はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

鑑賞サイト 049:戦争

2006年12月07日 20時24分49秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
復員の叔父の腹部の弾痕がわが幼日の戦争の記憶
  (中村うさこ) (みすずかる信濃の庵(いお)の歌綴り)

 このような「戦争の記憶」の伝え方もあるのだ、と深く感じました。
 「復員の叔父」すら持たない世代が圧倒的となり、今やモニュメントか映像、文書でしか戦争を感じられない。
 長く平和が続いた証として、それはとてもとても幸せなことなのだけれど。
 こんな大切な「記憶」をパッケージして、他の人にも伝えられる〈短歌〉という詩形は、本当に素晴らしいと改めて思います。
 「弾痕」という、現在の日本ではまず目にしない熟語が、まるで本当の弾丸の跡のように見えます。

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戦争がはじまる前のしずけさはどこからどこまでなのか教えて
           (末松さくや) (旅人の空(待ち人の雪別館))

 「しずけさ」は続いているけれども、「戦争」と関係がないしずけさ、「戦争」が始まった後のしずけさ、「戦争」が終わった後のしずけさ。そしてそのあいだのしずけさ。
 これらに差や違いはあるのか。変わった瞬間を、感じることはできるのでしょうか。
 ひらがなの中に散るいくつもの濁音が、不安なしずけさを増しているように思えました。

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戦争をしているときの目だねって覗きこまれているキスの後
                 (田丸まひる) (ほおずり練習帳。)
 
 恋人同士が見つめ合うのはキスの前、という先入観がありましたが、確かに「キスの後」の余韻に浸って見つめ合っているときの方が、情感が高まっているかもしれません。
 「恋は戦い」というのも常套句の一つですが、互いの気持ちを確認した直後の人は、「戦争をしているとき」と同じ状態なのでしょうか。

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戦争を思ひ出すため夏が来て空を響動す黒き蝉声(せんせい)
                        (今泉洋子) (sironeko)

 別に、夏にしか戦争をしていなかった訳ではないのに、夏にしか戦争のイベントを見かけないのはなぜなのでしょう。
 そんな誰もが抱く思いを、「思ひ出すため夏が来」ると、逆説的に表現することで、さらに増幅させています。
 蝉の声すらも、一時的なイベントのためだけに鳴いているのでしょうか。