へんないきもの日記

今日も等身大で…生きてます😁

まさか・・・の靴底に「穴」! ~ トランスエゾ走行記

2016-08-31 08:34:29 | 旅とランニング
 6日目、富川から浦河までの85km。広大なサラブレッド牧場を抜けると目の前に広がる太平洋・・・あとは、ひたすら太平洋を右手に東へ進路をとる。

 ペンション中村亭の裏庭から国道に出て、今日も前の方を行く。今回のレースのために買ったシューズは、3日目あたりから急激に減りだし、昨日は両足の外側から大きくカッティングされたような状態になっていた。日本縦断のような比較的時間に余裕のある大会なら、道端のゴムタイヤを拾って接着剤で付ける、なんてワザもありだが、このレースに限っては、そんなことをしている余裕は無い。

 来年、2か月に渡る日本縦断に備え、今回は、どれくらいの期間で靴底が減るのか、確認する行為も含まれていた。私の通常のペースで行くと、このように毎日数十キロの距離を走り続けた場合、一週間で新品の靴がダメになる。本来なら、折り返し地点、ちょうど7日目の襟裳岬の宿に靴を送っておくのが賢明だし、往復参加者の多くは、そうしていた。けれど、なぜか私はそれをしなかった。

 結果として・・・7日目の宿に靴を送っても何の意味もなさないことが判明した。

 なぜなら・・・

 この日、走っている途中でなんとなく左の足裏に違和感を感じた。見ると、かかと部分に小石が挟まっている。取り除いてビックリ仰天・・・!

 写真をご覧いただきたい。肌色のものが顔をのぞかせているが、これは私の左手の人差し指の先である。つまり、6日目にして靴底に「穴」があいたのである。申しておくが、新品の靴は、信頼あるメーカーの1万数千円もする最新鋭モデルである!

 私の走り方が超すり足なのは認める。が、いまだかつて、穴をあけたことはなかった。これには、周りも本人もビックリ!である。これでは、宗谷岬どころか明日の襟裳岬にも、いや、本日の宿にさえ到達できない。

 幸運にも、この日は太平洋岸で最大の町「静内町」を通過する。静内町に入って私は懸命に靴やを探した。確かに、国道をはさんで両側に商業施設が並んでいる。きっと、この町ならどこかにランニングシューズが売っているに違いない。

 町のはずれに近くなったころ、ABCマートの子会社のようなものを見つけ、入ってすぐ、定員に窮状を訴えた。あった。分厚い?靴底のシューズが・・・なぜか、幸運にも履いていた靴を下取り?してくれ、別の有名メーカーの靴をわずか4000円足らずでゲットし、その場で履いて走り出した。

 静内の町を出ると、国道沿いに自衛隊の射撃場があり、「射撃中」の看板が出ていた。ちょうど私の目の前を短距離地対空誘導弾が太平洋めがけて45度に飛翔していった。

 さらに進むと、あちらこちらで昆布が干されていた。玉砂利を敷いた上に干した昆布の匂いが懐かしい磯の香を漂わせていた。ちなみに道端に落ちていた昆布を拾って食べた仲間がいる。塩分とミネラル補給のつもりだったそうだが、相当に辛かったそうな。

 この日は、靴を買いに出かけた分、前の集団に追いつけなかったが、一人で制限時間1時間前にゴールできた。ホテルでは久々の一同そろっての会食となり、私は今日の出来事を面白おかしく伝えてシェアした。

 前半戦も明日が最終日・・・早いね。

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脳内ホルモン出まくり! ~ トランスエゾ走行記

2016-08-30 08:32:34 | 旅とランニング
 5日目は栗山から富川までの72km。連続80km越えから解放されてホットする。住宅街と玉ねぎ畑を抜けて、農道を通るとまもなく太平洋が姿を現す。そして、そこには広大なサラブレッド牧場が広がっていた・・・

 先日、すっかりやる気をなくし、だらだらと歩いて早々にリタイアした私は、久々の個室、ということもあって早々に寝てしまった。

 それが良かったのか、翌朝、目覚めると夕食はビール1.5Lしかとっていないのに私の全身にはエネルギーがみなぎっていた。カラダだけでなく、心も充電されていた。

 実は、トランスエゾを走るにあたって私なりに決めたことがあった。それは、「文句を言わない」「他人のせいにしない」、そして「楽しむ」である。
これまでの私は結果にばかりこだわって「楽しむ」ということが足りなかったのではないか?コンビニでビール飲んでアイス食べて、自分の休みたいところで休んではいたのだが、ずーっと個人プレイだった。せっかく、これだけの参加者がいるのだから、もっと誰かと道中を楽しんでみよう。

 そう思って、この日は朝から前の方に位置した。その中には、まみさんの姿もあった。そして、この日初めて私は噂のまみウオークを目の当たりにした。走る、というより競歩の選手の歩きに近い、その走法?は、我々ランナーが追いつこうとしても、やがて置いて行かれる、不思議な走法?であった。食事も歩いてとる、というまみさんなので、私にはマネできないが、それでもこの日は最後にまみさんと一緒にゴールすることができた。

 もう一つ、まみさんと一緒で良かったのは、多少、地図読みには自信のあった私だが、農道への入り口を見落としていたことである。(実際、この日は先頭集団の2名がそのまま突き抜け、制限時間ぎりぎりにゴールするというハプニングもあった。)

 この日の私は、脳内ホルモン出まくりで朝から快調だった。走っていて気持ちが良かった。途中、横断歩道を渡ろうとする私の鼻先を横切った乗用車に思わず飛び蹴りするくらい元気だった。(運転者が私より年上だったこともあって「あんたが道交法守らんで誰が守るんかい!」という正義感を止めることができませんでした。ハイ)

 まだまだ私は、心身ともに元気だ。最後まで、しっかり走ろう!周りからは「ようやくスイッチ、入ってきたね!」と言われた。

 元気に遊ぶ?サラブレッドを見ながら、やがてその日の宿「ペンション中村亭」に着いた。早く着くと時間的にも精神的にもゆとりが生まれ、「疲れない」ということが分かった。

 この日の夕食は、ペンション中村亭が準備してくれた生ビールとジンギスカンだった。太平洋側に出たということで多少、夜の外は寒かったけど、スタートして以来、最高の気分だった・・・
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普通の生活に戻りたい・・・ ~ トランスエゾ走行記

2016-08-29 08:46:31 | 旅とランニング


 4日目、北竜から栗山までの87km。今で大自然いっぱいのコースだったのが、ここへきて、滝川、砂川、美唄、岩見沢・・・といった地方都市を通り、約30km続く日本一の直線道路を走る・・・

 前日、時間切れとなってしまい、完走の夢を絶たれた私のモチベーションは完全にダウンしていた。そんな私の心とは裏腹に、この日も元気に太陽が顔を見せている。しかし、外気温計は14度。半そで短パンでは寒い。これが30度近くまで上がるのだから、ある意味、キツイ。一日の寒暖の差があるのが北海道の夏の気候の特徴だ。

 完全に糸の切れた凧状態となった私は、後ろの方からトボトボと行く。私のやる気な~し、の状態がなるべく他の参加者に感染しないためだ。そうして、私は自分の死に場所、つまり、リタイアポイントを決めていた。カラダは何ともないが、心がこのような状態では、とても87kmも続けていられない。

 加えて、地方都市の町中のレストンラン等の看板が、これまで大平原と海岸線しか見てこなかった私に新鮮が刺激を与え、おいで、おいでをしていた。この時、私は「普通の生活に戻りたい」と心底思っていた。

 「滝川駅」という案内板を見た時、心が動いたが、まだ25km、せめて40kmくらいは進まないとバチが当たりそうだ。そう、他の多くの参加者は気持ちは前に進みたいのに、カラダがついていかない、という状態であるのに対し、私の場合、完全に逆だった。

 地図を見ると40km地点の道の駅を過ぎた先に「奈井江」という駅があったので、そこからJRに乗って岩見沢で乗かえ、栗山に行くことにした。炎天下の直線道路は、もはや気持ちが切れて、だらだらと歩いた。

 道の駅で着替えてビールを飲もうとするけど、売っていない。そうか、飲酒運転を助長することになるもんね。(ただ、ほかの道の駅には売っていたので、どうやらここの道の駅が特別だったらしい。)仕方が無いので、少し先の、この日もセイコーマートにお世話になった。

 奈井江の駅は無人駅だった。1~2時間後に来る電車を待って地元の人が世間話をしていた。私はロータリーのバス停のベンチに腰掛けて先ほど買ってきた食材を広げ、ビールをあおった。見ると、左手に寿司屋があった。ちょっぴり残念・・・まったりとした午後の空気が私の全身をなでていった。

 岩見沢で降りると、なんと、昨日、札幌まで行ってしまったおしどり夫婦が電車を待っていた。そして、たいていの人は私がリタイアした10km先の美唄でリタイアし、数名が岩見沢で合流し、電車はたちまち収容車となった。

 宿についてひとっぷろ浴びると、私はビールを飲んで寝てしまった。この日の夕食はビール1.5Lだった・・・
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時間が・・・無い! ~ トランスエゾ走行記

2016-08-27 07:52:26 | 旅とランニング
 3日目、羽幌から北竜までの85km。スタートしてから日に日に一日の走行距離が増えていくのが何ともキツイ。すでに私のカラダは睡眠不足だった。疲れているので熟睡態勢だが、そもそも寝る時間は3~4時間しか無かった。

 この日のコースは、引き続き、見慣れたオロロンンラインを走り、後半、留萌市内を抜けて内陸に入り、峠を越えるというコース。

 一昨年、なっきーと走ったおなじみのコース、途中、道の駅では「日本一周40日目」と書かれたプレートを貼ったバイクに出くわす。

 留萌市内は少々、複雑だった。国土地理院の地図が最新の状態ではなく、廃線になって撤去された線路がそのまま鉄道として記されていたりして少々と戸惑った。川を渡り、留萌駐屯地の横を通ると市街地の気温が「29℃」を表示していた。それでも、暦の関係上一週間遅く開催されている今年は、例年より涼しいのだという。しかし、実際には路面の照り返しで30度は越えているように体は感じ取っている。

 コンビニでアイスを買って日陰に座って食べていると、かずちゃん&しんちゃんのおしどり夫婦が、向かいのバス停でバスを待っていた。どうやら、ここでバスに乗るらしい。(なんと、そのバスは札幌までのノンストップで彼らとは翌日の午後、とあるところで合流する・・・)

 そのうち、キングもやってきた。彼に追いつかれたら、たいていの人はゴールに間に合わない。私はかろうじて昨日、1分前にゴールしたけれど・・

 この時点で、しっかりと腹をくくっておく必要があった。しかし、算数の苦手な私は、残り時間と制限時間と、そして今、どれくらいのペースで進むべきかの計算が瞬時にできないまま、だらだらと前へ進んだ。やがて、キングの姿は見えなくなり、一人旅になった。

 峠を越えると辺りは夕闇に包まれた。いい加減、残りの時間を見つめなおす時が来ていた。見ると、あと10km以上あるのに、制限時間は1時間ちょっとしかない(笑)

 カラダは、まだまだ元気で走れるのに、なんと制限時間に間に合わず、リタイアを迫られる羽目となってしまったのだ!こんな悔しいことは無い。それでも、往生際の悪い私は、ただひたすら前に進んだ。その横を、目的地方面へと向かう最終バスが通りすぎていく・・・

 完全一人旅なら、こうしていつまでも走っているがよい。しかし、一人の勝手な行動は他の参加者に迷惑を及ぼすのが、今回のような大会なのだ。何としてでも私はミーティング時間までに目的地に到達していなければならなかった。最終手段で主催者の携帯に電話し、路上でピックアップしてもらうことにした。

 初めてこの大会に参加した5年前、意外と簡単にゴールできてしまったので、今回は当然、「完走」を狙って来ていた。これで、完全に完走の目標は絶たれてしまったのだ・・・

 かたわらで、そんな私をなぐさめるかのようにヒマワリが一面に咲いていた。
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雷鳴におののきながら・・・ ~ トランスエゾ走行記

2016-08-26 08:56:05 | 旅とランニング
 2日目、幌延から羽幌の83km。けっこうお腹いっぱいな距離だが、コースは日本海(オロロンライン)に沿って遠くに利尻富士を見ながら進む、多少、起伏のあるけれど単調なコース。

 今日も途中までアブがおっかけてきた。午後になって曇ってくるとアブは来なくなった。どうやら、彼らも雨になってカラダが濡れるのが嫌らしい。

 スタートして20kmでようやくコンビニが現れる。地元のコンビニ、セイコーマートだが、イートインコーナーがあったので、ここでおにぎりと缶ビールを買って飲食する。平日の朝8時から飲んで申し訳ない、と思いながら・・・

 心身をリフレッシュしてスタート。途中から、見慣れた景色になる。初山別のあたりは、一昨年、稚内の走友、なっきーと私の日本一周走り旅の試走で走っている。その初山別の道の駅でソフトクリームを食べる。道の駅を出ると、もう、歩道は無くなった。歩道どころか路側帯も狭く、トラックの往来の多い国道は走るだけで靴底と神経がすり減ってくる。

 直線道路の多い北海道は、普段から80km以上のスピードを出す人が多く、(残念なことにいつも愛知県と全国ワーストを競い合っている。)歩行者として右側走行するのだが、左車線のクルマが(片側1車線の国道で)右側車線に出て追い越しをかけてくるので、その車にも気をつけないといけない。

 前からくるクルマ、そして後ろから追い越しをかけて対向車線にはみ出してくるクルマの両方に気をつけながら進む。しかし、いくらこちら側が気をつけても、一般道を80km前後で走行するクルマを追い抜いていくクルマの平均速度は100km前後だろうから、そんなクルマにはねられたら即死だろう。かつて、実業団の選手が北海道合宿で、そのような心無い運転者にひかれて亡くなった。

 これだけ、合宿やら、走り歩き、自転車、バイク等で全国各地から最果て目指して多くの旅行者等がやって来る北海道なんだから、もっとやさしく運転できないのだろうか?それとも、ここの人たちは、常に親が危篤のかわいそうな状況に直面しているのだろうか??

 前を行く最高齢にしてベテランのよりさんのカラダが今日はかなり左に傾いている。体幹が安定していなかったり、左右の筋力バランスが悪いとカラダは傾くのだが、右側を走っていて左側に傾く、ということはすれ違うクルマの方に思いっきりカラダが傾いているワケで、見ているだけで危ない。すれ違うクルマの方が驚いて、対向車線側に大回りしている。そんなよりさんは、やがてやってきたパトカーに回収された。

 それを教えてくれたのは、通称キングだった。彼は私が参加した5年前以来、トランスエゾ往復コースの覇者であり、今回は6連覇がかかっていた。

 彼の走りは独特だ。最初の半分は、歩くのとほとんど変わらないくらいのゆっくりペースで進む。(もう、すでにこの時点で他の参加者は全員、前に行って誰もいない。)残り半分で全力で追い上げ、他の参加者の最後尾から抜き返していく。もっとも、彼に言わせれば、この方法が一番疲れが残らないのだそうだが、私をはじめ、他の参加者にはマネできない。
 
 そのキングに後半、追いつかれてしまった。廃校跡で地主のKさんとお話ししていた時である。もっとお話ししたかったけど、キングに追いつかれたのでは、先を急ぐしかない、つまり、制限時間まで余裕が無いことを意味していた。

 キングのペースは速く、追いつけない。そのうち、雲行きが怪しくなり、雨が降って来た。そして雷が、すぐ近くで鳴った。走っている私の横で電線がパチパチとショートしている音を聞いた時は、マジ、怖かった。一瞬、バス停(北海道のバス停は冬を考慮して、戸が閉まる小屋のようになっている。)に逃げ込もうかと思ってやめた。見ると、バス停の小屋に電柱から電線がひかれている。今は、できるだけ電線と高いものから離れるのが賢明である。私はできるだけ姿勢を低くしながら走り続けることにした。

 やがて雷鳴がおさまると、今までのが嘘のように羽幌港に沈む夕日が見えた。でも、ゴールの道の駅までは、まだまだ遠い。やがて辺りは暗くなった。暗くなると、集落から遠いこの辺りは街灯がまったく無いことに気づいた。自分の懐中電灯の明かりだけをたよりに、「道の駅2km」の案内板を見つけた時は、思わず泣きそうになった。

 そして、私にはもっと気にかけなければならないことがあった。でも、怖くてなかなかそれができなかった。ようやく1kmを切ったところでこわごわと時計を見る・・・初めて来る道の駅は入口がわからず、少々手間取った。そんなもどかしい思いをしながら、無事、ゴールできた。制限時間の1分前だった。

 ずぶ濡れのまま、みんなが集合するミーティング会場に入る。今日の簡単な報告と明日のコース説明、その後、とりあえず、濡れた衣服を着替えて8時半に終了する食堂に駆け込み、飲食、その後、洗濯をしつつ温泉につかった。

 このように、時間ぎりぎりでゴールすると忙しい。ともすれば、明日のレースに影響する。この日、すでに1分前ゴールということで、この時点で私はもっと慎重になるべきだった。もっと明日のレースの展開について真剣に考えるべきだった。だが、私の頭からは「走り旅」感覚が抜けきっておらず、相変わらず風呂上り後のビールを乾燥器を待ちながら飲み、夜10時半ころ、バタンと布団に倒れ込むように熟睡した。 
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