもたちを見に行くと、2段ベットも倒れることなく、みんな無事だった。

 停電はなかったが、ガスが出ない。
 外に出ると、電気の電灯線が家の壁から外れていた。
 関西電力に電話してみる。今、電気が通っているならば、修理は後日でと伝えられる。関西電力はそれどころじゃなかったのだ。ごめんなさい。
 大阪ガスに連絡すると、ガスの開栓方法を丁寧に教えてもらい、それで解決した(この方法は大阪北部地震のとき、近所の家のガスを開栓して周り、役立った)。大阪ガスもそれどころじゃなかったはず。すみません。

 ラジオからは被害の状況が刻々と伝えられた。道上洋三さんが、必死に叫び続けていた。パートナーのアサオ(高野あさお)ちゃんが泣いて喋れないのを、道上さんは叱りつけ、アナウンサーとして伝えなければならないことを説いていた。

 朝ご飯のときも余震が何回かあり、トイレに入っていた三男も揺れに驚き、途中で出てきた。

 自転車で会社に向かったが、内環状線沿いのビル下の歩道には、窓ガラスが散乱していた。また、豊里大橋付近は大渋滞であった。会社に着き、5階の編集部に入ると、倉庫内がぐちゃぐちゃになっていた。幸いデスク周りは、無事だった。

 ただ、出社できない社員も多く、連絡がとれない社員や元同僚もいた。

 ある元同僚の安否を、近くに住む社員に確認してもらった。後日、住んでいたマンションを離れて、滋賀県の大津に移ったことがわかり、ホッとした。

 敏美さんの同僚でも、新築の家が目の前で燃え落ちるのを見た人、大阪で銭湯に入ってから神戸に帰る生活を続けた人などがいた。また、物資を届けるとき、車では無理なため、同僚がバイクにどっさり荷物を積んで運んだそうだ。

 大阪でも、大きな被害があり、豊中や西淀川には仮設住宅が公園に建てられた。

 尼崎の引っ越しボランティアもした。
 当時はトヨタのエスティマというワゴン車が自家用だったので、先輩から「髙橋、車を出せるか」との連絡があるたびに、参加させていただいた。
 みんな必死だった。


 上郡に来て、兵庫県でもここ西播磨が、ほとんど被害がなかったことを知った。大阪でも、北摂や三島は被害が出たが、河内や泉州地区では顕著な被害は少なかった。

 しかし、被害がなかった日本の各地から被災地区をなんとかしたいという思いが広がった。ボランティアが多く集まったのはその形の現れだが、そのほかにも募金や物資などの支援があった。

 困っている人たちを応援することが、人のもつ本能の一つだと、はっきり自覚した。これも27年前に私が知ったことである。


 
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恒例のテニス初打ち儀式

2022-01-10 07:28:00 | Weblog
 10時から佐用のテニスコートで、今年始めてのテニス練習です。
 気温3℃の中スタートしましたが、風もなく、日差しもたっぷりあったので、少し動くと汗ばむいいコンディションでした。

 コートでの初打ちは今日でしたが、6日に家のとなりの空き地で、敏美さんとボレーボレー。昨年の正月にも行い、100回ほど続いたようすの動画をテニス仲間に新年の挨拶がわりにLINEで送りました。その第二段です。

 今年は195回、3分12秒続きました。
 それを1分のタイムラプス動画にして、テニス仲間や家族に送りました。
 おふくろからは
「定年しても仲がいいねえ」

 吹田のテニス仲間からは
「ボレーボレーは愛だ❗️」

 前職の若いもんからは
「次は300回に、10分間ボレーに挑戦を」
「恒例のテニス動画待ってました🤗」
「幸雄さんの叫び声がかわいい」

 ご近所のテニス仲間からは
「ギネスに登録を」

などなど、暖かいコメントが返って来ました。恒例行事になりました。


 そして今日のテニス後、佐用のカレーうどん店かずらで昼食。佐用テニスの初打ち後は、ここでたっぷりとエネルギー補給。これも恒例行事化となりそうです。


 元気なじいさんは少しでも明るい話題があれば、発信していきたいです。そんな気がしてならない昨今ですね。

 
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2022年 正月

2022-01-03 07:10:00 | Weblog
 明けましておめでとうございます。

 埼玉へ帰省して、2日に上郡に帰りました。
 大晦日から元旦は大寒波で、新名神などで通行止めがありましたが、2日は道もスムーズでストレスなく走れました。

 ただ、どこのパーキングやSAも乗用車で混雑していて、売店やフードコートも人だらけ。人混みは避けたいので、食事は車の中でとり、SAはトイレ休憩とガソリン補充のみの利用でした。驚いたのはアウトレットのある湾岸長島、足柄、神戸北のインターチェンジはどこも出口渋滞。福袋目当てなのでしょうか、理解に苦しみます。

 大晦日にお墓参りをし、正月は氏神さまの大雷神社に初詣をしました。大雷神社は50段の階段があり、おふくろは初詣のたびに「来年は登れないよ」と言いますが、今年も手すりにしがみつきながら登り切りました。

 正月は一族で集まっていましたが、3年続けて中止しています。その代わり、弟家族、兄、兄の長女夫婦が母に会いに来てくれました。



 そして麻雀や花札で盛り上がりました。



 職場では認知症の利用者さんに関わっています。今年の2月に90歳になるおふくろは、耳が聞こえにくくて、歩きに不安はありますが、しっかりしています。介護職について、つくづくそのありがたさがわかってきたように思います。

 弟にも兄にもおふくろの世話を任せているので、ただただ感謝しかありません。

 まだまだ制約されたご時世ですが、その中でもおふくろとの時間を楽しみたいと願いつつ、上郡にもどりました。

 どうか来年のお正月こそは、みんなで集まれますように🙏

 
 
 


 
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