昨日は長崎県の橘湾岸スーパーマラニックに参加し、先ほど帰ってきました。
100kmの部に参加し、午前1時のレイトスタート。(何を間違ったか、一昨年の記録で1時グループに入れられてしまった。)
案の定、最後尾からのスタート。しかし、これが中間地点を過ぎた島原城まで続く・・・想定外!
厳密にいうと、一緒にスタートした1時グループにはゴールまで会えなかった。私が途中で抜いたのは全て12時スタートの人たちだ。どんだけ速いんだ、1時グループは・・・!!
島原城に行くまで、他のランナーよりあまりに遅すぎる私の周りを大会関係者のクルマがうろうろする・・・「大丈夫ですか?」「乗りますか?」
いったい、誰に向かってものを言ってんだ、と言いたくなったけど・・・ま、はたから見ればそれだけ遅いってコト。
30km地点の原城では、いつも電気が煌々とした中、スタッフに迎えられるのに、この夜は、真っ暗・・・その暗闇の中、一人で天草四郎の銅像とクルスのある丘へと向かう。チェックポイントと書かれた看板にチェッカーは無かった。いつもここは不気味でさっさと立ち去りたいところであるが、この日ばかりはチェッカーを探しまくった。無い・・・
椅子とテーブルとその上に少量ばかり残された食べ物を口に放り込み、坂を下る・・・瞬時に30km関門アウトの文字が脳裏をよぎる・・・
まもなく、坂の下から1台の乗用車が現れた。スタッフのクルマだ。チェッカーが壊れたんで私がサインします・・とのこと。
それから40km、50kmまで急に台風並みの向かい風が吹き、さらに前へ進まなくなる。
いつもより1時間以上遅く島原城に到着・・・缶ビールとゆず胡椒を効かせた豆腐が腹に染みわたる。
おかげで雲仙に向かう坂も走って登る。前半、足をさほど使っていない分、まだまだ余力は残っている。これがジャーニーランスタイルなのだ。つまり、力を使い果さず、次も、またその次も力を使えるように小出しにして使う・・
しかし、その先には「関門」という鬼門が待ち受けていた。例の「わ」ナンバーのスタッフ車が「関門、関門」と言って追いかけてくる。
事実、私の前後のランナーは、この関門車に見事、からめ捕られていた。
わざわざ沖縄から来て、関門でからめ捕られてなるものか。だって、まだまだ元気いっぱいなのである。ただ、速く走りたくない、いや、速く走れないだけなのだ。
「エイドは撤収してもらって結構です。あとは自力で帰りますから。ほら、懐中電灯だって持ってるし・・・」と言っても通用しない。ただひたすら、次のエイドの関門で待っていますから・・・と。
こうなりゃ、意地でも関門を通らなければならない。ここって公式大会だっけ?なんだか阿蘇化してきたんじゃないの??
せっかくの眉山ロードから深江の景色も、あまり楽しくない気分で降りて、再び雲仙へ向かう。いつもは歩く坂も、かなり走った。
私は常にイーブンで、だから私のウリは「最初から最後までペースが変わらない。」なのだが、この日ばかりはイーブンでは間に合わないことは目に見えている。仕方なく、徐々にペースアップして行った。100kmビルドアップ走だ。
そうして最終関門の95.5kmに差し掛かる頃、にわかに回りが慌ただしくなった。というのも、この日の私は時計はおろか携帯も置いてきた。私自身、時を知るすべは無い。だから、こうして周りのランナーの様子で推測した。どうも、この尋常ではない周囲の様子から、関門は、かなりやばいことがうかがえた。
そこへ、さらに追い打ちをかけるように「ヘイ、ハイ、ホイ、オラ・・」ってなハワイ語かなんだかわからない言語が近づいてきた。どうやら、我々と同じランナーで95.5kmの関門を必死にすり抜けようとくだりを猛ダッシュしているらしい。私も、つられるようにスピードアップした。
あと1.7km・・・あと0.9km・・とスタッフが叫ぶ・・本当にビルドアップだ。
私のすぐ前にゴールした例のヘイホー男にスタッフが言った。「おめでとうー、間に合いました。」
っで、私は・・?「今、何時ですか?」「4時16分」「で、関門は何時だったんですか?」「4時20分」
・・・つまりは、間に合った、ということだ。チェックをして、すぐ、先へ進む。大方の人は、ここで安心し、まるでここがゴールのように休憩していた。
が、さらにゴールまで6km近くある。残り時間40分・・・
なんとしてでも走って時間内完走したい。
国道に出たカーブにスタッフがいた。「道判りますか?」「はい。」と言ってふと見ると、あらぬ方に白線が引かれていた。どうやら、昨年からコースが変わったらしい。とにかく白線を頼りに走る・走る・走る・・・
残り時間3~4分前のゴール・・・意に反して加速させられた足の裏はジンジンしてきた。
「遅いぞ、もっと速く走れ。」と九州時代の仲間・・・
もう、100kmはたくさんだ。これで終わりにしよう。私は本当にゆっくりしたい。
しかし、ゴール後の宴会で全国から集まった仲間・・大会に出ない、ということは、これだけの仲間とのつながりを失うことになる・・・
想定外の加速で、まるで初100kmゴール後のように足を引きずりながら寝床へ・・・
翌朝、3次会まで参加?したと思われるT嬢が「誰か、私のメガネ、知らない?メガネ、メガネ・・・」「ちょっと待って、自分もメガネかけるから・・・」
携帯電話のようにコールバックしないからね。メガネは・・・いっそ、目立つように白いフレームにしたら??
やっぱり私は来年もこの大会に参加しているだろう。このおかしく楽しい仲間たちに逢うために。でも、今よりもう少し、月間走行距離は伸ばして楽しく走りたい。明日からの通勤ランは遠回りコースにすることにした。
100kmの部に参加し、午前1時のレイトスタート。(何を間違ったか、一昨年の記録で1時グループに入れられてしまった。)
案の定、最後尾からのスタート。しかし、これが中間地点を過ぎた島原城まで続く・・・想定外!
厳密にいうと、一緒にスタートした1時グループにはゴールまで会えなかった。私が途中で抜いたのは全て12時スタートの人たちだ。どんだけ速いんだ、1時グループは・・・!!
島原城に行くまで、他のランナーよりあまりに遅すぎる私の周りを大会関係者のクルマがうろうろする・・・「大丈夫ですか?」「乗りますか?」
いったい、誰に向かってものを言ってんだ、と言いたくなったけど・・・ま、はたから見ればそれだけ遅いってコト。
30km地点の原城では、いつも電気が煌々とした中、スタッフに迎えられるのに、この夜は、真っ暗・・・その暗闇の中、一人で天草四郎の銅像とクルスのある丘へと向かう。チェックポイントと書かれた看板にチェッカーは無かった。いつもここは不気味でさっさと立ち去りたいところであるが、この日ばかりはチェッカーを探しまくった。無い・・・
椅子とテーブルとその上に少量ばかり残された食べ物を口に放り込み、坂を下る・・・瞬時に30km関門アウトの文字が脳裏をよぎる・・・
まもなく、坂の下から1台の乗用車が現れた。スタッフのクルマだ。チェッカーが壊れたんで私がサインします・・とのこと。
それから40km、50kmまで急に台風並みの向かい風が吹き、さらに前へ進まなくなる。
いつもより1時間以上遅く島原城に到着・・・缶ビールとゆず胡椒を効かせた豆腐が腹に染みわたる。
おかげで雲仙に向かう坂も走って登る。前半、足をさほど使っていない分、まだまだ余力は残っている。これがジャーニーランスタイルなのだ。つまり、力を使い果さず、次も、またその次も力を使えるように小出しにして使う・・
しかし、その先には「関門」という鬼門が待ち受けていた。例の「わ」ナンバーのスタッフ車が「関門、関門」と言って追いかけてくる。
事実、私の前後のランナーは、この関門車に見事、からめ捕られていた。
わざわざ沖縄から来て、関門でからめ捕られてなるものか。だって、まだまだ元気いっぱいなのである。ただ、速く走りたくない、いや、速く走れないだけなのだ。
「エイドは撤収してもらって結構です。あとは自力で帰りますから。ほら、懐中電灯だって持ってるし・・・」と言っても通用しない。ただひたすら、次のエイドの関門で待っていますから・・・と。
こうなりゃ、意地でも関門を通らなければならない。ここって公式大会だっけ?なんだか阿蘇化してきたんじゃないの??
せっかくの眉山ロードから深江の景色も、あまり楽しくない気分で降りて、再び雲仙へ向かう。いつもは歩く坂も、かなり走った。
私は常にイーブンで、だから私のウリは「最初から最後までペースが変わらない。」なのだが、この日ばかりはイーブンでは間に合わないことは目に見えている。仕方なく、徐々にペースアップして行った。100kmビルドアップ走だ。
そうして最終関門の95.5kmに差し掛かる頃、にわかに回りが慌ただしくなった。というのも、この日の私は時計はおろか携帯も置いてきた。私自身、時を知るすべは無い。だから、こうして周りのランナーの様子で推測した。どうも、この尋常ではない周囲の様子から、関門は、かなりやばいことがうかがえた。
そこへ、さらに追い打ちをかけるように「ヘイ、ハイ、ホイ、オラ・・」ってなハワイ語かなんだかわからない言語が近づいてきた。どうやら、我々と同じランナーで95.5kmの関門を必死にすり抜けようとくだりを猛ダッシュしているらしい。私も、つられるようにスピードアップした。
あと1.7km・・・あと0.9km・・とスタッフが叫ぶ・・本当にビルドアップだ。
私のすぐ前にゴールした例のヘイホー男にスタッフが言った。「おめでとうー、間に合いました。」
っで、私は・・?「今、何時ですか?」「4時16分」「で、関門は何時だったんですか?」「4時20分」
・・・つまりは、間に合った、ということだ。チェックをして、すぐ、先へ進む。大方の人は、ここで安心し、まるでここがゴールのように休憩していた。
が、さらにゴールまで6km近くある。残り時間40分・・・
なんとしてでも走って時間内完走したい。
国道に出たカーブにスタッフがいた。「道判りますか?」「はい。」と言ってふと見ると、あらぬ方に白線が引かれていた。どうやら、昨年からコースが変わったらしい。とにかく白線を頼りに走る・走る・走る・・・
残り時間3~4分前のゴール・・・意に反して加速させられた足の裏はジンジンしてきた。
「遅いぞ、もっと速く走れ。」と九州時代の仲間・・・
もう、100kmはたくさんだ。これで終わりにしよう。私は本当にゆっくりしたい。
しかし、ゴール後の宴会で全国から集まった仲間・・大会に出ない、ということは、これだけの仲間とのつながりを失うことになる・・・
想定外の加速で、まるで初100kmゴール後のように足を引きずりながら寝床へ・・・
翌朝、3次会まで参加?したと思われるT嬢が「誰か、私のメガネ、知らない?メガネ、メガネ・・・」「ちょっと待って、自分もメガネかけるから・・・」
携帯電話のようにコールバックしないからね。メガネは・・・いっそ、目立つように白いフレームにしたら??
やっぱり私は来年もこの大会に参加しているだろう。このおかしく楽しい仲間たちに逢うために。でも、今よりもう少し、月間走行距離は伸ばして楽しく走りたい。明日からの通勤ランは遠回りコースにすることにした。