先日紹介した新宿御苑での12時間走の次に私が参加したのは・・・1月に宮古島で行われるワイドーマラソンだった。(ワイドーとは、宮古島の方言で「ガンバレ~」の意味)
現在も宮古島で100km、50kmの大会が同時期に開催されているが、この頃は、まだ、50kmの部までしかなく、スタートゴールは市の陸上競技場だった。
とにかく、この島は「出会い島」だ。前の週に海洋博トリムマラソンに出た私は、2週連続で東京から沖縄に来た。宮古島のホテルのエレベーターで出会ったのが、前の週、ゴールしてから無理行ってのせてもらったタクシー(運転手さんは選手として参加、この日は非番だった。)の運転手さん??
実は、彼も50kmの部に参加し、なんとゴール手前の坂を苦しそうに登っているところを私が追い抜いた。
2つめの出会いは、スタート前にアップしていると、地元の人らしき女性に声をかけられた。なんと、彼女は私と同期入社の長野出身の子だった。太い眉から、つい、地元の人かと思ったよ。と言ったら、おじいおばあに地元の方言で声かけられる、と笑っていた。この彼女は、やはり内地出身の男性と結婚し、あこがれの沖縄に暮らしている。その相方が、この日は50kmの部に参加した。
2つのステキな出会いをベースに私の初50kmチャレンジは進行する。(もっとも、すでに12時間走で90km走っているので、初50kmはウソになるが。)
この日はいたシューズはアシックスの初代サロマ。今どきのシューズからみると恐ろしく硬いシューズで、知識も何もなかった私は、ピッタリのサイズを履いて、ゴールした時、親指に血豆をつくった。
フル+8kmと思って挑んだレースは結構きつかった。そもそも、このレースを選んだのは、本番の初100kmである6月のサロマをにらんで同時期と同じ気象条件と思われる1月の宮古島を選んだためだ。
けれど、1月の宮古島は6月の北海道より暑かった。最高気温26度は私達を苦しめた。最後ののぼりで地元の人が差し出してくれた氷を口に入れてほうばった。汗だくになってのゴール・・・
この日の女性の参加者は、たったの3人・・・私と地元・宮古島の女性と、そして東京から来た女性・・・東京の女性は、暑さでリタイア。
50kmを5時間15分かかってゴールした。「優勝」だ。
でかい優勝カップが渡される。それを持ってスタジアムに戻ると地元の男性グループが「おいで、おいで」と手招きする。さっそく、優勝カップにビールを入れてみんなで回し飲み。
同期の彼女と相方も交えて地元グループとすぐ近くの居酒屋で2次会・・・
ここで初めて「おとーり」の洗礼に遭う。もっとも、泡盛でなくビールだったのが不幸中の?幸い?
そろそろ飛行機の時間だから・・・というと、ちょっと待って。お土産に・・・と近くの畑からサトウキビを手提げ袋に3袋分もとってきて渡された。一人で3袋は多いでしょ(笑)
空港カウンターで手荷物として預けてスゴイ迷惑そうな顔をされたのを覚えている・・・
そして、翌日の地元紙に・・・でかでかと私の顔写真とコメントが掲載された・・・と後日、新聞が郵送されてきた。
優勝とは、こんなにいいものなんだ、と私を酔わせたウルトラマラソン・・・優勝カップは以来、めでたいことがあるたびにビールを注いで飲んでいる。
思えば、これが、この心地よい経験が、私をさらなる未知の世界へと導き出した。
現在も宮古島で100km、50kmの大会が同時期に開催されているが、この頃は、まだ、50kmの部までしかなく、スタートゴールは市の陸上競技場だった。
とにかく、この島は「出会い島」だ。前の週に海洋博トリムマラソンに出た私は、2週連続で東京から沖縄に来た。宮古島のホテルのエレベーターで出会ったのが、前の週、ゴールしてから無理行ってのせてもらったタクシー(運転手さんは選手として参加、この日は非番だった。)の運転手さん??
実は、彼も50kmの部に参加し、なんとゴール手前の坂を苦しそうに登っているところを私が追い抜いた。
2つめの出会いは、スタート前にアップしていると、地元の人らしき女性に声をかけられた。なんと、彼女は私と同期入社の長野出身の子だった。太い眉から、つい、地元の人かと思ったよ。と言ったら、おじいおばあに地元の方言で声かけられる、と笑っていた。この彼女は、やはり内地出身の男性と結婚し、あこがれの沖縄に暮らしている。その相方が、この日は50kmの部に参加した。
2つのステキな出会いをベースに私の初50kmチャレンジは進行する。(もっとも、すでに12時間走で90km走っているので、初50kmはウソになるが。)
この日はいたシューズはアシックスの初代サロマ。今どきのシューズからみると恐ろしく硬いシューズで、知識も何もなかった私は、ピッタリのサイズを履いて、ゴールした時、親指に血豆をつくった。
フル+8kmと思って挑んだレースは結構きつかった。そもそも、このレースを選んだのは、本番の初100kmである6月のサロマをにらんで同時期と同じ気象条件と思われる1月の宮古島を選んだためだ。
けれど、1月の宮古島は6月の北海道より暑かった。最高気温26度は私達を苦しめた。最後ののぼりで地元の人が差し出してくれた氷を口に入れてほうばった。汗だくになってのゴール・・・
この日の女性の参加者は、たったの3人・・・私と地元・宮古島の女性と、そして東京から来た女性・・・東京の女性は、暑さでリタイア。
50kmを5時間15分かかってゴールした。「優勝」だ。
でかい優勝カップが渡される。それを持ってスタジアムに戻ると地元の男性グループが「おいで、おいで」と手招きする。さっそく、優勝カップにビールを入れてみんなで回し飲み。
同期の彼女と相方も交えて地元グループとすぐ近くの居酒屋で2次会・・・
ここで初めて「おとーり」の洗礼に遭う。もっとも、泡盛でなくビールだったのが不幸中の?幸い?
そろそろ飛行機の時間だから・・・というと、ちょっと待って。お土産に・・・と近くの畑からサトウキビを手提げ袋に3袋分もとってきて渡された。一人で3袋は多いでしょ(笑)
空港カウンターで手荷物として預けてスゴイ迷惑そうな顔をされたのを覚えている・・・
そして、翌日の地元紙に・・・でかでかと私の顔写真とコメントが掲載された・・・と後日、新聞が郵送されてきた。
優勝とは、こんなにいいものなんだ、と私を酔わせたウルトラマラソン・・・優勝カップは以来、めでたいことがあるたびにビールを注いで飲んでいる。
思えば、これが、この心地よい経験が、私をさらなる未知の世界へと導き出した。