この季節になると思いだす大会がある。スマイルラン・フォー・チルドレン・・・
トライアスロンは、もともと3人のアメリカ人が、自転車のレースとランニングとオーシャンスイムと、どれぞれどこの大会が一番キツイか自慢し合っていて決着がつかないまま、なら、いっそ、ぜ~んぶ一度にやってしまえ!ってな勢いで発生したスポーツだけど、どうも、アメリカ人というのは、この手の力技が好きらしい。
というのも、この、スマイルラン・フォー・チルドレンは、大分県の別府市にある孤児院が老朽化に伴い、建て替えようとしたが、寄付が集まらないままになっていた。この話を聴いた当時、座間に駐留していた米軍人が、もし、俺が座間から別府まで歩きとおしたら・・・と仲間と賭けをした。これによって得たお金を孤児院に寄付したという話に感銘を受けたある人が、別府の市制何十周年かを記念して開催したのが、当時の米軍人がいた座間から別府を結ぶ1000km以上の距離を走るステージラン、スマイルラン・フォー・チルドレンである。
その記念すべき第一回に私は参加した。まだステージレースなんて珍しい時代である。もちろん、すべてのステージはおろか、参加したのは行橋から別府90kmの最終ステージだったけど大変思い出に残る大会になった。
行橋市内の教会に前夜入り、そこでタスキをつないできたランナーを迎え、夕食をとりながら翌日のミーテイング。当然、翌日から走るランナーは、この、ミーテイングには必ず参加しなければならない、ということで私も仕事を終えてから車で速攻、行橋へ向かった。ちょっとしたセレモニーや歓迎会のあと、持ってきた寝袋で畳の部屋でみんなで雑魚寝・・・ここでも寝つきの良さは評判だった(笑)
翌朝、早朝、注意事項のあと教会をスタート。国道10号線はフルーツ街道だ。行く先々に「巨砲」「なし」といった看板が目に付く。(この季節になると思い出すのは、そのせいかもしれない。)
地元テレビ局のカメラが近寄ってきて走っている私を映してくれた。いい気分だ(笑)
意外と平坦で走りやすく、山や海が豊富なこのコースは私の好きなコースである。
最後に別府のフェリーターミナルを背に山の方へ上っていく。細い小路に入ってさらに登ると、その孤児院はあった。木造の校舎のようなつくりの教会に隣接した孤児院であった。子供たちがゴールテープを準備して迎えてくれた。
教会だから期待はしていなかったけど、缶ビールを発見した時はうれしくなった!
その後、これを機に何度か大会は開催された。最後の大会は数年前??
主催者は結婚して生まれたばかりの子供を残し、最後の大会のために戦っていた。
久々に訪れた孤児院は立派になっていた。でも、ゴールで子供たちが出迎えてくれるのは変わらない。そしてありがたいことに男女別のお風呂も使わせていただいた。打ち上げも、手作りの料理が待っていた。そこで参加者、孤児院の経営者、そして主催者と思い出を語り合った。
ステージレースとはいえ、ごく小規模の、本当に手作りの、心温まる大会であった。
トライアスロンは、もともと3人のアメリカ人が、自転車のレースとランニングとオーシャンスイムと、どれぞれどこの大会が一番キツイか自慢し合っていて決着がつかないまま、なら、いっそ、ぜ~んぶ一度にやってしまえ!ってな勢いで発生したスポーツだけど、どうも、アメリカ人というのは、この手の力技が好きらしい。
というのも、この、スマイルラン・フォー・チルドレンは、大分県の別府市にある孤児院が老朽化に伴い、建て替えようとしたが、寄付が集まらないままになっていた。この話を聴いた当時、座間に駐留していた米軍人が、もし、俺が座間から別府まで歩きとおしたら・・・と仲間と賭けをした。これによって得たお金を孤児院に寄付したという話に感銘を受けたある人が、別府の市制何十周年かを記念して開催したのが、当時の米軍人がいた座間から別府を結ぶ1000km以上の距離を走るステージラン、スマイルラン・フォー・チルドレンである。
その記念すべき第一回に私は参加した。まだステージレースなんて珍しい時代である。もちろん、すべてのステージはおろか、参加したのは行橋から別府90kmの最終ステージだったけど大変思い出に残る大会になった。
行橋市内の教会に前夜入り、そこでタスキをつないできたランナーを迎え、夕食をとりながら翌日のミーテイング。当然、翌日から走るランナーは、この、ミーテイングには必ず参加しなければならない、ということで私も仕事を終えてから車で速攻、行橋へ向かった。ちょっとしたセレモニーや歓迎会のあと、持ってきた寝袋で畳の部屋でみんなで雑魚寝・・・ここでも寝つきの良さは評判だった(笑)
翌朝、早朝、注意事項のあと教会をスタート。国道10号線はフルーツ街道だ。行く先々に「巨砲」「なし」といった看板が目に付く。(この季節になると思い出すのは、そのせいかもしれない。)
地元テレビ局のカメラが近寄ってきて走っている私を映してくれた。いい気分だ(笑)
意外と平坦で走りやすく、山や海が豊富なこのコースは私の好きなコースである。
最後に別府のフェリーターミナルを背に山の方へ上っていく。細い小路に入ってさらに登ると、その孤児院はあった。木造の校舎のようなつくりの教会に隣接した孤児院であった。子供たちがゴールテープを準備して迎えてくれた。
教会だから期待はしていなかったけど、缶ビールを発見した時はうれしくなった!
その後、これを機に何度か大会は開催された。最後の大会は数年前??
主催者は結婚して生まれたばかりの子供を残し、最後の大会のために戦っていた。
久々に訪れた孤児院は立派になっていた。でも、ゴールで子供たちが出迎えてくれるのは変わらない。そしてありがたいことに男女別のお風呂も使わせていただいた。打ち上げも、手作りの料理が待っていた。そこで参加者、孤児院の経営者、そして主催者と思い出を語り合った。
ステージレースとはいえ、ごく小規模の、本当に手作りの、心温まる大会であった。