おふくろの三回忌が14時からだったので、午前中に世話になったKおじさんのところへ敏美さんと挨拶に行った。
Kおじさんはおふくろの5歳下の弟で、88歳である。奥さんと仲良く元気に暮らしている。
私が東京都立高専を3年で辞めて、大学に行くことを考えたとき、私のわがままで両親に迷惑をかけられないと思い、いろいろ迷っていた。
そのことを知ったKおじさんは、
「幸雄を大学に行かせてあげてよ」
と私の両親に言ってくれたんです(詳細は2018年10月のブログ(自分史)にあり)。
Kおじさんに50年前のこのときのことを覚えているかと聞いてみた。すると
「覚えてるよ。幸雄があとで後悔してほしくなかったからな」
と、そして自分の過去を話してくれた。
Kおじさんは、高校に行きたかったんだが、学費と通学の交通費が払えないと父親に言われ、高校進学を諦めたこと、それが今でも悔しくて仕方がない、と。
学費は月170円だったと繰り返し話し、そんな後悔を幸雄にはさせたくなかったんだと教えてくれた。
まったく知らなかった、涙が出た。
高校進学を諦めたKおじさんは、おふくろを頼って上京し、大工職人になった。そしてKおじさんの口癖は私の両親への感謝の言葉で、
「世話になった恩人だ、足を向けて寝られない」
といつも言ってくれる。
私が大学に行けたから敏美さんと出会った。だから私が結婚できたのはKおじさんのおかげである。
Kおじさんは、結婚式のときの司会もしてもらったし、親父が亡くなったあともおふくろの畑仕事を手伝ってくれた。
私は、Kおじさんに足を向けて寝られない❗️
無事、三回忌の法要を終え、昨日山を見ながら、遠回りして埼玉から上郡に帰ってきました。密度の濃い3日間でした。
赤城山
妙義山
浅間山
北アルプス方面(常念岳)
中央アルプス方面(木曽駒ヶ岳)
八重桜やリンゴの花を見ながら、敏美さんと思い出話をして700㎞のドライブ。
これが楽しくて楽しくて。
Kおじさんの人生に比べたら、私の人生まだまだ足元にも及ばない。
くだらないことに文句を言っている自分はまだまだヒヨッコだ❗️