へんないきもの日記

今日も等身大で…生きてます😁

島巡り

2008-08-31 22:51:59 | 旅とランニング
(久賀島の旧五輪教会にて)

 翌日(今日)は、午前7時に朝食、食後は腹ごなしに港まで散歩。我々20名は目的別に3組に分かれ、ジェットフォイルの出発時間までそれぞれのオプションを楽しんだ。私はメンバー6名と久賀島(ひさかじま)の教会巡りに参加した。

 実は、以前から五島に来るたびに教会巡りをしたい、と思っていたが時間的余裕がなく、果たせずにいた。今回は3時間という時間ではあるが、福江島の隣の久賀島まで船で渡り、3箇所の教会巡りをする。全てガイド付きである。

 2階のデッキで缶ビールを飲み、太陽にさらされていると何となくセレブ気分・・・おっと、これから教会に行くのだ。何て不謹慎な・・・

 最初に案内されたのは五輪地区という現在では4世帯しか住んでいない集落にある木造教会。隣に現在も使われている五輪教会があり、この教会が建てられる時、古い教会を取り壊す寸前まできたが、何とか住民の手によって現在まで守り通されている。国の重要文化財に指定されている教会である。ちなみに五輪(ごりんと読む。)地区は、五輪真弓の父の出身地だそうだ。

 そして次に行ったのが浜崎教会。ここは現在も使われており、今朝もミサがあったそうだ。その敷地内にはゲートボール場があり、炎天下、皆さん元気にゲートボールをされていた。
 以前、この教会を訪れた観光客が教会の鐘を鳴らし島の住民とのトラブルに発展したことがあるそうだ。教会の鐘、というのは、この島の人たちにとって合図、つまり、鐘が鳴ったら教会に集まるという信号である。それだけ島の人たちにとって教会というのは一種の集会場、コミュニティーなのかもしれない。(だから敷地内にゲートボール場があるのか?)

 最後に案内されたのは、「牢屋のさこ」と呼ばれる、キリシタン弾圧の現場である。わずか12畳ほどのところに200人ほどの老人・子供を含む信者が押し込められ、1日に芋一切れと水だけが与えられた。ほとんどの者が死んでいく中で何人かは生き残り、記録に残している。

 迫害と弾圧の中で、それほどまでして守り抜かなければならなかったモノとはいったい何だったのだろうか・・・思わず、遠藤周作の本を読みたくなった。

 心を洗い、自らを懺悔したのもつかの間、港に戻って昼食は生ビールにステーキ、そして長崎に戻る船の中で焼酎、そして熊本に帰るバスの中でも飲み、家に帰った今もまだ飲んでいる・・・ただし、自由に飲み食いできる「今」に感謝しつつ・・・
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第22回五島列島夕焼けマラソン

2008-08-31 22:29:21 | 旅とランニング
 土日で熊本のランニング仲間、スポーツクラブ仲間と集って総勢20名弱で五島列島夕焼けマラソンに行ってきた。夕方5時半スタートの大会なので午前中のうちに熊本市内から長崎行きの高速バス(予約制)に乗り、3時間かかって長崎に到着。昼食は中華街。運良く20名ご一行様を受け入れてくれる店があり、2階の畳部屋に案内された。なんだか雰囲気的に宴会場・・・とくれば、当然、ビールである。どうやら同じ思考過程の人がいて、ビールに皿うどん、ちゃんぽんをテキトーに頼んだ。

 五島へはアイアンマン・ジャパンのボランティアとして2ヶ月前に来たばかり。
 いつもは長崎港から4時間かけてフェリーで行くが、今回はジェットフォイルで1時間半。受付を済ませ、宿まで歩いて荷物を預け・・・とスタートまで40分しかない!!アップがてら宿からスタート会場まで走り・・・と結構バタバタした。

 市民ランナー人口が増えているのか、最近、どこの大会に行っても人が多い。一応、ゴール予想タイムを書いた看板を持って立っているスタッフのところに並ぶ決まりになってはいるが、見栄かはたまた自身の実力を知らないのか、実際のゴールタイムより速いところに並んでいるランナーには困る。

 スタートは事前にカウントダウンもなく、何の前触れも無しにいつスタートしたのかわからない、いかにも島らしい、まったりとしたスタートであった。
 私は2時間切りのラインに並んだが、とにかく多い多い、人が多い。歩道を突っ走って、かなり人がばらけたラインに来てようやく自身のペースで走ることができた。(ホント、最近の大会は、いらぬ労力を使います。)

 ハーフという距離ながらも、多くのエイドには飲料のほかにスイカが用意されていた。そう、まるでバナナの代わりのようにスイカがあった!しかも、阿蘇で出される熊本県産のスイカより糖度があって美味しい!(ゴメンナサイ)

 ながーい距離を始めて以来、すっかりイーブン・ペースが身に付き、この手のレースに出ても一定のペースから抜け出せない。自分としては結構、速く走ったつもりだが何のコトはない、1時間56分という平々凡々としたタイム。(以前は1時間40そこそこで走れていた時代もあったのだよお~)今回、一緒に参加したNさん(女性)は1時間31分、なんと我々ツアー・メンバーの中で最も速くゴールした。

 終わって即、ビール売り場へ駆け込み、缶ビールをゲット。そのまま五島牛の試食会へ。タレをこぼして布巾を借りて拭いている間に出遅れてしまった!(ゴール会場に五島牛試食場が用意されており、5人一組に1テーブル、おばさんが炭火で肉とキャベツを焼いてくれる。5人分の量は決まっているから、当然、早いモノ勝ち!まさに弱肉強食の世界)出遅れた分、最後までしつこく食べていた。

 宿に帰って風呂を浴び、午後9時から宴会。11時半にはおとなしく(多分、いびきをかいたと思うので決しておとなしくはない。)寝た。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グルジア・ワイン、グルジア・パン・・・

2008-08-29 00:17:01 | 日々雑感
 素朴な味わいで、やや酸味の強いグルジア・パンが以前から好きだった・・・
 グルジア・ワイン・・・の名は、かなり前から聞いていたが、実際、賞味する機会を得たのは、長らくの九州勤務を経て故郷の北海道に転勤になり、札幌のロシア料理店で仲間と対ロシア戦のサッカーの試合を観ていたから、おそらく2002年頃のことであったと思う。

 突如、店の主が倉庫から取り出したグルジア・ワイン(赤)を振る舞ってくれた。

 ロシアの広大な領土の中でも黒海に面したこの地域は、かなり温暖な気候である。だから良質のブドウも育つ。ワインの歴史もかなり古いはず。(発祥の地は、どこか忘れたが、多分、この辺だったような気もする・・・スイマセン)かなりの期待度を持って望んだその味は・・・「う~む」カビ臭い。今思うと本当にカビが生えていたのかもしれない・・・

 そんなこんなで私のグルジアに対する思いは、「おおらかさと、のびやかさ」のイメージに包まれていた。実は、そのグルジアが歴史的にも勇猛果敢なコサックの地であることを最近のグルジア情勢の報道で知った。


 平和の祭典、オリンピックが終わり、待ってましたとばかりに北朝鮮、スーダン、グルジア、アフガニスタン・・・世界各地の火薬庫がくすぶり始めた。

 これらの出来事の多くはオリンピック期間中も現在進行形であり、我々は目の前の平和の祭典に釘付けになるあまり、一種の報道規制、報道統制を受けていたのであろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春はあけぼの、秋は夜・・・

2008-08-26 22:42:56 | 日々雑感
 夏の間、暑い日中を避け、早朝に近くの江津湖をランニング。それがいつしか日課になった。仕事中もクーラーに当たりすぎると昼休みに直射日光の下でランニング、そして涼しくなった夕方、再びランニング・・・朝・昼・夕の一日3度のランニング。

 だが、ここへきて、すっかり涼しくなったというのに、なぜか早朝ランが続かない。いつしか季節は秋へと移ろい(まだまだ九州は暑いが、私の中では”秋”なのだ。)日が短くなったからであろうか。朝、起きられない、というか夜型人間になりつつある。つくづく、「春はあけぼの、秋は夜」を実感・・・!!

 ランニング量の減少に加えて増加したものが食欲!涼しさが舞い戻り、野獣の如き食欲も舞い戻ってきた!

 ところで、トラックバックの中から興味深いブログを発見!ひとつは「多酒彩々」なる題名で名の通り、酒と肴の紹介。個人的にも興味津々なブログである。
そして、もうひとつは福岡を中心に「ちょいグルおやじの美味しい毎日!?」なるブログ。私もしょっちゅう福岡に行くのでランチの参考にさせていただく。

 何だか見ているだけでヨダレが出てくるブログである・・・やっぱ「春はあけぼの、秋は”食欲”」か。ある意味、どんどん野生化していく自分を感じている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メダル、その後・・・

2008-08-25 21:23:16 | 日々雑感
 昨日、北京五輪が静かに(とは言い難いが)幕を閉じた。
 今日、こんな記事を沖縄タイムスで目にした。(九州にいながら、郵送で沖縄タイムスをとっている。記事は一日遅れ=台風があると2日遅れ?だが、なかなか他社にはない視点で記事を書くので結構、気に入っている。)

 「ボルト選手が被災児に寄付=四川大地震」
 ウサイン・ボルト選手(22)が、四川大地震で被災した子供達のために日本円にして545万円を中国赤十字社を通じて寄付したそうだ。

 金メダリストの単なるカリスマ性、パフォーマンスの誇示、と思われるかもしれないが、被災で片足を失った男女の児童1人ずつを前にしてボルト選手は、「走る喜びやダンスに興じる経験ができないかもしれない。彼らが笑顔を取り戻す手助けをしたかった。」と神妙な面持ちで語ったそうだ。

 かつてアテネ五輪で金メダリストとなり、母国(日本ではありません。)で多大な賞金を受け、その全てを夜の街に投資したアスリートがいた。ある意味、我々凡人以上の苦しみに耐えた結果なのだから、享楽は当然・・という考えも正しい、と思う。

 だが、果たして、その選手には最終的に何が残ったのだろうか・・・

 競技以外にも通じる教訓がある・・・一流大学に入るため、一流(と言われた)企業に入社するため、どれだけ我々(少なくとも昭和40年前後生まれ=そう、アラフォーですかね?今、流行のコトバで言うと・・・)は心血を注いできたことでしょうか・・・だが、一旦、入ってしまえば、こっちのもの・・・あとはベルトコンベアーに乗って・・・ナンテ世界、今の世に誰も夢見ていないですよ。ね?

 大切なのは、「金」をとったその後・・・自分はどうするのか、どうあるべきか、周囲に惑わされることなく、自分なりのしっかりしたビジョンを確立せよ!というコトでしょうか・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする