へんないきもの日記

今日も等身大で…生きてます😁

BABEL

2008-01-30 19:23:49 | 日々雑感
 目覚ましをセットしていたが50分も寝坊してしまった。先日、実家に電話して以来、寝てからもあれこれ考えていたのだろう。思わず、実家に電話して怒鳴りつけたくなった。「死んだ時以外、電話してくるな。」と。(勿論、そんな事は言わないけれど。)

 ≪BABEL≫という映画があった。言葉が通じない、互いに意思疎通できないもどかしさを旧約聖書のバベルの塔にたとえた映画だ。何だか我が家の状態もバベル状態だ。

 今日、仕事先で10年ほど前にお世話になった方の死を知らされた。享年51歳、今年も年賀状をいただいたばかりだった・・・

 とても元気な方だったので信じられない。うちの両親は70代後半、いつ死んでもおかしくない年齢だが、案外、長生きするのかもしれない。「死んだ時以外、電話してくるな。」と言ったら、こちらから電話しない限り、あと10年は電話がかかって来ないかもしれない・・・ま、いいっか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過去との訣別

2008-01-29 23:47:35 | 日々雑感
 私は、ブログのほかに毎日、個人的に日記をつけている。このブログもだいぶ私的になってきたが、日記のほうは更に私的な内容だ。その中で、「過去との訣別」という言葉を何回も使っている。別に忘れなければならないほどつらい過去があった訳ではないが、なぜか使っている。

 先ほど、スポーツクラブから帰ったら、留守電が入っていた。小樽の実家からだった。瞬時に両親のどちらかが亡くなった知らせだと理解した。電話をするのに勇気がいった。「・・・もしもし、わし。なんね・・・」「3月いっぱいで今住んでいる借家の契約が切れるので、山の家に引っ越す。」とのこと。「その際、あんたの荷物も全部、捨てるから。いいね。」もっとほかに言い方はないのかと思いつつ、つい言ってしまった。「こんな夜に電話して来るのは、死んだ時ぐらいにして。」と。

 捨ててくれるのはかまわないが、どうしてもグランドピアノだけは手放せなかった。が、仕方がない。やがて私自身も人生の折り返し地点に到達する。今のうちから手持ちは少なくしていった方がいい。だが、せめて今ある電子ピアノだけは最後まで残しておこう、と思うのであった・・・(なんか今日は暗くなってしまった。だが、明日は仕事で朝早い。今の私にはよく吟味する余裕がない。とりあえず、寝ることにする。)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一度も植民地になったことがない日本

2008-01-28 23:21:36 | 日々雑感
 以前も紹介した「一度も植民地になったことがない日本」という本の中から、またまた興味深い内容を見つけたので2、3書きたい。

 「南蛮菓子」「南蛮渡来」「南蛮人」・・・学校の社会科の授業で初めて耳にした「南蛮」という言葉には不思議な響きがあった。でも、なぜ、「南蛮」なのだろう・・・その謎がこの本には隠されている。

 「南蛮人」とは文字通り「南から来た野蛮な人」である。なぜ、当時の日本人は彼らをそう思ったのか?著者が言うには、毎日風呂に入る習慣が無く(当時から肉食であった彼らは、日本人と違い、今と変わりなく体臭がきつかったに違いない。)、家の中を土足で歩く。食事の際は、刃物(ナイフやフォークのこと)で動物の肉を切る行為は、まさしく蛮族そのものだった・・・

 もっとおもしろい話がある。黒人の奴隷を南蛮人から差し出された織田信長は、家来に命じて風呂場でその体をゴシゴシこすらせたそうな。だが、いくらこすっても黒い色が落ちないので、「ああ、世の中には、こういう人もいるのだ。」と感歎し、他の家来同様、連れて歩いたそうだ。何ともおおらかだ。

 著者が外国に行くと、特に開発途上国の人から「日本のマスターズ・カントリーはどこですか?」と聞かれるそうだ。「マスターズ・カントリー」とは直訳どおり「ご主人様の国」である。著者が言うには、アジア・アフリカで植民地になったことがない国は、タイとエチオピア、そして日本だそうだ。(日本は第二次世界大戦の敗戦で沖縄がアメリカの植民地になった、と私は認識している。また、本土にもGHQが置かれた事自体、私の中では「植民地化」されたという認識なのだが・・・)そういう意味で私は「日本のマスターズ・カントリーは、アメリカです。」と答える。だが、そのアメリカは、もはや日本に興味を示していない。彼らが今、興味を持っているのは中国であろう。

 話は戻るが、南蛮人が日本に来た理由は、キリスト教の布教と同時に当時の日本を植民地化することにあったらしい。だから結果論からするとキリスト教の弾圧は正しい判断であった、という事になる。乱暴な言い方だが・・・もしかすると、つい最近まで「ポルトガル領NAGASAKI」なんて事になっていたかもしれない。

 長い間続いた鎖国とキリスト教弾圧が、結果的には日本を欧米諸国の植民地化から守った・・・と著者は言っている。だが、その代償が広島と長崎の2度に渡る原爆だとしたら、なんと大きな代償であろう・・・結局、当時の欧米列強のような相手に逆らう者は、最終的にこういう目に遭うんだぞ、と息の根を止められたような気がしてならない。長いものに巻かれたくないが、時には巻かれなければいけない事もあるのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Mucho Caliente!

2008-01-27 22:00:37 | 日々雑感
(「ムーチョ・カリエンテ」とは、直訳すると「とても熱い」という意味のスペイン語。もっとわかりやすく言うと「あついぜっ!」「あつか~!」)

 解体作業から戻ってひとっ風呂浴びて頭からかぶった埃を落とす・・・夕方、市内のビルの一角にあるステージへ、フラメンコ・ライブを聴きに(観に)行った。

 キャストはギター(ギターラ)と歌い手(カンテ)、そしてフラメンコに欠かせない踊り手(バイレ)。全員日本人だが、歌詞はスペイン語で歌われていた。7年間、スペイン語を勉強してきたおかげで歌詞の意味も大体わかる。「エン ラ モンターニャ・・・・」と聞いて即座に頂に雪を抱いたシエラネバダ山脈が頭に浮かんだ。(ここで言うシエラネバダはフラメンコの本拠地スペイン・アンダルシア地方にあるもの。同じ名前のものがアメリカ合衆国カリフォルニア州にある。)
「ウナ マリポサ・・・ブランカ」という言葉が歌の随所に出てくる・・・「マリポサ」とは「蝶」の意味だが、「オカマ」を意味する俗語でもある・・・

 最初は、ギターラとカンテのみだったので、ひたすら歌詞を聴いて頭の中でイメージした・・・中にはスペインの歴史を象徴するかの如く、フランコ独裁政権から解放された喜びを表す歌もあった。だが、喜びを表現するにもメロディーが悲しいのは何故だろう・・・それは、ジプシー(日本では「ジプシー」だが、世界一般的には「ロマ」と呼ばれている。)の歩んできた道のりが、そうさせるのかもしれない。

 ジプシー(ここでは、あえて「ロマ人(びと)」と呼ぼう。)
 ロマ人は、もともとインド北西部に住んでいたが、何らかの理由で中世の時代に土地を追われ、西へ西へと移動するうちにヨーロッパへたどり着いた。そして、スペインでは当時、勢力の強かったアラブの文化と融合し、フラメンコを生み出した。ほかにも、東欧(ルーマニアやハンガリー)では民族音楽と融合し、チャルダッシュなるものを生み出し、ロシアではロシア民謡に影響を与えた。その代表的なものの一つが「黒い瞳」である。

 自身の民族としての誇りを持ちつつも、それぞれの地での文化を受け入れていかねば生きていけない現実・・・だが、それが、かえって我々の心をその底から揺さぶる・・・あえてこれをひとことで表現するならば、「悲しき熱情」といったところか・・・

 だが、それもバイレ(踊り手)が加わって、フラメンコ本来の活気を取り戻し、私の概念も「悲しき熱情」から「ムーチョ・カリエンテ」に変わっていった・・・ギターのリズムと歌い手の手拍子、そして踊り手のステップが見事に合致して一つの形を成している。やはり、フラメンコはバイレ無くして語れない・・・

 タイやバリの踊り子を思わせる優雅な手のしぐさに加え、ベリーダンスなみの腰の振り、そしてタンゴの如く瞬時の180度の方向変換・・・は観る者を釘付けにする・・・以前、同様のフラメンコをやはり熊本で観た。踊り手は男性であったが、その時は「情熱」というか「力強さ」を感じた。総称的には、踊り手は女性である方が、フラメンコの魅力をより引き出せるような気がする・・・男性の踊り手がベリーダンスなみに腰をくねらせてきたら、やはりコワイ。それこそ、「マリポサ」と思わず身構えてしまうだろう・・・

 わずか1時間余りの短いステージだったのが残念である。(通常、クラシックのコンサートは1時間半~2時間なのだが・・・) 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

解体作業

2008-01-27 21:16:21 | 日々雑感
 理由(わけ)あって、福岡ライフセービングクラブの拠点を移動することとなった。家主から「タダで貸すけん、維持してくれ。」と言われた家は数年間、人が住んでいなかった事もあり、荒れ果てていた・・・昨年秋から、それぞれの休日を利用して細々と準備をしてきた。今日は、大がかりな解体作業である。

 倉庫として使うだけなので人が住む訳ではないが、それにしても初めて目にした我々を驚かせたのは、ゆがんだ屋根、雨水が流れずに溜まったままの玄関、そして二階に上がると、へこむ床には口がふさがった・・・。

 中の不要な物をゴミとして分別し、屋根の瓦をはいで漆喰を落とす作業・・・まるで解体業者か被災地のボランティアだ。女性陣が中の不要な物を次々と外へ出し、分別して行く間に、男性陣は屋根に上がって瓦をはいで漆喰を落として行く。
我々が中で作業している間、上から漆喰が落ちてきて危ない。全てそぎ落として残った骨組みは・・・結局、内張も腐りかけていた・・・いったいこれで新しい屋根が葺き替えられるのか心配である。我々素人にはどうしようもないので、ここから先は、ある程度、プロの業者にお任せとなる。

 夕方までに熊本へ戻らねばならなかったので午後には退散。作業時間より移動時間が長くなってしまった。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする