はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

遍歴(斎藤茂吉料理歌集)

2008年10月21日 20時51分19秒 | 斎藤茂吉料理歌集
「遍歴」
(大正十二年七月から大正十四年一月まで)


 ミユンヘン漫吟 其一

大馬(おほうま)の耳を赤布(あかぬの)にて包みなどして麥酒(ビイル)の樽を高々はこぶ

Ethos(エトス)といふ野菜食店(しょくてん)に來て見るに吾等にはさしたる感動もなし

赤き色したる刺身を食ひながら「同胞(どうばう)の哄笑(こうせう)」といふを聞き居り

バヴアリアの果物(くだもの)は好しけふもまた李(すもも)を買ひて机にならぶ

友とともに飯(めし)に生卵かけて食ひそののちき川原に默(もだ)す

一人してAlzbergerkeller(アルツベルゲルケレル)といふ處にて夕食したりまづしき食店

イサールの谷の柳の皮むきて箸をぞつくる飯(いひ)を食ふがに

朝けよりおもひ直してき麺麭(ぱん)に牛酪(ぎうらく)ぬるもひとり寂しゑ

日本飯(めし)われ等くひたり茶(ちやせい)といふ粉(こな)を溶かしていくたびか飲む

日本より持て來し蓴菜(じゆんさい)を食はしむと酢を買ひに行きし我友あはれ

さだめなきこの假住(かりずみ)や夢にして白飯(しらいひ)の中より氣(いき)たちのぼる

ミユンヘンの夜寒(よさむ)となりぬあるよひに味噌汁の夢見てゐきわれは

夫婦にて來居る同胞(どうばう)がある時に豆腐つくりぬ食はむといひて

四人(よにん)寄りて將棋を差しぬこの樂しき一日(ひとひ)が暮れて飯(いひ)を食したり

六人(ろくにん)の日本人があつまりて鋤燒(すきやき)を食ふ平凡なれども

一とせの悲喜こもごもを過去として葡萄の酒を今こそは飲め

新しき第一の瞬時(しゆんじ)いはひて拔く一〇ビルリオンの白葡萄酒の栓


 ミユンヘン漫吟 其二

日本飯(にほんめし)をけふも食ひたりおごりにはあらぬ儉約とこのごろおもふ

納豆をつくるといひて夜(よる)も起きゐる留學生の心ともしも

飯(いひ)の中の砂を噛みたる時のまを留學生のわれは寂しむ

わが部屋に四人(よたり)あつまり肉を煮て東宮婚儀を祝ぎたてまつる

Café Minerva(カフエ ミネルヴア)のことたづねむと大學の裏幾度か往返(ゆきき)す

東京のわが穉子(をさなご)の生(うま)れたるけふを麥酒(ビール)少し飲みて祝ぐ


 ドナウ源流行

夜おそく著きてさびしくわが宿る旅舎の食堂に山歌(やまうた)きこゆ

アルゴイの飛びわたる鳥の呼吸する山の空氣がわが咽(のど)に入る

蕗の薹の赤莖(あかぐき)ながくほほけ居りその香(か)をかげば日本(にほん)おもほゆ

イタリアの米を炊(かし)ぎてひとり食ふこのたそがれの鹽(しほ)のいろはや

はるかなる國に居りつつ飯(いひ)たきて噛みあてし砂さびしくぞおもふ

ミユンヘンの假(かり)のやどりに食(は)む飯(いひ)やMaggi(マツジー)にしめす海の海苔(のり)の香(か)

このゆふべ異國(ことぐに)の語(ことば)いとひつつ白飯(しらいひ)をくふ室(へや)にこもりて

弟の入學のしらせほがむとぞ飯(いひ)を炊(かし)ぎて友待つけふぞ

小宮授をむかへて心樂しひと夜Platzl(プラツツル)に相醉(あひゑ)ひにけり

イサールの對岸(たいがん)に來て川魚(かはうを)のてんぷら買ひぬ下層の人々の食(しよく)

イサールの川上(かはかみ)ゆけば乳(ちち)いろをなしたる淵(ふち)も見おろすわれは


 山の旅

雪たかき山の秀(ほ)むらの見え居りてすがしき朝の乳(ちち)のみにけり

鱒の子はあはれなるものか高國(たかぐに)のこのみづうみに育(そだ)たむとする

この島の朝あけぬれば牛の乳(ち)を飲みたるのちに寺に入り來(こ)し

この島の畑(はた)に小さき林檎(リンゴ)成り尼修道院(あましうだうゐん)の鐘の音(ね)湖(うみ)わたる

中腹に蕨(わらび)ほほけてしげれるを見つつ來しかな人に知らゆな

おきな草白房(しろふさ)となりありたりきここにし見れば白頭翁(おきなぐさ)かなし


 ガルミツシユ行

みづうみの近く歩きてほほけたる蕨(わらび)を手折(たを)り新聞につつむ

この湖(うみ)にうき草あまた浮き居るを蓴菜(じゆんさい)に似たるものとおもひぬ

やはらかき蕨もありてわれは摘む獨逸のくにの人に知らえず

みづうみのふちをめぐりて岩むらの常陰(とかげ)ゆわける水飲みにけり


 獨逸の旅

なだらかに小山(をやま)おきふしつづけたるその起伏(おきふし)に葡萄園(ぶだうその)見ゆ

この河の鱒の鹽燒(しおやき)を食ひゐたり西洋人もかくの如くして食ふ

櫻の實がSaal河(ザールがは)の岸にふさなりになり居るをみて此處を去りゆく

野菜畑果樹園を見つつわれおもふ夏至の永日(ながひ)ははやも過ぎつと

この村の林檎畑(りんごぼたけ)に入りくれどあやしまむとする人ひとりゐず

日本食支那食(しなしよく)くひて悲しみを尠(すくな)くしゐる同胞(どうばう)を見し


 最後のミユンヘン

買ふべきものも大方買ひをはりTiez(テイーツ)に來てき麥酒(ばくしゆ)のむ

Leistbrau(ライストブロイ)の麥酒醸造のありさまを一日(ひとひ)参観すBraumeister(ブラウマイスター)の語あり


 巴里雜歌 其一

麥を刈る時にいたりて麥を刈る案山子のたてる裝(ふり)もおもしろ

郊外は葱(ねぎ)の花さく都市(とし)びともここに安けさ希(こひねが)ひけり

街上に枝ながら賣る蓁栗(はしばみ)は東海のくにの山おもはしむ

齒をもちて割るはしばみの白き實を從ひてくる妻に食はしむ

大きなる都會のどよみゆふぐれし支那飯店に妻をいたはる

あたたかき飯(めし)に生卵(なまたまご)かけたるを呑みこみし日は果敢(はか)なかりしか


 歐羅巴の旅

ロンドンに日本の飯(めし)をくひしとき同胞のひとり醉泣(ゑひなき)したり

乾酪(かんらく)をつくるところも見たりけり白き乳汁(ちしる)のかたまりゆくを

ポツダムは二とせ前に來りしが今は橡(とち)の實が金(かね)つきて落つ

アララギのくれなゐの實がこの園にめざむるばかりありと思ひきや

栗の實もいまだ金(かね)つかぬ山のべにもろ葉しみみに柿もみぢせり

くれなゐの木の實かたまり成れるものアルプの山のこの高山(たかやま)に

のぼり來て熱き肉汁(にくじふ)を飲みゐたりユングフラウに雪ぞみだるる

ベルンなる小公園(せうこうゑん)にあららぎの實を啄(ついば)みに來る小鳥あり

レオナルドウの最後の晩餐圖(ばんさんづ)このたびは妻にも見しむそのけだかきを

伊太利(いたりあ)の食を愛していにしへの時代(ときよ)のさまもおもほゆるなり

もろもろの海魚(かいぎよ)あつめし市(いち)たちて遠き異國のヴエネチアの香(か)よ

港町(みなとまち)ひくきところを通り來て赤黄(あかき)の茸(きのこ)と章魚(たこ)を食ひたり

佛蘭西の貨幣にかへて朝の食卓に蝸牛(かたつむり)の料理われ等愛でつも

ローンヌ川の魚をこよひも食ひしかば佛蘭西の國親しみ思ひき


 巴里雜歌 其二

この市(いち)に蛤貝(はまぐりかひ)も柿も売るカキ・ジヤポネエと札(ふだ)を立てたり

ソルボンヌ大學いでて茹卵(うでたまご)など賣り居る店の軒(のき)したを來る

鯛ちりに葱を入れたる午食(ひるしよく)をふるまはれたる心のどけさ

鹽づけの蝉をおもへばあはれあはれ蝉鳴かぬ國に三とせ經にけり

ヴアン・ゴオホつひの命ををはりたる狭き家に來て晝の肉食(を)す

チオールといふ熱帯樹の葉煎じたるものを飲みたりモンパルナツスに

この寺は十二世紀に成りしものといふ川べりに干魚(ほしうを)などを賣るなり

チオールといふ熱き飲料は何かしら東方(とうほう)の寺のにほひこそすれ

木の下に梨果(なしのみ)が一ぱい落ちて居り佛蘭西田園(でんゑん)のこの豊けさよ

糖大根(たうだいこん)たかだかと積みてゐたりけりある處(ところ)にては土にうづむる

あひともに牛の肉くひぬパリーにて飲む味噌汁も最後ならむか

柑橘のたぐひ黄金(こがね)のつやありてある處にはき竹(たか)むら

カジノに入り來ておそるおそる試むは路傍に卵を買ふごときのみ


 歸航漫吟

しづかなる紅海(こうかい)を船は行きにけり朝の林檎を愛づべくなりて

夜おそくなりて上陸したれども氷の水を飲みしことのみ

檳榔(びんらう)の實を絶えず噛みをるをとめらも街上(がいじやう)行きてセイロン暑し

汗にあえつつわれは思へりいとけなき瞿曇(くどん)も辛(から)き飯(いひ)食ひにけむ

パパイアをわれ食はむとすすがすがし朝(あした)の卓(たく)に黄なる匂(にほひ)の

セイロン的ライスカレエを食ひしとき木の葉入りありこの國の香ぞ

パパイヤの樹にはくれなゐの花さくとシンガポールにあひ語らひき

「日本藥房」「海友休息所」などといふ日本系統の看板があり

大木(たいぼく)のパンの樹のもと歩み居り黄なるその實を問はむ子もがも

チヤンギーの海の邊に來て魚釣れば常世(とこよ)のごとし君がなさけに

小路(こうぢ)には卵店(たまごみせ)などあるかたはらに「相命」の文字「集善醫所」の文字

茶館(ちやくわん)にはまろき面(おもて)のをとめごも甲斐甲斐しくてわすれかねつも

もの呆けしごとくになりし吾と妻と食卓に少しの蕎麥(そば)をくひたり

南洋に住める犬らも鳥すらも辛(から)きを食ふと聞けばかなしも


(原本 齋藤茂吉全集第一巻(昭和四八年))