はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

ともしび(斎藤茂吉料理歌集)

2008年11月26日 06時24分12秒 | 斎藤茂吉料理歌集
「ともしび」


 大正十四年

蕗(ふき)のたういまやふふまむ蓮華寺(れんげじ)の○應(りゆうおう)和尚を訪(と)ひがてぬかも
〔○=漢字〕

やけのこれる家に家族があひよりて納豆餅(もちひ)くひにけり

かへりこし家にあかつきのちやぶ臺(だい)に火○(ほのほ)の香(か)する澤庵を食(は)む
〔○=漢字〕

家いでてわれは來(こ)しとき澁谷川(しぶやがは)に卵のからがながれ居にけり

霜しろき土に寒竹(かんちく)の竹の子はほそほそしほそほそし皮をかむりて

たかむらのなかに秋田の蕗の薹(ふきのたう)ひとつは霜にいたみけるかも

いましがた童(わらべ)が居りて去りけらしあかつきの土にこぼれたる鹽(しほ)

さしあたりてただただ空(むな)し納豆を食(は)まむとおもふ念願(ねがひ)こそあれ

はしけやしこの身なげきて虎杖(いたどり)のひいづるときになりにけるかも

うまれし國にかへりきたりてゆふされば韮(にら)をくひたり心しづかに

丸山の夜のとほりを素通りし花月(くわげつ)のまへにわれは佇(たたず)む

茂吉には何かうまきもの食はしめと言ひたまふ和尚のこゑぞきこゆる

ひかりさす松山のべを越えしかば苔よりいづるみづを飲むなり

桑の實はいまだしとおもふなり息長川(おきながかは)のみなかみにして

烟草をやめてよりもはや六年(むとせ)になりぬらむ或る折(をり)はかくおもふことあり

梅賣(うめうり)のこゑの(すが)しさやわが身にははや衰ふるけはひがするに

ただ一つ生きのこり居る牡鶏(をんどり)に牝鶏(めんどり)ひとつ買ひしさびしさ

をさなごの熱いでて居る枕べにありし櫻桃(あうたう)を取り去らしめし

四五日まへに買ひてあたへし牝鶏(めんどり)が居なくなれりといふこゑのすも

逢坂をわが越えくれば笹の葉も虎杖(いたどり)もしろく塵(ちり)かむり居り

逢坂の山のふもとに地卵(ぢたまご)を賣るとふ家も年ふりて居り

その家に鶏(とり)の糞をも賣るといふ張紙(はりがみ)ありてうらさびしかり

山のべにかすかに咲ける木莓(きいちご)の花に現身(うつしみ)の指はさやらふ

山がはの鳴瀬(なるせ)に近くかすかなる胡頽子(ぐみ)の花こそ咲きてこぼるれ

毒(どく)ぐさの黄いろき花を摘みしときその花恐れよといへば棄てつる

やまこえし細谷川に棲むといふ魚を食ふらむ旅のやどりに

ふかやまのはざまの蔭におちたまり栗のいがこそあはれなりけれ

栗のいが谷まのそこにおち居れば夏さりくれどしめりぬるかも

山路來て通草(あけび)の花のくろぐろとかなしきものをなどか我がせむ

初夏の山の夜にして湯に沾(ひ)でし太き蕨も食(を)しにけるかも

細谷のすがしきみづに魚(うろくづ)の命とりたりと思ひつつ寝し

山水(やまみづ)にねもごろあそび居りぬらむ魚のいのちを死なしめにけり

すがすがし谿のながれに生(うま)れたる魚(いろくづ)をとりて食ふあはれさよ

おきなぐさ小(ちひさ)き見れば木曾山に染(し)み入るひかり寒しとおもふ

白頭翁(おきなぐさ)ここにひともとあな哀(かな)し蕾(つぼみ)ぞ見ゆる山のべにして

山かげのながれのみづを塞(せ)きとどめ今ぞ魚(うを)とる汗かきながら

魚とると細谷川のほそみづにいさごながれてしましにごりぬ

谷あひをながるる川の水乾(ひ)るとさざれに潛(ひそ)むき魚あはれ

と淵とこもごもあれど日の光あかきところに魚は居なくに

塞止(せきと)めて細きながれのにごるときはやも衰ふる魚ぞ哀しき

吾つひに薯蕷汁(とろろ)をくひて滿ち足らふ外面(とのも)に雨のしぶき降るとき

うろくづの香(か)のたえて無き食物(をしもの)を朝な夕なに殘すことなし

紀伊のくに高野(かうや)の山のくだり路(ぢ)につめたき心太(ところてん)をぞ食ひにける

年ふりしいまの現(うつつ)にたかのやま魚燒く香こそものさびしけれ

ひる未(まだ)き高野(かうや)のやまに女子(をみなご)と麥酒(むぎざけ)を飲みねむけもよほす

峠路のながれがもとの午餉(ひるがれひ)梅干のたねを谿間(たにま)に落す

山なかのほそき流れに飯(いひ)のつぶながれ行きけりかすかなるもの

山つみの目に見えぬ神にまもられて吾ら夕餉(ゆふげ)の鮎(あゆ)くひにけり

しづかなる眠(ねむり)よりさめ三人(みたり)くふ朝がれひには味噌汁は無し

栗(あをぐり)のむらがりて居(を)る山はらに吾はしまらく息をやすめぬ

あしびきの山のたをりにこころよし熟(う)めるしどみの香(か)をかぎ居れば

山なかに一夜(ひとよ)明けつつ味噌煮ると泉(いづみ)のみづはわれ汲みて來(こ)む

かすかなるものにもあるかうつせみの我が足元に痰(たん)なむる蟲

うつしみは苦(くる)しくもあるかあぶりたる魚(いを)しみじみと食ひつつおもふ


 昭和元年(大正十五年)

いちじゆくのあらき枝(えだ)には芽ぶかねばさへづる鳥の濡れたるが見ゆ

味噌しるのなかに卵を煮て食ふは幾年(いくとせ)ぶりに食ふにやあらむ

をさなごを遊ばせをればくりやより油いたむる音もこそすれ

ゆふぐれて吾(あ)に食はしむと煮し魚(いを)の白き目の玉噛みゐたりけり

さ夜ふけと春の夜ふけしひもじさに乳(ちち)のあぶらを麺麭(ぱん)にぬりつつ

うめのはな咲けるを見れば穉(をさな)くて梅の實くひしむかしおもほゆ

行春(ゆくはる)の部屋かたづけてひとり居り追儺(つゐな)の豆をわれはひろひぬ

きぞの夜に叫びもあげず牡鶏(をんどり)は何かの獸(けもの)に殺されて居り

ついでありてわれ郊外に來てみれば麥(むぎ)の畑はいろづきにけり

あまつ日の光はつよし米(こめ)負(お)ひて山に入るひとここにいこひぬ

秋に入りし歩道あゆみて我は見たり四角の氷を並(な)めて挽(ひ)けるを

秋づきて心しづけし町なかの家に氷を挽(ひ)きをる見れば

おのづから生(お)ひしげりたる帚(ははき)ぐさ皆かたむきぬあらしのあとに

道のべに黄いろになりしくわりんの實棄ててあるさへこよなく寂し

信濃路(ぢ)はあかつきのみち車前草(おほばこ)も黄色になりて霜がれにけり

みすずかる信濃の國は車前草(おほばこ)もうらがれにけり霜をかむりて

やま峽(がひ)の道にひびけり馬車(うまぐるま)は秋刀魚(さんま)をつみて日ねもすとほる

煉乳(ねりちち)の罐(くわん)のあきがら棄ててある道おそろしと君ぞいひつる


 昭和二年

食ひしものおのづからこなれゆくごとくつづけざまにも吉報をきく

いのち死にし友をぞおもふこのゆふべは鰌(どぢやう)を買ひてひとりし食はむ

かすかなる湯のにほひする細川に鱗(うろくづ)のむれ見ゆるゆふまぐれ

とどこほるいのちは寂しこのゆふべ粥(かゆ)をすすりて汗いでにけり

をさなごは吾が病み臥せる枕べの蜜柑を持ちて逃げ行かむとす

南かぜ吹き居(を)るときに々と灰のなかより韮(にら)萌えにけり

はやりかぜにかかり臥(こや)ればわれの食ふ蜜柑も苦(にが)しあはれ寂しき

うちわたす麥の畑(はたけ)のむかうより蛙(かはづ)のこゑはひびきて聞こゆ

あをあをとむらがりながら萌えて居(を)る藜(あかざ)のうへに雨ふりにけり

ものぐるひの命(いのち)終(をは)るをみとめ來てあはれ久しぶりに珈琲を飲む

しぐれこし吾が廢園(あれその)の帚(ははき)ぐさ赤らみにけりかたむきながら

秋さむくなりまさりつつ旅を來て北信濃路(ぢ)に鯉こくを食ふ

朝よひにおしいただきて食(は)む飯(いひ)は鱗(うろくづ)の香(か)ぞなかりけるかな

葛(くず)の花ここにも咲きて人里(ひとざと)のものの戀(こほ)しき心おこらず

夏山のみちをうづめてしげりける車前草(おほばこ)ぞ踏む心たらひて

大(おほ)き聖(ひじり)この山なかの岩にゐて腹へりしときに下(を)りゆきけむか

この巖(いは)より滲(し)みいづる水かすかにて苔(こけ)の雫(しづく)となりがてなくに

晝すぎし龍門外(りゆうもんぐわい)にわれは來て氷水(こほりみづ)をばむさぼりて飲む

山なかの畑を見ればきなくさき煙を立てて燃えをるものよ

しづかなるこの谷間(たにあひ)に々と稲田(いなだ)いくつかあるも親しき

道のべにどくだみの花かすかにて咲きゐることをわれは忘れず

ひと乗りてけふの朝明(あさけ)に駿河よりのぼり來し馬か山に草はむ

稻を扱(こ)く機械の音(おと)はやむひまの無くぞ聞こゆる丘のかげより

たどりこしこの奥谷(おくだに)に家ありて賣れる粽(ちまき)はまだあたたかし

湯の宿に一夜ねむりし朝めざめまたたびの實の鹽漬を食ふ

ゆふがれひ食ひつつ居れば川波の寒きひびきはここに聞こゆる

鹽づけにしたる茸(きのこ)を友として食へばあしびきの山の香(か)ぞする

かたばみの々とせし葉をぞ見る廢(すた)れし園(その)に霜ふりしかど

郊外の家の庭には唐辛子をむしろのうへにもり上げて干す

一人してしばしあゆまむ公園に時雨(しぐれ)は降りぬ橡(とち)の落葉ふかく

木曾やまに啼きけむ鳥をこのあしたあぶりてぞ食ふ命(いのち)延(の)ぶがに

朝あけし厠(かはや)のなかにゐておもふけふのゆふべは何を食はむか

ゆふぐれし机のまへにひとり居りて鰻(うなぎ)を食ふは樂(たぬ)しかりけり


 昭和三年

よるふけし街(まち)の十字にしたたかに吐きたるものの氷(こほ)りけるかも

墓地の木にすくふ鴉(からす)かむらがりて我がいへの鶏(かけ)おそふことあり

あわただしく起臥(おきふ)すわれに蕗の薹くふべくなりぬ小さけれども

あづさゆみ春ふけがたになりぬればみじかき蕨(わらび)朝(あさ)な朝な食ふ

五月雨(さみだれ)の雨のれたる夕まぐれうなぎを食ひに街(まち)にいで來し

ゆふぐれの光に鰻の飯(いひ)はみて病院のことしばしおもへる

さ夜ふけと更けわたるころ海草(かいそう)のうかべる風呂にあたたまりけり

朝がれひ君とむかひてみちのくの山の蕨を食へばたのしも

夕がれひの皿にのりたる木布海苔(きふのり)は山がはの香(か)をわれに食はしむ

にぎり飯(いひ)を持てこし見ればほほの葉に包まれながらにほふひととき

大井澤(おほゐざは)わたらむとして岩魚釣りその歸(かへ)り路(ぢ)の山びとに逢ふ

湯殿山(ゆどのやま)一の木戸なる藥湯(くすりゆ)のあつきを飲みていろいろ話す

笹小屋(ささごや)にひととき入りていこふなべ笹竹(ささだけ)の子の長きを食ひぬ

味噌汁に笹竹の子を入れたるをあな珍(めづ)らあな有難(ありがた)と云ひつつ居たり

峠にてほとほと疲れ心太(ところてん)みたりは食ひぬ腹ふくるるに

朝がれひ旨(うま)らに食へど足いたし諸足(もろあし)いたしかがみがたしも

さすたけの君がなさけは信濃路の高山(たかやま)の蕨けふぞ持てこし

あかつきに小芋(こいも)をいれて煮る汁の府中の味噌は君がたまもの

たちまちにいきどほりたる穉兒(をさなご)の投げし茶碗は疊を飛びぬ

夕飯(ゆふいひ)に鰻も食へどゆとりなき一日(ひとひ)一日は暮れゆきにけり

毬(いが)ながらけふおくりこし吉備(きび)の栗秋ふけゆかむ山しぬべとぞ

利根川を幾むらがりにのぼりくる鰻の子をぞともに養ふ

悠紀主基(ゆきすき)の田ゐのみのりをあまてらすすめ大神(おほかみ)ときこしをします

いやしかる御民(みたみ)のわれも酒のみて大臣(おとど)のごとく祝(ほ)がざらめやも


 (原本 齋藤茂吉全集第二巻(昭和四八年))