はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

あらたま(斎藤茂吉料理歌集)

2008年10月02日 06時27分09秒 | 斎藤茂吉料理歌集
「あらたま」


大正二年九月より

いきどほろしきこの身もつひに默(もだ)しつつ入日(いりひ)のなかに無花果(いちじゆく)を食む

郊外をか往(ゆ)きかく往き坂のぼり黄いろき茸(きのこ)ふみにじりたり

ひたぶるにトマト畑を飛びこゆるわれの心のいきどほろしも

狂院のうらの畑の玉(たま)キャベツ豚の子どもは越えがたきかな

みちたらはざる心をもちて湯のたぎり見つめけるかな宿直(とのゐ)をしつつ


大正三年

七面鳥の腹へりしかばたわやめは菜をもちてこまごまと切る

みちのくに米(よね)とぼしとぞ小夜(さよ)ふけし電車のなかに父をしぞ思ふ

なげかざる女のまなこ直(ただ)さびし電燈(でんとう)のもとに湯はたぎるなり

豚の子と軍鶏(しやも)ともの食ふところなり我が魂ももとほるところ

はつ夏の日の照りわたる狂院のせとの土原(つちはら)に軍鶏むらがれり

きちがひの遊歩(いうほ)がへりのむらがりのひとり掌(て)を合(あは)す水に向きつつ

家鴨(あひる)らに食(は)み殘(のこ)されしダアリアは暴風(あらし)の中に伏しにけるかも

ふくらめる陸稻(をかぼ)ばたけに人はゐずあめなるや日のひかり澄みつつ

空をかぎりまろくひろごれる畑(あをはた)をいそぎてのぼる人ひとり見ゆ

ありがたや玉蜀黍(たうきび)の實のもろもろもみな紅毛(こうまう)をいただきにけり

あかあかと南瓜(かぼちや)ころがりゐたりけりむかうの道を農夫はかへる

ゆふづくと南瓜ばたけに漂へるあかき遊光(いうくわう)に礙(さはり)あらずも

眞日(まひ)おつる陸稻(をかぼ)ばたけの向(むか)うにもひとりさびしく農夫かがめり

たどり来て煙草(たばこ)ばたけに密(ひそ)ひそと煙草の花を妻とぬすみぬ

妻とふたり命まもりて海つべに直(ただ)つつましく魚(うを)くひにけり

この濱に家(いへ)ゐて鱗(うろくづ)を食ひしかば命はながくなりにけむかも

いちめんにふくらみ圓(まろ)き粟畑(あははた)を潮ふきあげし疾(はや)かぜとほる

あをあをとおもき煙草のひろ葉(は)畑(ばた)くろき著物(きもの)の人かがみつも

旅を來てかすかに心(こころ)の澄むものは一樹(いちじゅ)のかげの蒟蒻(こんにやく)ぐさのたま

しみじみと肉眼もちて見るものは蒟蒻ぐさのくきの太(ふと)たち

ほくほくとけふも三崎へのぼり馬粟畑(あははた)こえていななきにけり

こんにやくの莖(くき)の斑(あをふ)の太莖(ふとくき)をすぽりと抜きて聲(こゑ)もたてなく

ゆふされば大根の葉にふる時雨(しぐれ)いたく寂しく降りにけるかも


大正四年

墓地(ぼち)かげに機關銃のおとけたたましすなはち我は汁(しる)のみにけり

うち默(もだ)し狂者(きやうじや)を解體(かいたい)する窓の外(と)の面(も)にひとりふたり麥(むぎ)刈る音す

みちのくの勿来(なこそ)へ入(い)らむ山がひに梅干(うめぼし)ふふむあれとあがつま

日燒畑(ひやけばた)いくつも越えて莖太(くきぶと)のこんにやく畑(ばた)にわれ入(い)りにけり

みちのくに近き驛路(うまやぢ)日はくれて一夜(ひとよ)ねむるとねむりぐすり飲む

みちのくのわぎへの里にうからやから新米(にひごめ)たきて尊(たふと)みて食(は)む

朝あけて父のかたはらに食(を)す飯(いひ)ゆ立つ白氣(しらいき)も寂しみて食す

さむざむと曉(あかつき)に起き麥飯(むぎいひ)をおしいただきて食(く)ひにけり

ゐろりべにうれへとどまらぬ我がまなこ煙はかかるその渦(うづ)けむり

日の入(いり)のあわただしもよ洋燈(らんぷ)つりて心がなしく納豆を食(は)む

土のうへに霜いたく降(ふ)り露(あらは)なる玉菜(たまな)はじけて人音(ひとおと)もなし

ふゆの日も今日も暮れたりゐろりべに胡桃(くるみ)をつぶす獨語(ひとりごと)いひて

冬の山に近づく午後の日のひかり干栗(ほしぐり)の上に蠅ならびけり

きのこ汁くひつつおもふ租母(おほはは)の乳房にすがりて我(あ)はねむりけむ

稚(をさな)くてありし日のごと吊柿(つりがき)に陽(ひ)はあはあはと差しゐたるかも


大正五年

薬罐(やくわん)よりたぎる湯をつぎいくたびも我は飲み居(を)り咽(のど)かわくゆゑに

よるおそく家にかへりてひた寒し何か食(く)ひたくおもひてねむる

あつまりて酒は飲むとも悲しかる生(いき)のながれを思はざらむや

胸(むな)さやぎ今朝とどまらず水もちて阿片丸(オピユームぐわん)を呑みこみにけり

ゆふされば相撲勝負の掲示札(ふだ)ひもじくて見る初夏(しょか)のちまたに

煙草のけむり咽(のど)に吸ひこみ字書(じしょ)の面(めん)つくづくと見る我をおもへよ

みちのくの我家(わぎへ)の里ゆおくり來(こ)し蕨(わらび)を沾(ひ)でてけふも食ひけり

いささかの爲事(しごと)を終へてこころよし夕餉の蕎麥(そば)をあつらへにけり

土曜日の宿直(とのゐ)のこころ獨(ひと)りゐて煙草をもはら吸へるひととき

ふる郷(さと)に入(い)らむとしつつあかときの板谷峠(いたやたうげ)にみづをのむかな

みちのくの父にささげむと遙々(はるばる)と薬まもりて我は來(き)にけり

けふ一日(ひとひ)我(わ)をたより來(こ)し村びとの病(やまひ)癒(い)ゆがに薬もりたり

梅干をふふみて見居(みを)り山腹(やまはら)におしてせまれる白雲(しらくも)ぞ疾(と)き

さけさめて夜半(よは)に歩めばけたたまし我を追ひ越す電車のともしび


大正六年

夜おそく山どほりかへり來て解熱(げねつ)のくすり買ふも寂しき

告げやらむ事はありとも食(は)む飯(いひ)の二食(にじき)にて足(た)らふこの日頃かなや

街にいでて酒にゑへども何(なに)なれや水撒(みづまき)ぐるまにもをののくこのごろ

むらぎものゆらぎ怺(こら)へてあたたかき飯(いひ)食(は)みにけりものもいはなく

萱草(くわんざう)を見ればうつくしはつはつに芽(め)ぐみそめたるこの小草(をぐさ)あはれ

けふ一日(ひとひ)煙草をのまず尊(たふと)かることせしごとくまなこつぶりぬ

この日頃ひとり籠(こも)りゐ食(は)む飯(いひ)も二食(にじき)となりて足(た)らふ寂しさ

ものぐるひの診察に手間どりてすでに冷たき朝飯(あさいひ)を食む

味噌汁をはこぶ男のうしろより默(もだ)してわれは病室に入(い)る

乳(ちち)いろにたたふる霧は狹(せば)まれる山のはざまに動かぬごとし

しづかなる港のいろや朝飯(あさいひ)のしろく息たつを食ひつつおもふ


(原本 齋藤茂吉全集第一巻(昭和四八年))

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